フランス観光業の収入は、米国、スペインに次いで世界第3位、主要産業の一つである。それだけに2020年の新型コロナ危機の影響は大きく、パリなど一部地域では閑古鳥が鳴いているところもあるようだ。しかし、2019年を上回る観光客を集めている地域もあり、全体としては極端な落ち込みはないという見方も強い。本稿ではその理由について分析する。
日本でも、新型コロナ危機により観光業は大きな被害を被っている模様だが、フランス観光業界への影響も甚大だ。世界観光機関(UNWTO)によると、世界レベルでも、2020年1-5月の間の世界観光業界の逸失利益は3,200億ドルに上る。また、同期間の国際観光客数も前年同期から56%減少、これは3億人に相当する。通年では、国際観光客数は60-80%減、逸失利益は9,100億-1兆2000億ドルに達する見込みである。
フランスの国際観光客到着数は2018年に8,940万人に達し世界最大、国外からの旅行客による収入(国際観光収入)も、2018年には673億7000万ドルに達した。米国とスペインに次いで世界第3位の観光大国であるが、新型コロナ危機により、国外からの観光客も国際観光収入も大幅減となることは必至の情勢だ。ちなみに、日本の国際観光客到着数は2018年に3119万2000人で世界11位、国際観光収入は411億1500万ドルで第9位、初めて世界トップ10入りを果たした。
このように観光業は、2017年には仏GDPの7.2%(日本は約2%)を占める同国の主要産業の一つで、業界の雇用数は約200万人に達している。観光業の不振は、経済の低迷に直結しかねない。従って、仏政府は、2020年5月14日に、3-6月分の社会保険料免除、年末までの一時帰休制度の適用延長、連帯基金を通じた給付金支給の拡大などの措置を盛り込んだ180億ユーロ規模の観光業救済計画を発表し、業界支援に懸命である。
調査会社MKGが2020年7月23日時点で発表した集計によると、ホテルの客室稼働率は7月に54%(パリ首都圏除く)に留まった。業界関係者によると、7月の客足は前年同月比で15%減、8月に入ってからは10%減となっており、状況には改善傾向がみられているようだ。さらに国内客は、通常の宿泊施設よりも、仲介プラットフォームを利用した民泊を優先する傾向にあり、大手のAirbnbの場合、6月15日から7月15日までの1カ月間に、国内客の予約宿泊日数は前年同期比で70%の大幅増を記録した。また、キャンプ場も、特に設備が良いところを中心に好調だという。地方別に見ると、大西洋岸やブルターニュ地方、あるいは、コート・ダジュールを除く南仏やアルプス山脈周辺では、2019年の夏を超える観光客を集めているところもある。
逆に、パリでは、米国やアジア、あるいは中東からの外国人観光客不在のせいで、夏季バカンスに入っても、販売に供されている客室そのものが全体の42%にすぎないのに加え、客室稼働率は30.3%と前年同月を58.2ポイント下回っている状況にあるという。特に高級ホテルでその傾向が強く、パリの高級ホテルの大半はいまだに閉鎖中か、再オープンは2020年9月初めになってからという状況である。長期滞在向けのマンション型ホテルでも、特に4つ星及び5つ星クラスが不振で、7-8月の客室稼働率は前者で23%、後者で10%にすぎず、前年同期の80%と90%には遠く及ばない状況だ。
以上のデータから見て、現在の仏観光業界は、ほぼ全面的に見て、国内客に依存していることは明らかだ。外国人観光客が姿を消したのを、国内客が部分的に補っているわけである。これまで国外でバカンスを過ごしていたフランス人が、2020年の夏は国内に滞在先を変更したことが、まず国内観光業界を下支えしているようだ。この辺りに、フランス観光業界が予想を超えて健闘している理由の一端があると言っていいだろう。フランスは、国際観光収入で世界第3位であるだけでなく、国際観光支出(海外旅行者が旅行先の国(地域)へ支払う消費額)でも世界第5位につけており、今回は、そのうちの一部が国内に還流する形になったわけだ。ちなみに日本は、2012年(第8位)までは常にトップ10内にいたが、その後は姿を消している。
