新型コロナ危機とフランス社会のデジタル化

投稿日: カテゴリー: フランス産業

新型コロナウイルス感染危機を受け、フランスは外出制限の下に置かれ、急速なデジタル化を強いられている。本稿では、社会のデジタル化の現状とそれがもたらす問題点などを考察する。

フランスは、新型コロナウイルス感染拡大を受け、2020年3月17日から外出制限の下に置かれていたが、制限開始から55日を経て、5月11日(本稿執筆時は5月10日)に制限解除を迎える。今回の危機が、フランス社会に大きな影響を残すのは確実であり、それは、社会習慣から労働の在り方に至るまで幅広いと思われる。例えば、親しい人の間での挨拶代わりの頬へのキスや握手が、今後も習慣として生き残るかどうかはまったく分からない。

これまで、奇異の目で見られていた公共の場でのマスク着用も、むしろ奨励される可能性が大きい。また、労働の在り方に関しては、今後は、テレワークが大幅に普及し、必要不可欠でなければ、出社はむしろ奨励されなくなる可能性がある。

上で述べたようなさまざまな変化のキーワードは、「距離」である。これまでは、フランスでは、身体的距離や社会的距離が近ければ近いほどいいという傾向があった。それが、突然距離を置くことが美徳となったのだから、フランス人にとっての戸惑いは大きかった。筆者自身は、普段からテレワークなので、実はあまり外出制限の影響はなかったが、知人の中には、テレワークになって非常に苦しんだ人もいた。今後も、身体的接触を避けた方がよいという制約は、フランス社会に大きな痕跡を残すだろう。

仏自動車大手PSAのように、新型コロナウイルス対策による外出制限が解除された後も、事務職や研究職に関してはテレワークを基本的な勤務形態として採用する方針を、すでに打ち出した企業もある。また、小中学校でも、生徒達は遠隔授業を強いられたが、授業が再開されても当初は希望者のみであり、残りの生徒達向けには遠隔授業が継続される。加えて、医療現場でも、外出制限の下で遠隔診察システムが大幅に利用されたが、遠隔診察システムは、今後も普及が続くものとみられる。仏医療情報サイトのDoctissimoは、同社の遠隔診療プラットフォームを外出制限の下で特別に無料化したが、これは、今後を睨んだ長期的視野に立った戦略の一環だとみてよい。

不動産取引など、これまで当事者立ち会いの下でのサインが必要だった分野でも、時限措置だが、ビデオ会議によるサインが可能となったことにより、デジタル化が一挙に進んだ。公証人業界は、これまでも独自の電子署名システムを導入するなどデジタル化に積極的だったことが、ここに来て功を奏した。ここで注目すべきことは、フランス、ひいては欧州では、電子署名システムがかなり前から整備されていたことであろう。電子署名システムを利用することにより、特に管理職のテレワークの移行がスムーズに進んだことは見逃せない。電子署名は、欧州では、法的に整備されていたにもかかわらず、これまでは大きく普及することはなかったが、今回の危機を契機に普及が大幅に進むとみられる。

その他に、今回の危機により利用が大幅に拡大したものと言えば、オンライン・ショッピングだ。実店舗も、クリック&コレクト、オンライン予約による配達サービス、ドライブ・スルーに乗り出すところが一挙に増えた。この傾向も今後続くとみられる。

とは言え、フランス社会の急速なデジタル化の動きに障害がないわけではない。まず、テレワークに関してだが、テレワークに必須のツール(インスタント・メッセンジャー、協働型ソリューション、ビデオ会議ソリューション)のほとんどが、米インターネット大手製であり、これらのツールに対するフランス社会の依存が一挙に進んだことは指摘されるべきだろう。

