テーブルゲームを通して見る日本・フランス社会

投稿日: カテゴリー: フランス社会事情

フランスでは日本よりもテーブルゲームが盛んであり、市場規模は人口の違いを考慮すると4倍近くある。その理由の考察を通して、日本とフランスの社会の違いを考えてみる。

フランスの街を歩いていると、テーブルゲーム専門店が結構あることに気が付く。中に入ってみると、子ども向けから大人向けまで、定番ゲームから新作ゲームまで、ありとあらゆるゲームが所狭しと置かれている。花札や将棋、囲碁などの昔ながらの日本のゲームや、日本発の新作ゲームもある。

フランスのある程度の規模の都市では、テーブルゲーム・イベントを開催しているところも多く、どれも盛況を呈しているようだ。ちなみにここでいうテーブルゲームとは、トランプや花札などのカードゲームや、モノポリーなどのボードゲーム、あるいはマージャンなど人間が実際にテーブルを囲むゲームであり、ビデオゲームと対をなすものである。ビデオゲームの中にも、テーブルゲームをそのまま移植したものや、テーブルゲームに想を得たものもあるが、それらはここでは除外しておく。

このようなフランスでの状況と比較して、日本ではテーブルゲーム専門店などめったに見られないように思う。調べてみると、2016年のフランスのテーブルゲーム市場は3億2500万ユーロ(約425億3700万円)で、玩具市場全体(推定34億ユーロ)に占めるシェアは10.4%。欧州最大の市場であることが分かった。販売数は毎年平均1億1200万点に達し、2015年に発売された新作ゲーム数は3,000本で、前年比で200%超増加している。

フランスの人口は2016年時点で約6,690万人なので、単純に計算すると、フランス国民は1人当たり毎年2点近くのテーブルゲームを購入していることになる。対して、日本では、日本玩具協会の調査によると、2015年の「一般ゲーム、立体パズル、その他」の市場規模は153億円にすぎず、人口が2倍近いにもかかわらず、フランスの3分の1弱であるようだ。

フランスのテーブルゲーム市場の好調ぶりを象徴するものとして、テーブルゲームを専門とするフランス玩具メーカーAsmodee(ポケモンカードゲームのフランス販売代理店)の躍進を挙げることもできる。Asmodeeは1995年創設、2016年にはフランス市場で24%のシェアを占め、米ハスブロ(有名なボードゲームであるモノポリーを販売)を抜いてフランス最大手に躍進した。同社は、年に300点の新作を市場に投入するという多作ぶりで、テーブルゲームでの世界最大手を目指すという鼻息の荒さだ。同社の代表作の一つである絵合わせカードゲームの「ドブル」は日本でも販売されている。

日本では、テーブルゲームは、ビデオゲームやモバイルゲームに押されているような印象があるが、なぜフランスでは、テーブルゲームが健闘しているのだろうか。これにはいろいろな要因があると思われる。さまざまな説があるが、有力とみられるものの一つは、フランスの余暇の多さである。ご存じの通り、フランスでは、有給休暇の完全消化は当然のことである上、週労働時間35時間制により、レジャーに費やせる時間が日本と比較して圧倒的に多い。テーブルゲームも余暇利用の選択肢の一つだというわけである。この説は非常に有力であり、実際その通りだと思うが「他のレジャーと比較しても」フランスでテーブルゲームが高い人気を維持していることを完全には説明できない。

もう一つの説として、2008年の金融危機以来多くのフランス人の可処分所得が減少したことにより、比較的安上がりであるテーブルゲームの人気が高まったというものもある。テーブルゲームは高くても50ユーロ程度であり、一度購入してしまえば末永く遊べることから、長期的に見ると確かにコストパフォーマンスが高い。映画館に行ったり、レストランに行くよりも、かなり安上がりなのだ。もちろん、ビデオゲームでも購入してしまえば長期間遊べるものもあるが、ゲーム機そのものが高い上に、ソフトもそれなりの価格になる。また、一度クリアしてしまうと、もう二度と遊ばないというゲームも数多い。

