BLM運動に便乗したフランスの反人種差別運動、本質には相違

投稿日: カテゴリー: フランス社会事情

米国発のBLM(Black Lives Matter)運動に連動する形で、フランスでも「アダマ委員会」が警察の暴力と人種差別に対する抗議運動を展開し、ほかの反体制運動を糾合して、幅広い支持を得ている。しかし、この運動は意外に脆弱な主張を土台にしていることがわかる。確かな根拠を欠くこの運動をBLM運動と同列に置くことには疑問がある。

1960年代に「ブラック・イズ・ビューティフル」というスローガンがあった。米国における黒人への差別に抗議し、黒人であることのプライドを高め、白人優位の価値観の転換を図った画期的なスローガンだった。しかし、それから半世紀を経た今、新型コロナの感染リスクすら無視して、BLM(Black Lives Matter)運動のデモが展開されているのを見れば、黒人の地位はその後もさほど向上せず、差別も根強いことは明白だ。

ただし、ジョージ・フロイド(以下、人名は全て敬称なし)の死がもたらした衝撃が引き金となったBLM運動には、黒人以外の人々も多数参加しており、グローバルに展開している点が従来のブラックパワーとは趣が異なる。フランスでも「アダマ・トラオレのために真実と正義を求める委員会」(以下「アダマ委員会」)という団体を中心とする抗議運動が、BLM運動と連動するかのような形で勢いを得ており、デモを開催するたびに数万人を動員することに成功している。

警察による暴力と「制度的人種差別」を糾弾するこの運動は、左派知識人やセレブ、野党の政治家からも支持されており、当局にとって無視できない脅威となりつつあり、警察にも強い心理的圧迫を及ぼすに至っている。また、リーダーのアッサ・トラオレ(35歳)は国際的にも注目を集め始めている。

「アダマ委員会」の運動は、アダマ・トラオレという当時24歳の黒人男性が憲兵隊による逮捕時に窒息死した事件に端を発している。この事件は一見すると「ジョージ・フロイド事件」に似ている。ただし、客観的にみると、BLM運動とフランスにおけるアッサ・トラオレの運動の間には相違点が多く、これを同列に論じるのはいささか無理がある。アッサ・トラオレが開始した抗議行動は実は根拠が薄弱なのだが、それがこれほど大きな運動に発展した背景には一連の要因がある。それを以下で分析してみよう。

この運動は、アダマ・トラオレを「フランス版ジョージ・フロイド」になぞらえて、警察の暴力と人種差別に抗議しているわけだが、まず「アダマ・トラオレ事件」がどのようなものかを振り返ってみよう。事件が起きたのは2016年7月19日で、場所は首都圏のボーモン・シュル・オワーズ(ヴァルドワーズ県)。憲兵隊による職務質問を受けたアダマ・トラオレが逃走し、逮捕されて憲兵隊施設に連行された際に人事不省に陥り、消防隊が呼ばれたが、手遅れで死亡が確認された。

この突然死が、憲兵による行き過ぎた暴力によるものなのか、アダマ・トラオレ自身が以前から抱えていた疾患が原因なのかが争点となっており、この点は今も裁判で争われている。なお、フランスの憲兵隊は軍の一部であると同時に警察組織の一部でもあり、広義の「警察」に含めて考えることができるので、この事件を語る際にも「警察の暴力」という表現が用いられることが多い。

逮捕の状況をもう少し詳しく辿り直してみよう。あるカップルが金銭をゆすり取られるという事件が発生し、憲兵隊は犯人に関する情報から、アダマ・トラオレの兄のバギ・トラオレを容疑者とみて捜索していた。アダマとバギが一緒にいるところを見つけた3人の憲兵が職務質問をかけようとしたところ、バギは抵抗しなかったが(バギはこの事件で有罪判決を受けている)、アダマのほうが逃げ出し、2人の憲兵が追跡したが、1人は足首を捻挫してすぐに脱落し、1人のみが追跡を続けた。アダマはいったん捕まるが、憲兵のすきをついて、再び逃げ出し、再度捕まって手錠をかけられた。

ここに謎の第三者が登場して、憲兵を襲撃し、アダマが再び逃走するチャンスを与えた。憲兵隊が無線で連絡を取りながら捜索を継続する中で、アダマはある男性の住居に逃げ込み、この男性の通報により駆けつけた3人の憲兵に逮捕された。その際に、アダマを取り押さえようと3人の憲兵が同時にのしかかり、3人分の体重で押しつぶされたために、アダマは呼吸困難に陥り、その後に運ばれる車の中で人事不省に陥った可能性があるとみられている。

