フランス政府のAI開発方針

投稿日: カテゴリー: フランス産業

フランス政府が2018年3月に人工知能(AI)開発に関する方針を発表してから、1年半ほどが経った。本稿では、フランス政府の戦略を紹介した上で、同国のAI産業政策の特徴について考察する。

マクロン大統領が2018年3月29日に人工知能(AI)開発に関する方針を発表してから、既に1年半ほどが経過した。大統領が示した方針は、セドリック・ビラニ下院議員(与党「共和国前進」(LREM)所属)が同年3月28日に提出した報告書に盛り込まれた提案のほとんどを取り入れたものである。従って、ここでは、まずビラニ議員の報告書の内容を振り返ってみたい。

報告書はまず、AI普及が最も進んでいる国々として、米国、中国、英国、カナダ、イスラエルを挙げ、欧州及びフランスが緊急に挽回するべきだと強調した上で、そのための具体策として、AI関連の研究者の初任給の倍増、公共部門によるプロジェクト入札の手続き簡素化と迅速化により、独創的な研究を進めやすくする環境作りなどを提案している。また、AI開発に際して注力すべき分野として、医療、輸送、環境、防衛の4分野が挙げられている。報告書は、AIがもたらす倫理上の問題についても議論を深めるよう求めており、AI倫理に関する独立行政機関の設立を提唱。政府から諮問を受けるだけでなく、一般市民の請願も受け付ける開かれた機関とすべきだと提言している。

ビラニ議員は、数学のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞受賞者で、研究者の初任給の倍増など報告書には研究者としての立場も反映されている。

対して、マクロン大統領の示した方針では、任期満了の2022年までの期間に15億ユーロの予算がAI振興のために充当されるといわれている。また、IT・デジタル関連の公的研究所INRIAが中心となり、4、5カ所のAI学際研究機関(3IA)のネットワークを構築し、研究と人材育成を進めるとされている。加えて、研究者によるスタートアップ設立の手続き簡素化や、民間企業との協力事業に公的機関の研究者が最大50%の時間を割けるようにする形での規制緩和も予告されている。ただし、研究者の初任給倍額というビラニ議員の提案は採用されておらず、多少の温度差を感じさせるものとなっている。

一方、ルメール経済・財務相も2019年7月3日になって、大統領の約束である15億ユーロのAI振興予算の内訳を発表したが、それによると、6億5000万ユーロが研究開発(R&D)に、8億ユーロが一連の具体的なプロジェクト(医療診断の改善、サイバーセキュリティ、アルゴリズムの認証など)に充当されることになっている。

また、大企業の協力を得て、中小企業によるAI導入を促進するための取り組みにも5000万ユーロが投じられる。ルメール経済・財務相は発表に当たって、フランス単独では米国やアジアとの競争には勝てないとして、他の欧州連合(EU)諸国との協力にも期待するとの立場を明らかにする一方で、開発の量的な面での後れを取り戻すことは困難だとして、ユーザーの個人情報を尊重するAI開発など、質の面での競争を重視する方針を明らかにした。

またルメール経済・財務相は、発表と同時に、フランス大手企業8社(産業用ガスのエア・リキード、航空機のダッソー・アビエーション、エネルギーのフランス電力公社(EDF)、自動車のルノー、コングロマリットのサフラン、防衛・電子機器のタレス、エネルギーのトタル、自動車部品のヴァレオ)との協力合意にも調印した。これらの企業により構成される作業グループには、フランスの通信・オレンジ、ゲームソフトのユービーアイソフト、石油関連サービスの米シュルンベルジェ、半導体のSTマイクロエレクトロニクス、ソルボンヌ大学、パリ・サクレー大学なども参加し、企業間のデータ共有の枠組み作りを中心に協議を重ねて、年内に提言をまとめるとされている。

以上、フランス政府の戦略をまとめてみたが、このような戦略の背景には、米国や中国などの他国に対抗し得るフランス独自のAI開発が望ましいという考えがあると思われる。日本では、少子化及び人口高齢化による労働力不足という見通しに対処するために、産業やサービスへのAI導入が急がれているが、導入されるAIの国籍はそれほど問題にはなっていないように見受けられる。これは、AIそのものの開発においては米国に決定的に後れを取ってしまったことから余儀ないことなのかもしれないが、日本と同じく米国に大きく後れを取っているにもかかわらず、フランスでは、自前のAI開発は、たとえ建前であろうと、究極的な目標として掲げられねばならないのである。

