死者数から見たフランスでの新型コロナ危機

投稿日: カテゴリー: フランス社会事情

ワクチン接種キャンペーンの進展などにより、フランスでは、新型コロナ危機は終息の兆しを見せている。既存の変異株や新たな変異株の出現により予断は許されないが、本稿では、これを機会に、2020年から2021年前半において、新型コロナ危機がフランスにとっていかなるものであったかを、仏統計機関であるINSEEの統計や、筆者の実体験を基に考察してみる。

ワクチン接種キャンペーンが一部の国々で進んだことや、おそらくではあるが、北半球で気温が上昇したことも手伝い、新型コロナ危機は、世界的には終息の兆しを見せている。しかし既存の変異株による感染拡大や新たな変異株の出現の可能性もあり、依然として完全に楽観視できる事態にはないのが現状だ。

話をフランスに限ると、ロックダウンは、徐々に解除されつつあり、筆者が本稿を執筆している2021年6月28日時点では、例えば、屋外でのマスク着用義務は解除されており、バー・レストランもほぼ通常営業に移行している。また、最後に残った屋内公共スペースでのマスク着用義務なども6月30日には解除される予定となっている。新型コロナ危機が完全に終息するかどうかまだ予断は許されないが、一段落がついた形にはなった。

本稿では、これを機会に、2020年から2021年前半において、新型コロナ危機がフランスにとっていかなるものであったかを、仏統計機関であるINSEEの統計や、筆者の実体験を基に考察してみる。

INSEEの統計は2021年6月18日に同機関のサイトに掲載されたもので、2020年と2021年前半におけるフランスの死者数を詳細に分析している。統計では、他の年との比較や、死者数の日毎の推移、地域別分布などを見ることができるが、今回は特に、死者数から見て特徴のあったいくつかの年と、2020年を比較してみることにする。

【図1:過去5年(2015-2019年)および酷暑の2003年と比較した2020-2021年の死者数/日】
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(出典:仏国立統計経済研究所(INSEE)- https://www.insee.fr/fr/statistiques/4931039?sommaire=4487854 より仮訳)

図1では、2015年から2021年(5月まで)の年に加え、酷暑により多くの死者が出た2003年の毎日の死者数が示されている。2020年の死者数は赤線で、2021年前半は橙色の線で示されているが、ご覧になれば一目でお分かりになるように、2020年3月から4月にかけて、死者が急増している。これが新型コロナ感染症によるものであることに疑いはない。特に3月末までの死者数の急増ぶりは顕著だ。その一方で、3月末からの死者数の減少も急激だ。特に最も死者数が多かった4月1日には死者数は2,811人に達し、それまでの5年間の平均である1,684人の倍近くに達した。

これに対し、2017年の季節性インフルエンザでも最多では2,400人の死者が出た。この数字だけを見ると、新型コロナウイルス感染症は季節性インフルエンザとさほど変わらないように見えるかもしれないが、新型コロナウイルス感染症の場合には、全面的なロックダウンが行われた結果であることを考慮する必要がある。衛生措置も格段に強化され、人々の日常は完全に揺るがされた。経済もほとんど麻痺状態に陥った。新型コロナウイルス感染症による死者数が、この程度で収まったのは、社会・経済的に莫大な犠牲を払ったからであり、フランスの場合は、新型コロナウイルス感染症がただの風邪のようなものであると言うことはできない。図1での死者数の幾何級数的な増え方を見れば、強力なロックダウンがなければ、死者数は天井知らずに増加していた可能性は否定できない。

一方、2020年4月1日のピーク後の死者数の減少ぶりも顕著で、厳しいロックダウンの有効性を示している。また、ロックダウンが十全に効果を発揮するには、2週間ほどのタイムラグがあることも見て取れる。もう一つ言えることは、この一回目のロックダウンは、死者数が急増し始める直前に発出されており、仏政府の対応は、それほど時機を逸したものではないことだ。ただし、新型コロナウイルス感染症の場合、発症から死に到るまで2週間ほどかかるケースが多いので、ロックダウン発出の2週間前には、医療システムが飽和していたと見られ、その点から見ると、仏政府の対応が迅速なものだったとも言えなさそうだ。

次いで、2020年10月初めからの第二のピークを見てみよう。第二のピークの場合は、第一のピークの場合と同様に、死者数は急激に増加したが、総じて、第一のピークよりも少なめに推移した。しかし、最も注目すべき点は、ロックダウンが導入された後も、減少の仕方が非常に緩やかであったことだ。この理由としては、二回目のロックダウンが、一回目の措置よりもかなり緩いものだったことが挙げられる。

一回目の措置の際には、学校も全面閉鎖となった上、営業が認められた商店の種類も、生活必需品を扱う店に非常に厳しく限られた。毎日夜8時になると、医療関係者達への感謝のエールのため、人々が窓辺に出て拍手し、その音がまだ明るい4月のフランスの夜に鳴り響いたものだ。マスクも大きく不足しており、ニュースでは、国際的なマスク争奪戦の話を連日取り上げていた。パリ周辺地域や仏東部では、集中治療病床が足りず、TGV(高速鉄道)やヘリコプターで患者を他の地域に移送していた。

筆者は地方都市の中心部に居住しているが、通りは閑散としていたし、野生動物の目撃談もよく耳にした。総じて、国民全体に強い危機感があった。私事で恐縮だが、一回目のロックダウンの際には、筆者は、我が家の建物から一度も外に出なかった。家に閉じ込められるのが嫌な妻が、買い物やジョギングなどのために日に1時間、自宅周辺1キロメートルに限って許されていた外出時間(外出目的を記した証明書が必要)を利用して買い物をしてくれたからできたことだが、中には、すべてを宅配で済ませた人々もいたらしい。