ただし、この点に関する憲兵の証言には食い違いがある。2人は「3人がかりで取り押さえ」、「逮捕の際に、3人の全体重がかかった」と証言したが、もう1人はこれを否定。その後、3人の憲兵の証言は変更され、確かに3人で取り押さえたが、1人がアダマの体に膝でのしかかったものの、ほかの2人は手と足を押さえただけで、3人の合計体重で圧迫したわけではない、という説明がなされた。憲兵隊施設に到着した後の処置についても、呼ばれて応急処置を施した消防士と憲兵の間で証言に食い違いがある。

司法解剖では直接の死因が窒息死だったことは確認されたものの、その原因はアダマの疾患にあり、憲兵には責任はないとの結論が出された。ただし、2度の司法解剖の所見、その後の専門家による数回の鑑定でも内容には食い違いが多く、司法当局が命じた専門家による鑑定は憲兵の責任を否定したが、これに納得しない遺族側がパリの病院の医師に依頼した鑑定では正反対の結論が出ており、疾患説を否定し、逮捕時にアダマをうつ伏せにして体重をかけたことが窒息を招いたと結論している。

ちなみに、ラグビーのタックルでやるように、容疑者をうつ伏せにして拘束し、両手を背に回して手錠をかけるという方法は警察がよく用いる逮捕術だが、警官が背中に乗り胸部を圧迫することで窒息を招きやすく危険だとされて、近年論議を呼んでいる。

また、アダマが逃げ込んだ住居の住人の証言(3人の憲兵が駆けつけて逮捕する以前に、アダマはすでに呼吸困難に陥り、自力で立てない状態だった)が当局側の鑑定結果に大きく影響したのに、その内容に大きな矛盾があることがこれまで等閑視され、4年後の2020年夏に改めて証人喚問が行われるなど、捜査のずさんさも目立つ。

紙幅の都合もあり、これ以上の詳細には踏み込めないが、「アダマ・トラオレ事件」をめぐる関係者の証言、解剖所見、専門家の鑑定結果、検察の発表などには呆れるほど矛盾や食い違いや曖昧さが多い。これでは当局側が憲兵の不祥事を隠蔽しようとしているとの不信感を遺族が抱くのも無理はない。それに加えて、そもそもトラオレ一家は司法当局とは以前から対立関係にある。

アダマ・トラオレの父親はマリ出身で、4人の女性と結婚したが、最初の2人はフランス人、後の2人はマリ人で、マリ人の2人の妻とは重婚だった。一夫多妻を認めるマリで結婚した上で、フランスに呼び寄せて一緒に暮らしていたという。フランスでは一夫多妻は許可されていないから、この家族自体のあり方がすでに違法ということになる。子どもが17人おり、アッサとアダマは異母姉弟。父親は1999年に死去し、その後はアッサが一家の家長的な役割を担ってきた。母親を早くに亡くしたアダマにとっての母親代わりでもあった。兄弟数人が前科持ちで、アダマ自身も複数の前科がある。なお、アダマは逮捕されたときに1,300ユーロの現金のほかに、大麻を所持しており、これが逃走の一因かと思われる。

アダマの死亡をめぐる状況は不確かなままで、専門家の相矛盾する鑑定にしても、その信頼性の希薄さが浮き彫りになっただけだった。だが、アッサ・トラオレは、事件の直後から「弟のアダマは憲兵により殺された」との確信を抱き、「真実を明らかにするために」正義の裁きを要求し続けてきた。現在進められている裁判の結果がどのようなものとなろうと、彼女にとっての真実が揺るぐことはないだろう。憲兵には責任がないという判決が出れば、それは司法当局による陰謀ということで片付けられてしまうだけだ。

これは遺族の感情的反応としては十分に理解できるが、憲兵が暴力をふるったとの確証はないし、暴力があったとしても、それが死因かどうかも確かではない。真相は藪の中だ。「アダマ・トラオレ事件」が「ジョージ・フロイド事件」とは全く性質を異にするものであることはもはや明らかだろう。

ジョージ・フロイドの死はスマホのビデオカメラにより撮影され、ネットで公開された。警察官がジョージ・フロイドを膝で圧迫し続け、窒息させる様子を多数の人間が動画で確認し、ショックを受けたからこそ、強い抗議の声があがったのだ。実を言えば、ジョージ・フロイドを殺害した警察官の動機が黒人への人種差別だったかどうかは不確かだ。ただし、奴隷制度以来、黒人が不当に差別されるという構造的な人種差別が米国の歴史の一部をなしており、根強い「制度的人種差別」を背景に、多くの黒人が警察による不当な暴力に恐怖を抱いて日々暮らしているという状況がすでにあった。今回、それを証拠付けるような動画が出現したことで、警察官の不当な暴力に対する抗議が即座に人種差別に対する抗議ともなったわけだ。「ジョージ・フロイド事件」は、誰もが知っているが証拠をあげて証明するのは容易ではない、人種差別の画期的なエビデンスとしての役割を演じたことになる。