フランス観光業界の最大の強みは、フランス人のバカンスに対する強烈な執着だろう。よくジョークとして「日本人は仕事のために休みを取るが、フランス人はバカンスのために仕事をする」と言われるが、これは多くのフランス人にとって、まったくジョークではないと思う。こういうことを言うと、フランス人のステレオタイプを拡める見方と批判を受けそうだが、フランスに長年住むと、実際、フランス人にとってのバカンスの重要性を実感せざるを得ない。個人的な体験だが、例えばフランス人にリフォームを頼むなら、7月のバカンス前が一番良い。バカンス前に終わらせようとするので、普段では信じられないようなスピードでやってくれるのだ。逆に、バカンス中には何事もまったく動かなくなるということは、頼む方が計算に入れるべきだ。
日本では、2020年の新型コロナ危機による学校閉鎖で減ってしまった授業時間を取り戻すために、ほとんどの学校で夏休みが短縮されたようだが、フランスでは、そのような案は国民からの猛反対を受けて、あっさり潰れてしまうだろう。筆者の子どもが通う学校の保護者会では、学校側が「夏休みに補講を…」と言い始めると同時に、「バカンスの予定があるので無理!」という保護者の声があちこちから上がった。仏政府もこの点はよく心得ており、バカンスを返上して授業、といった案を持ち出すことはなかった(もしかすると政府内部では検討されたのかもしれないが、少なくともそれが表に出てくることはなかった)。
このような政府の態度には、主要産業の一つである観光業界の振興という政策的な意向が働いていると見ることはできようが、それ以上に、国民のバカンスへの執着が大きく働いているように思えてならない。フランスでは、子どもたちと一緒に夏に1カ月間バカンスに出かける人が多く、子どもたちのバカンスが短縮されるなどということは許されないのだ。日本では、逆に、夏休みが短縮されたことを密かに喜んでいる保護者の方が多いのではないだろうか。また個人的な話で申し訳ないが、筆者がよく行く中華レストランは、例年通り7月末から1カ月間の休みに入ってしまった。2020年は新型コロナ危機の影響で休業を迫られた期間がある上、それ以外でも客足が落ちていたので、夏季バカンス期間の休業はないかと思っていたが、そんな予想は完全に外れた。バカンスでいずれにせよ客がいないので休業した方がましだという考えであろうが、日本では、ただでさえ異例の事態で収入が落ちている飲食業者がバカンスを理由に1カ月も閉店するということは、考えられないことではないかという気がする。
結局のところ、日本とフランスの間での最大の違いは、日本ではバカンスは付随的なものだが、フランスでは必要不可欠だということだろう。フランスでも、もちろん1カ月ものバカンスに出かけることができない人々はいるだろうが、そういう人々の多くも、長期バカンスを取れるようになることを目指して働くのである。経済界や中道右派政権による見直しの試みにもかかわらず、この国で週労働時間35時間制が定着しているのも似たような理由からだ。もちろん労働者からの支持や失業対策の一環としてのワークシェアリング確保という側面は大きいが、国民からの支持がなければ、ここまで続くことはなかろう。
フランス人のバカンス観を考慮すると、新型コロナ危機にもかかわらず、長期的に見て、フランスの観光業界が大きく落ち込むことはないのかもしれない。ただし、外国人観光客をターゲットとしている観光地への影響は大きく、今後は、外国人観光客の呼び戻しが鍵となろう。また、例えば、都市を観光するバカンスの代わりに、過疎地域や近場でのバカンスが主流になるなど観光業のあり方そのものにも変化があるかもしれない。この辺りは、新型コロナ危機がこのまま終息するかどうかにかかって来るだろう。ただし、2020年秋から冬にかけて、新型コロナウイルスの感染が再燃するようなことがあれば、その打撃は計り知れないほどの規模となる可能性も捨てられない。
※本記事は、特定の国民性や文化などをステレオタイプに当てはめることを意図したものではありません。
(初出:MUFG BizBuddy 2020年8月)