迫り来る蚊の恐怖―フランスの場合

投稿日: カテゴリー: フランス産業

地球温暖化を背景に、ヤブカであるヒトスジシマカが北上を続けている。フランスでも国土の3分の2が生息域となった。フランス人はこの新事態にどのように対応しているのか、需要とトレンドを紹介する。

地球温暖化と蚊の北上
フランスの2023年の夏は奇妙な気候だった。8月上旬まで、北西地方では秋並みの冷夏で雨が多かったが、南半分の地域はかなりの高温に見舞われた。6月から続いた少雨と高温を背景に、ギリシャやスペインなど地中海沿岸諸国では大規模な山火事が発生。南仏でも被害が見られた。大局的には温暖化により気温が上昇し、2023年の6月と7月は世界全体でみると観測史上で最高気温の記録を更新したという。

気候変動が目に見える形で現れるようになり、人々の温暖化に対する意識も高まっている。そうした目に見える事象の一つに、蚊の脅威がある。フランスに生息している蚊は、長らくイエカのみであったため、さほどの脅威としては認識されていなかった。しかし、近年、いわゆるヤブカであるヒトスジシマカ(Aedes albopictus)の生息地が急速に拡大しており、これが伝染病を媒介するという懸念を背景に、脅威として捉えられるようになった。

ヒトスジシマカはアジア原産といわれ、フランスでは南仏の一部地域で20年ほど前に現れた。日本ではさほど珍しくないヤブカだが、グローバル化を背景に、アジアから1980年代に北米へ渡り、そこから欧州を含む各地に生息地を広げていったと考えられている。蚊は物資の輸送についていく形で旅をして、食料であるヒトのいるところで繁殖地域を広げるという。廃タイヤに溜まった水に潜んでいたボウフラが世界進出の起点になったという説もある。

ヒトスジシマカは欧州諸国へも着実に領土を広げている。欧州では1990年にイタリアのジェノバで初めて生息が確認され、イタリアにはその後10年間で全国に生息域を広げた。フランスでは、それから10年余りが経過した2004年に、イタリアに近い南東部のマントン市(アルプ・マリティム県)で繁殖が確認され、その後、徐々に北上していった。ヒトスジシマカの繁殖の拡大については、グローバル化に伴うモノと人の移動の増大が最大の要因だとする指摘もあるが、全体として生息地の北上という傾向がうかがわれることには、やはり温暖化の影響が大きいものと考えられる。

フランスの場合、本土の96県のうち、2023年1月1日現在で71県において生息が確認されており、全体の3分の2以上が生息地であるということになる。南半分の地域で生息が顕著だが、現在ではパリ首都圏の全域が生息地となっている。ブルターニュ半島の付け根を通る緯線を基線として、その北側に生息地が広がりつつあるという具合であり、地図を見るとまさに北上という言葉がしっくりくる。あと10年もすると、本土の全域が生息地になると予想されている。

感染症拡大の懸念
ヒトスジシマカの生息地拡大に伴う最大の懸念は、やはり感染症の拡大にある。特に脅威として認識されているのがデング熱で、2022年にはフランス本土内の感染例が66件報告された。2010年から2021年の平均では年間48件が報告されていたが、2022年はそれに比べて増えており、増加傾向を示している。従来、デング熱は本土では輸入感染症であり、本土内で感染することはなかった。しかし、ヒトスジシマカの生息が定着したことにより、高温となる夏季には感染が拡大する条件が揃ってしまった。専門家によると、気温が摂氏25度から30度になると、蚊は4、5日間で取り入れたウイルスを媒介できるようになり、気温上昇は感染の温床となりうる。ちなみに、ヒトスジシマカは個体としては25日間程度生息し、3日ごとに吸血するのだという。

また、この夏には、南西地方のボルドー市とその近郊でウエストナイル熱の国内感染が初めて確認された。こちらは、野鳥から蚊を媒介してヒトにも感染するもので、デング熱とは異なり、ヒトスジシマカだけでなくイエカを通じても感染する。4人の感染が確認され、いずれも快方に向かったと発表されているが、温暖化により熱帯起源の感染症の脅威が迫っているという印象を与える事件となった。

恐ろしいイメージ
ヒトスジシマカの脅威は必要以上に喧伝されている感もある。何かの機会があるたびに報道で大きく取り上げられ、蚊には子どもの頃から慣れている日本人が見ても、その報道ぶりには実にぞくぞくさせられる。

まず名前がすごい。ヒトスジシマカはこちらではムスティク・ティーグル(moustique tigre)と呼ばれ、これは直訳すると「虎蚊」ということになる。黒白の縞模様をトラの縞柄に例えたものだが、何やら食い殺されそうではないか。ムスティク・アン・ピジャマ(moustique en pyjama)、つまり、「パジャマを着た蚊」という俗称もあるが、こちらなら自宅に招いてもいい気がするから奇妙なものである。兼好法師も、「おそろしき猪のししも、ふす猪の床といへばやさしくなりぬ」と言っている。しかし、恐いのは名前だけではない。ビジュアルも恐ろしい。新聞にせよテレビにせよ、蚊の話題になると特大の蚊の写真や動画が紹介される。こんなものが押し寄せてきたらもうおしまいだという気になっても不思議ではない。