このような自前技術へのこだわりは、フランスでは以前から非常に強い。例を挙げれば、1979年にサービスが開始され、ビデオテックスシステムとしては世界で唯一成功したミニテルが挙げられる。ミニテルは無料で配布されたこともあり非常に広く普及したが、1990年代から2000年代にかけては、フランスでのインターネットの普及にブレーキをかけるという結果ももたらしてしまった。しかし、その後もサービスは細々ながら継続され、最終的にサービスが打ち切られたのは2012年になってからだった。

このような自前技術へのこだわりは、一つには、フランスの独自性を尊ぶ国民性に由来すると思われる。個人主義が尊ばれる国であるからか、フランス人は独自性を重んじ、他の国や過去の例などをほとんどサーチせず、独力で物事を成し遂げようとするところがある。その結果、素晴らしく独創的なものが生まれることもあるが、あまり実用的でないものが出来上がったり、成功しても、それに至るまでの過程が非常に非効率である場合も見受けられる。

また、上述したこととも関連するが「経済ド・ゴール主義」と言ってよい長い伝統の影響もあると見られる。ド・ゴール主義とは、ド・ゴール元大統領(在任期間:1959-1969年)の政治思想であり、一言で言うと、外国(特に米国)の影響から脱し、フランスの独自性を維持しようという考えだ。フランスが独自の核抑止力を持つに至る背景となったものであり、様々な政権交代を経ても、形を変えつつ、綿々として受け継がれているものだ。このような考えは、現在ではフランスの国是である欧州建設と矛盾するという話もあるが、実際、ド・ゴール元大統領にとっての欧州建設は、あくまでもフランスを中心として米国に対抗し得る勢力を構築することを目的としたものである。そのためには、ドイツとの連携も辞さないというものであり、例えば、英国の欧州連合(EU)加盟には、米国の影響力が強まることを警戒し、最後まで反対していた。

このようなド・ゴール主義の経済面での最たる象徴は、フランスのエアバスだろう。エアバスは、1960年代からの米企業による世界旅客機市場での独占的状況に対抗するため、1970年にドイツ・フランス共同出資で設立され、現在では、米ボーイングとシェアでは拮抗するに至っている。ドイツ・フランス両国は2019年5月に、米国や中国に対抗するためとして、欧州での電気自動車(EV)電池生産に向け最大60億ユーロを投資すると発表したが、これもエアバスの成功に倣おうというものであり、源には、ド・ゴール主義があると言ってよい。

このように見てくると、フランス政府のAI戦略にも、ド・ゴール主義の影が色濃いと思われる。しかし現実は厳しく、上述のように、フランスは、AI開発においては米国などに大きく水を開けられている。それを如実に示しているのが、オレンジとドイツテレコムによるスマートスピーカー共同開発に関する一件だ。両社は2017年4月に、Djingoと名付けられたスマートスピーカーを共同開発すると発表したが、その際に、米インターネット大手に依存しないことを目標に掲げていた。

しかしながら、2018年12月には、Djingoにおいて、両社が開発したバーチャルアシスタントと米アマゾン・ドット・コム(以下、アマゾン)の音声アシスタントであるAlexaを併用すると発表、ユーザーを満足させるためには、アマゾンとの提携を受け入れざるを得ないという現実を浮き彫りにした。オレンジの最大の株主はフランス政府であり、オレンジとドイツテレコムの方針転換は、当然のことながらフランス政府の耳にも届いていたはずである。

上で引用した「フランス単独では米国やアジアとの競争には勝てない、(故に)他のEU諸国との協力にも期待する」というルメール経済・財務相のコメントも、このような現実を反映したものだ。また「開発の量的な面での遅れを取り戻すことは困難であるので、ユーザーの個人情報を尊重するAI開発など、質の面での競争を重視する」という方針も、正面から行っては勝てないので、搦手(からめて)から攻めると言っているのに等しい。この個人情報保護というのは、確かに米大手にとっては鬼門の一つであり、それなりに有効な攻め口だと思われるが、どこまで有効なのかは未知数だ。

またAIに関しては、エアバスの旅客機とは異なり、ライバルは米国だけではなく、中国もいる。ド・ゴール主義が想定していた外国の影響は主に英米であったが、今後の「経済ド・ゴール主義」では中国への対応も必要であり、フランスが独自性を維持することには、さらなる困難が予想される。とはいえ、米主導の対イラク開戦に反対したシラク元大統領がフランスの国際社会での存在感をまがりなりにも示したように、ド・ゴール主義は、時として注目すべき成果を上げることもあり、フランスが画期的なAI開発に成功し、米中に対抗し得る勢力として名乗りを上げる可能性も排除はできない。今後が注目される所以である。

(初出:MUFG BizBuddy 2019年8月)