フランスは、先進国の中でも合計特殊出生率が高い。子どものいる家庭に対する優遇税制が整っていること、仕事を続けながら子育てができる環境が整っていることなど理由は複数考えられるが、体外受精が無料であるというのも大きな理由ではなかろうか。折しもフランスでは、同性婚を解禁にするという論議の中で、同性カップルへの人工授精許可の是非が問われている。
2013年1月15日付のル・フィガロ紙に「経済危機の影響でユーロ圏の合計特殊出生率が低下」という記事が出た。記事の中のグラフを見ると、確かにそれまで右肩上がりだったギリシャやスペインの出生率が2008年を境に落ちている(それぞれ2011年時点で1.43と1.36)。ポルトガルも1.35と低い。それほど出生率が低くないとはいえ、アイルランドやオランダもやや下がり気味だ(それぞれ2.05と1.76)。しかし、フランスは2007年ごろから2前後で横ばいをキープしている(2011年1月時点で2.01)。
先進国の中でもフランスの合計特殊出生率が高いことは有名で、これについてはさまざまな理由が挙げられてきた。出産後の女性の社会復帰が容易であること、子どもの保育施設が多様で数も多いこと、家族手当やシングルペアレント向けの措置が手厚いこと、子どものいる家庭に対する優遇税制が整っていること、大学を含めて学費が基本的に無料であること、元来子だくさんの移民が前述のフランスの諸制度を利用して子だくさんであり続けていること、婚外出産が一般的であることなどである。
フランスの社会や政策において、子どもを増やし育てることへの複数の努力が結実した結果、この数字があるということだろう。しかもこの「成功した家族政策」は、経済危機くらいでは揺るがないようだ。この成功には、日本人に話すと大抵びっくりされる「体外受精が無料」という制度も貢献しているのではないだろうか。日本においては人工授精や体外受精は高額で、メンタル面だけではなく家計にも負担が大きいというイメージがあるようだ。「うまくいく保証もないのに高いお金を払うのもむなしい」と、不妊が分かった時点で子どもをつくることを諦めてしまうカップルもいる。
折しもフランスでは、同性婚解禁法案審議の中で同性カップルに人工授精を認めるかどうかで、大論争が起こっている。そこで、この機会に日本と比較しながらフランスの体外受精事情を追ってみたい。
日本では、第1子出産時の母親の平均年齢が2012年に30歳を突破したと報道され(統計は2011年時点)話題となった。当然、高齢出産率も高くなり、不妊治療や人工授精・体外受精を経た妊娠・出産も増えることになる。日本では、体外受精の中でも高度な顕微授精に1回当たり平均30万~50万円の費用が必要で、有名なクリニックや医師にかかると、この額が80万~100万円になる。各自治体は不妊治療向けの助成制度を用意しており、例えば東京であれば、1回の体外受精・顕微授精につき15万円の補助が受けられるようだ。ただしカップルは結婚していなければならず、世帯の合算所得額が年間730万円未満であることも対象者の要件である。また、助成を受けられる回数にも限りがある。
それでも、日本では2009年に2万6680人が体外受精により誕生した。2009年の出生児総数は106万9000人なので、40人に1人は体外受精で産まれているという計算になる。
対してフランスだが、フランスでも不妊治療が無制限に無料なわけではない。体外受精が無料になるのは43歳以下の女性で、回数も3回までと限度がある。ただし、3回というのは「卵子採取」の回数を指し「妊娠できるチャンス」はもっと多い。
日本であれフランスであれ、体外受精では、女性へのホルモン剤投与で体内の卵子を増やし、それを1回の採卵手術でできるだけ数多く体外に採り出す。さらに体外で精子と受精させて、受精卵(あるいはそれをもう少し育てた胚盤胞)をつくるという作業を行う。
この受精卵あるいは胚胎胞を女性の子宮に戻すわけだが、1回の採取で卵子が大量に採れ、受精卵がどれだけたくさんできても、多胎妊娠を防ぐためにフランスでは子宮に戻せるのは「受精卵三つまで」と決まっている。そこで三つ以上の受精卵や胚盤胞は「余剰」となってしまうわけだが、これらは凍結して保存する。1度目の受精卵移植で妊娠しなかった場合、この凍結受精卵・凍結胚を三つ解凍してまた子宮に戻す。2度目の受精卵移植でも妊娠せず、しかしまだ凍結受精卵・凍結胚が残っていれば、3度目の受精卵移植を行う。これでも卵子採取は1回なので「1回」と数えるわけだ。順調なサイクルであれば、1回の卵子採取で5~10の受精卵(または胚盤胞)ができるため、受精卵移植の機会は2~4回程度にはなる。従って、妊娠できるチャンスは「無料3回」の期間に10回程度はある。
またフランスの制度では、カップルは婚姻関係を結んでいなくても無料で体外受精ができる。カップルに課せられる条件は「3年以上一緒に住んでいること」で、これは友人や隣人に一筆、証明書を書いてもらえばよい。また、カップルの収入に上限はない。外国人でも、フランスに合法的に滞在していれば体外受精は無料になる。もちろん、体外受精が必要であるという医師の判断は必要だが、かなりハードルは低いといえよう。
ちなみに、2010年に人工授精によりフランスで産まれた子どもの数は5,925人、通常の体外受精は4,457人、顕微授精による体外受精は8,127人、凍結胚移植は2,561人だった。上に挙げた2009年の日本の数字には「通常の体外受精・顕微授精・凍結胚移植」が含まれるため、これに並べるフランスの数字は、4,457+8,127+2,561で1万5145人となる。フランスでは2010年に83万2800人が誕生しているので、約55人に1人が体外受精ベビーということになる。
上述の2カ国のデータは同じ年のデータではないが、体外受精がフランスよりはるかに高価な日本の方が体外受精で子どもが産まれる率は高い。では、日本で体外受精をフランスのように無料化すればどうだろうか。体外受精件数はさらに増加し「子どもが欲しいのにできない」カップルが増える確率が高まり、少子化問題の解決につながるのではないだろうか。
日本で少子化が問題視されるようになって久しい。その大きな原因は「若者が日本で子どもを産み、育てたいと思えない」ことにあるように思われる。少子化問題を解決するために、父母が仕事と子育てを両立できる環境を整えたり、育児手当を支給するのも大切な策だが、社会や若者のメンタリティーが変わるには時間がかかる。「子どもが欲しいのにできないカップル」を支援するというのは案外、即効性のある施策かもしれない。
少し話はそれるが、先にも触れた通り、フランスでは今、同性婚解禁法案が下院にて審議中だ。同性婚解禁だけでも相当な反対派がいるわけだが、現在の法案では、同性婚者に養子縁組の権利を認めており、そこがまた大きな争点となっている。政府と与党はこの流れを受け、女性同性カップルに人工授精を認める方向でいるため、さらに論議が激化している。世論調査によると、同性婚の解禁には60%の人が賛成しているが、同性カップルへの養子縁組の権利を認めることに賛成すると答えた人は、全体の46%と少数派である。
しかし、こんな大論争が起こるのも、今やこれだけ広がった体外受精という生殖医療技術があってこそだ。体外受精児を最初に世に送り出したロバート・エドワーズ英ケンブリッジ大学名誉教授がノーベル生理学・医学賞を受賞したのは2010年のこと。最初の体外受精児生誕から32年、教授は85歳になっていた。
(初出:MUFG BizBuddy 2013年2月)