これに対して、二回目のロックダウンでは、学校は閉鎖されなかったし、外出制限の下では、娯楽が国民の精神衛生に是非とも必要というわけで、本屋やゲームソフト屋が開いていた。加えて、後半になってからは、日中の外出に関しては外出証明書も要らなくなった。一回目とは異なり、筆者も、マンガ専門店に行くために、週一度は外出したものだ。二回目では、一回目と比較して、集中治療病床が大幅に増床されたことから、国民の間での危機感もかなり薄まった。このようなことから、毎日の死者数は、二回目のロックダウン中、あるいは、その後も、高止まりする傾向が見られた。

その後、2020年年末から2021年3月までは、夜間を除いては、外出制限は解除されたが、図1からも分かる通り、実は死者数は、二回目のロックダウンの際とほとんど変わりがない。にもかかわらず、外出制限が解除されたのは、国民感情に配慮して、年末年始にかけての祝祭の時期前には制限を解除したいという政治的思惑があったからだと見られる。ただし、昼間の外出制限は解除されたが、夜間の外出制限は続けられていた。

以上、一回目と二回目のロックダウンを比較してきたが、三回目も2021年4月3日に発出し(ただし一部の地域ではその少し前から外出制限が課されていた)、段階的に緩和されながらも、6月30日の最終解除まで続いていた。三回目のロックダウンは、図2から見ると、不思議なものに見えるかもしれない。なぜなら、第三のピークが見当たらないからだ。

【図2:2020-2021年の死者数/日を図1より抜粋】
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(出典:仏国立統計経済研究所(INSEE)- https://www.insee.fr/fr/statistiques/4931039?sommaire=4487854 より2020-2021年のみ表示の上で仮訳)

2021年に入ってからの死者数は、むしろ三回目のロックダウンが発出されるまで、緩やかながら減少を続けていた。では、なぜ三回目のロックダウンが発出されたのかというと、それは、一部地域において、変異株感染の拡大が見られたからだ。いわば、変異株感染を防ぐための予防的措置だったわけだ。ここから、三回目のロックダウンは、変異株感染拡大が著しかった一部の地域を除くと、名ばかりのものだったとも言えよう。

三回目のロックダウンでは外出目的の証明書は必要なかったし、自宅から半径10キロメートル以内なら、外出は自由だった。アルプス山脈の麓に住んでいる筆者も、山登りに出かけたし、近くのスーパーにまで普通に買い物に出かけていた。依然として、バー・レストランや映画館、アパレル・ショップなどは閉まっていたが、一回目と二回目を経験した大方の人々にとっては、拍子抜けとでも言えるものだった。これは、上で指摘したように、三回目のロックダウンが予防的なものだったということに加えて、一部の地域だけに制限を課すと、その地域の住民の不満が爆発しかねないと見た仏政府が、国民全体に緩やかな制限を課すことにより、ガス抜きを図ったのではないかといううがった見方もできよう。

図1を見ると、2003年の酷暑による死者数のピークが目につく。この時の酷暑は、死者数が1万5000人に達するという前代未聞のもので、筆者が当時住んでいた仏北部でも、連日高温を記録、ピーク時には43度にまで達した。その日、筆者は、友人がパリから遊びに来ていたので、二人で外に出たところ、数百メートルほど歩くと暑さにやられてしまい、カフェに入ってしまうということを繰り返したのを覚えている。これは異常だと思ったが、翌日新聞を見て、40度超えという数字に、なるほどとうなずいたものだ。

話が脇道にそれてしまったが、図を見ると、2003年のこの酷暑の後、同年の死者数は2015-2019年の平均を大幅に下回り続けているのが分かる。要するに、2003年の酷暑では、おそらく余命が既にほとんどなかった高齢者の方々が犠牲になったということだ。一方、新型コロナ危機では、死者数はピークの後も平均を大きく下回ることはない。つまり、新型コロナ危機では、亡くなった方々はそれほど高齢ではなかったのではないかということが推測できる。実際、2003年の酷暑の際の死者の87%が70歳以上だったのに対し、新型コロナ危機での死者で、70歳以上の人々が占める割合は73%に留まっている。

2003年の酷暑では、実は、翌年からの死者数が大幅に減少し、平均寿命が大幅に向上している。これは、2003年の酷暑の反動もあろうが、3万6000の市町村に対し、一人暮らしの脆弱な人々や、高齢者、身体障がい者などを網羅した台帳を作るよう義務付けた法律が2004年に成立したことや、老人ホームなどが、酷暑への対処の仕方を抜本的に見直したことが貢献している。その証拠に、2003年以降も同様の酷暑は発生したが、目立った死者数の増加は発生していない。

新型コロナ危機の場合も、これと同様のことが起きる可能性はある。既に、新型コロナ危機下では、手洗いの徹底など衛生管理の向上や、ソーシャル・ディスタンシングなどにより、季節性インフルエンザなどの伝染病は激減した。このような衛生管理の改善が、仏国民の間で部分的にでも根付いたならば、公衆衛生上では大きなプラスとなろう。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざもあるが、仏国民が新型コロナ危機からわずかながらでも教訓を得てほしいというのが筆者のささやかな願いである。

※本記事は、特定の国民性や文化などをステレオタイプに当てはめることを意図したものではありません。

(初出:MUFG BizBuddy 2021年7月)