南西地方の都市の郊外に住むある人は、この数年で状況が厳しくなったと証言する。近所の人が蚊に刺されて悲鳴を上げることがある、という。まさに、蚊への恐怖心の強さを物語るエピソードではないか。この分野では「先輩」といえる日本としては、何か手助けできることはないだろうか。既に宣伝は十分されているから、そこにはビジネスチャンスもあるかもしれない。

網戸よりもまじない
新たに蚊の生息地となった地方の人々がどう対応しているのかを見ると、少々心もとない気がしてくる。定番は、エッセンシャルオイルとレモングラスで、前者は皮膚に塗り込んだり焚きしめたりして使用する。後者は栽培したり、レモングラスの香りつきのろうそくを燃やしたりして使用する。いずれも効果としては「まじない」の域を出ないものであり、推奨はできないのだが信奉者は多い。酵母利用のトラップ、子どもに優しい虫よけブレスレットといった商品も増えているが、消費者団体のUFCクショワジールは、いずれも効果がないとして購入しないよう呼びかけている。効果が大きいのはやはりディート系の虫よけだが、フランス全般的な傾向として化学物質への警戒心が根強くある。そのため、虫よけの本格的な普及には、虫刺されへの恐怖心が化学物質への警戒心に打ち勝つほど大きくなることが必要になるかもしれない。

日本では網戸のない家はないといえそうだが、フランスではほとんど普及していない。だが、網戸を普及させるのは意外に難しいように思う。日本では設計段階から網戸が組み入れられているが、フランスではそうではないので、何らかの方法で後から追加しなければならない。しかし、それを難しくする要因の一つが開閉部の仕組みである。

日本では、扉や窓は、引き戸(横にスライドして開閉する)を除けばほぼ確実に外側に開く方式になっているが、フランスは逆で、扉や窓は必ず内側に向かって開く。その理由は定かではない。内側開きは侵入者に抵抗するのが容易であり、内側にバリケードを築けば持ちこたえることができる、という説明をしてくれた人がいたが、本当であろうか。

いずれにせよ、この違いのために、内側に網戸を追加するという方法は開閉の妨げになるので不可能だ。外側に後付けで追加することになるが、こちらはほぼ標準装備である雨戸(volet)との重なり合いの問題を解決する必要がある。電動の巻き取り式のユニットが主流で、中には「メイド・イン・フランス」を売り物にした商品も出回っている。その一方で、屋根裏部屋や戸建てに多い天窓は、中心を軸にして開閉する仕組みになっており、同時に室内と室外の両方に開くことになるから、どうやって網戸をつけたものやら分からない。

網戸の普及の難しさには精神的なハードルもある。フランス人は元来、アウトドア志向で、家の内部の空間が外側と遮断されるのを好まない。網戸のようなくぐもった被膜に包まれて、視界が損なわれるのがそもそも嫌なので、よほどの被害がなければ網戸の導入には踏み切らないのではないか。巻き取り式の網戸が一番人気であるのも、平時には見えなくすることができるという利点が好まれているのだろう。

また、フランス人のアウトドア志向は蚊取線香の扱いに現れている。蚊取線香の発祥地は日本だが、フランスでも以前から販売されている。Serpentin(蛇巻き)というかわいらしい愛称もある。しかし、これが導入された当初は、激しく煙が出るアウトドア用の製品として扱われ、現在も屋外での使用が主流となっている。日本の夏といえば、縁側に蚊取線香といった絵面がイメージの一つとして浮かぶように、情緒的な製品としてファン層を開拓する余地があると思うのだが、上述の自然派志向には抵触するため、イメージ作りが鍵になるかもしれない。

フランス発の新機軸
フランス人のアウトドア志向は、カフェやレストランでのテラス席への執着ぶりにもうかがえる。たとえ蚊が飛んでこようともテラス席を諦めたくないのだ。

そうした需要を見込んで、ベンチャー企業のQistaは、ユニークな蚊のトラップを開発した。同社はピエール・ベラガンビとシモン・リラマンドの両氏が、蚊の本場である南仏ブーシュデュローヌ県で起業。Qistaの製品は、二酸化炭素(炭酸ガス)を排出して蚊をおびき出し、人体を模した匂いでさらに蚊を引き付けたところで掃除機のように吸い取る。吸い取られた蚊は、中の網にからめとられて出られなくなるというわけだ。設定や操作、稼働状況の確認などはアプリ経由で行える。化学製品と比べて環境負荷がなく、蚊のみを選択的に駆除できるという利点もある。

試験では、半径60メートル以内で蚊にさされるケースが88%減少し、1日に最大で7800匹の蚊を捕獲できたという。価格は1台につき1000ユーロ強(大型のものだと2000ユーロ強)で、このほかに消耗品の費用がかかる。既に南仏や南欧の自治体、アフリカ諸国で導入された例があり、個人や店舗による導入も広がっている。

(初出:MUFG BizBuddy 2023年8月)