これと対照的に、「アダマ・トラオレ事件」の特徴はエビデンスの欠如にある。アッサをはじめとする遺族は、この不確実性の上に「アダマは憲兵の暴力で殺された」という被害者の物語をこしらえ、それを信じ切ることで、抗議行動を開始した。信仰と同じで、確証がないからこそ、かえって強い信念が保てるのかもしれない。

しかし、アダマの死が憲兵による暴力のせいだったとしても、それがどうして「人種差別」と結びつくのだろうか。実はアダマを最初に職質した3人の憲兵のうち、2人はアンティル出身で白人ではない。この点は保守系メディアが指摘しており、憲兵の行動が人種差別に基づいていると考えることは難しい。そもそも普通に考えて、職質に抵抗せず、逃走しなければ問題もなかったわけだが、3度も執拗に逃げ出せば、相手が黒人だろうが白人だろうが、憲兵の側でも怪しいと考えて追跡と逮捕に力が入る。仮に憲兵の行動に行き過ぎた面があったとしても、それを招いたのはアダマ自身の愚かな行動ではないかと考えられる。

アッサ自身も当初は自らの抗議行動を、必ずしも反体制運動や反人種差別運動に結びつけようとは考えていなかったことは、当時の発言からうかがわれる。しかし、都市郊外の問題地区をめぐる緊張の高まりというフランスの社会状況が、アッサの運動に非常にシンボリックな意味合いを付与する機能を果たした。移民系家族が多い問題地区では、アフリカ系の若者の大半が、たいした理由もなく職質をかける警察や憲兵隊を人種差別的だと敵視し、報復のために警官や憲兵を呼び寄せて待ち伏せし、襲撃するという事件も頻発している。

移民系のコミュニティが独自のルールで支配し、警官や憲兵がうかつに入り込めない非合法地帯もあり、「共和国の失われた領土」などと呼ばれている。こうした文脈では「警察・憲兵隊=人種差別」という等式がすでに成立しており、「アダマ・トラオレ事件」も即座にこの既製の物語の枠組みを通じて受け止められてしまった。

もう一つの重要な要素は、2005年のパリ郊外暴動事件あたりを機に登場した、新たなタイプの反植民地主義・反人種差別運動の流れだ。1980年代の「SOS Racisme」のような反人種差別運動は共和国の平等や友愛の理想を土台として差別の撤廃を呼びかけたが、新たな反人種差別運動は、共和国自体がその理想とは裏腹に人種差別を構造的・制度的に醸成しているとみなし、「国家による人種差別」を非難して、体制との対決姿勢を明確にしている。この運動の活動家だったアルマミ・カヌテやユセフ・ブラクニが2016年秋頃から軍師あるいはブレーンとしてアッサの運動に合流し、すでに持っていた強力な組織力を持ち寄ったことで、運動の次元が一変したとみられている。

ただし、カヌテやブラクニの特徴は、人種差別反対運動を、人種的なコミュニティ主義に依拠する運動に限定してしまってはならないと考えていることにあり、LGBT運動、女権運動、黄色ベスト運動など、ありとあらゆるマイノリティ運動や反体制抗議運動を糾合する「闘争のコンバージェンス」を目指している点で新世代の活動家とみなされている。

この戦略を反映して、アッサは警察の暴力や人種差別とは直接に関係がないあらゆる種類の抗議行動やデモにも姿を現し、共闘と連帯を呼びかけている。アッサ自身は「コンバージェンス」という言葉を嫌い、それぞれの運動が独自の目標や大義を維持しつつ連携する「アライアンス」を目指すと説明している。アッサ自身の明らかなカリスマ性も手伝い、この「闘争のアライアンス」は「アダマ・トラオレ事件」の4周年にあたる2020年7月19日のデモにおいても多数の参加者を動員した。

米国でフランス文学を教えるフランス人知識人(黒人女性)のマム=ファトゥ・ニアングは「普遍主義の幻想の中で生きているフランスが目を背けてきた人種差別、階級格差、女性差別などの問題をアッサが露呈させた」と評価している。

しかし、冷静に振り返ってみれば、アッサの運動の根幹にあるのは根拠の薄弱な被害者意識に過ぎない。しかも、アッサの運動は2019年にはだいぶ失速していた。そこにBLM運動が発生したので、これに巧みに便乗することで息を吹き返したのが実情だ。米国などのメディアはBLM運動に触発されてフランスでも同種の運動が展開されているかのように報じているが、それは意図的な演出による錯視にすぎないし、そもそも時系列が転倒している。確かにフランスの演出は巧みだが、本質は悪質なプロパガンダに近そうだ。

※本記事は、特定の国民性や文化などをステレオタイプに当てはめることを意図したものではありません。

(初出:MUFG BizBuddy 2020年7月)