この件に関しては、セドリック・オー・デジタル経済担当閣外相は、仏下院文化委員会における自らの聴聞で、外出制限以来、急速にフランスで普及したZoom(ビデオ会議ソリューション)が使用されていることに触れ、「現時点では、Zoomがユーザー・エクスペリエンスの点で最も優れていることは認めるが、デジタル経済担当閣外相である私としては、Zoomが仏国会の公式会合に利用されていることには懸念を抱かざるを得ない」と述べ、Zoomを使用しないよう強く求めた。Zoomに関しては、仏政府デジタル関連省庁間総局も、データ保護の面で問題がある上、セキュリティ・ホールも発見されており、国家公務員は使用しないよう強く勧告している。コロナ危機以来、仏経済の中国依存への懸念の声が高まっているが、この分野では、フランスが、中国ではなく、米国に依存していることが白日の下に晒されたわけである。

また、仏NGOのFramasoft(オープンソースによる協働型無料サービスを構築・ホスティング)は、外出制限から1週間ほどを経た3月22日、仏教育省に対し、Framasoftの協働型文書作成サービスであるFramapadの学校での利用を停止するよう求めた。外出制限の下で学校が遠隔教育を拡大する中、Framapadの利用も大きく伸びたが、Framasoftでは、サービスは個人や市民団体、中小企業など向けであり、公的組織は自らのリソースを利用すべきだと指摘、Framapadでの新規文書の作成をストップするよう求めた。しかし、上で触れたZoomも、一部の保護者達のセキュリティに関する懸念をよそに、遠隔授業に広く使われた。

このように今回の危機がきっかけとなり、フランスでのデジタル・ツール開発の遅れが露呈したわけだが、新型コロナ感染追跡アプリを巡る紆余曲折もその最たる例だろう。仏政府は、外出制限解除を前に、新型コロナ感染追跡アプリ開発を決め、スマホ所有者の位置特定が可能となるGPSではなく、ブルートゥースを利用することを決定した。しかしアップルは、自社製端末上でアプリがアクティブでない時にもブルートゥースがアクティブであるのは、セキュリティ上の問題があり、バッテリー消費も大きくなるとして、これに反対した。仏政府が開発するアプリでは、ブルートゥースにより接触したスマホを検出・記録する方式なので、ブルートゥースが常時稼働していないと効果が小さくなる。アップルは、グーグルと新型コロナ感染追跡ソリューション開発で合意したが、両社のソリューションが各端末上でデータが処理される分散処理型であるのに対し、仏政府が推進しているアプリは、中央のサーバーによる中央処理型であり、互換性を保つことが困難である。

アップルとグーグルが両社のソリューション開発を決定した時には、欧州主要国の大半は、フランスと同じく中央処理型を志向していたが、まずドイツ政府が、アップルとグーグルのソリューションへの乗り換えを決め、イギリスも、ドイツに追随する可能性を示唆し、仏政府はほとんど孤立してしまった。仏政府は、分散処理型にはセキュリティ上の問題があると主張したが、アップルは、中央処理型にも同じくセキュリティ上の問題があると主張、譲らない構えを見せたことから、仏政府のアプリ開発は遅れ、5月11日の外出制限解除には間に合わなかった。仏政府では、5月末には政府主導のアプリの投入ができると発表しているが、危機後に他のEU加盟国との国境が再開されることを念頭に置くと、他国との互換性確保に向け、分散型ソリューションを採用した方がよいという指摘もあり、日の目を見るかどうかも分からない。

この件に関して、オー・デジタル経済担当閣外相は、「経営が順調である(アップルのような)大企業がある政府の危機への対処努力を助けなかったということは、いつか思い出すべきことになろう(=我々は忘れないだろう)」と述べ、遺憾の意を表明したが、いささか負け犬の遠吠えの感も免れない。

危機は、社会の弱点を露呈すると共に、社会の急速な変容を促すものだが、今回の危機もその例に漏れない。フランス社会が、今回の危機で顕になった弱点にいかにして対処し、それを契機にどのような変化を見せるのか、興味は尽きない。

(初出:MUFG BizBuddy 2020年5月)