しかしこの説では、同じく経済危機に襲われた日本と比べて、フランスでのテーブルゲームの人気が高いのはなぜかという疑問が残る。日本では、コストパフォーマンスが高いレジャーを求める人々は、基本、無料のソーシャルゲームに流れているのではないだろうか。フランスでも、無料のソーシャルゲームやモバイルゲームが高い人気を博しているが、日本との違いは「テーブルゲームにもコストパフォーマンスを追求する人々が流れている」という点だ。コストパフォーマンスが高いレジャーは他にもいろいろあるので、テーブルゲーム対ソーシャル/モバイルゲームという図式だけで考えることには問題があるかもしれないが、ここには実は、日本社会とフランス社会の違いが表れていると思われるので、少し掘り下げてみたい。

フランス人は個人主義的だとよく言われるが、実は彼らはむしろ集まることが大好きである。近所付き合いのパーティーだとか、友人同士の「アペロ」と呼ばれる集まりだとか、何かにかこつけては集まるのが好きだ。「アペロ」とは、本来は「アペリティフ(食前酒)」という意味なのだが「食前酒」を飲みながらおつまみを食べる小規模なパーティーを指すようになっており、これが頻繁に催される。

小規模と書いたが、実際には2時間や3時間かけて、グラス片手におしゃべりを楽しむもので、本番の食事前には満腹になっているか、本番の食事そのものを取らない場合もある。そのような「アペロ」の席で、さすがにおしゃべりに飽きてくると(フランス人には話好きな人が多く、話し始めると際限なく続く場合もある)、よく持ち出されるのがテーブルゲームなのである。テーブルゲームは、常連同士でも楽しめるが、初めて会った人たちの間を取り持つのにも適しており「アペロ」でまず知り合い、次いでゲームでも、という流れは、フランス人が親交を深めるパターンの一つだ。

個人主義的でありつつ、集まり好きというのは矛盾するように見えるかもしれないが、彼らの個人主義とは「社会や集団の前に個人ありき」という考えや行動にあり、別に社会や集団を否定する孤立主義を意味するものでもなく、ましてやエゴイズムとは別物だ。彼らは、外から押し付けられる集団的な行動や規律を受け入れることには抵抗するかもしれないが、それらの行動や規律が納得いくものであるのなら、拒絶もしない。

これに関しては、テーブルゲームも似たようなもので、あるゲームのルールに納得がいかないとゲームを放棄したり、ルールそのものをプレーヤーにとって納得できるものに変えてしまうフランス人が多い。もちろん、ルールの説明書くらいは読むのだが、説明書が分かりにくいと、ローカルルールやそのときだけのルールが出来上がってしまうケースが結構ある。さすがは、社会の枠組みそのものを変えてしまったフランス革命を起こした国の人々だと思う次第である。

これに対し日本では、個人の前に社会や集団ありきであり、集団的な行動や規律が優先されるケースが多いように思う。例としては、学校や職場での朝礼やラジオ体操、運動会の組み体操や行進、非常に細かい校則や社則などが挙げられよう。これら以外にも集団的行動や規律を要求される場面は枚挙にいとまなく、多くの日本人は、少なくとも外では多かれ少なかれ集団的圧力の下にあるといえよう。こういった集団的行動や規律には、正当な理由がある場合、あるいは不可避である場合も多いだろうが、実は不必要であるケース、あるいは、集団の成員が納得していなくとも「ルールだから」という理由でそのまま適用されるケースも少なくないと思われる。

上で「少なくとも外では」と書いたが、これこそが日本でテーブルゲームよりもソーシャル/モバイルゲームの方が好まれる理由の一つなのではないだろうか。つまり、外で集団的圧力にさらされているので「うち(プライベートな時間)」でまで他者と関わりたくない、だけど娯楽も欲しいと思うとき、日本人の場合は、他者がその場に必要なテーブルゲームではなく、孤独な営みであるソーシャルゲームやモバイルゲームを選択するのではないだろうか。

ソーシャルゲームやモバイルゲーム内でも、リアルあるいはバーチャルな友人とコミュニケーションを取り、他者との関わり合いがあるという見方もあるが、そのようなコミュニケーションは、何人もの人々と同じ時を過ごすテーブルゲームのコミュニケーションとは質が違うものではないだろうか。

こう書くとフランス社会の方が、外的圧力が小さいだけ住みやすい、と主張しているように思われるかもしれない。確かにそのような面はあるが、フランスには個人主義的傾向から来るあつれきや孤独というものも恐らくあるだろうし、その反動がプライベートでの集まり好きにつながっていると見ることもできるかもしれない。フランス社会がバラ色というわけでは決してない。ただ、フランス人作家のアンドレ・ジッドの「書を捨てよ、町に出よう」(寺山修司の評論や戯曲のタイトルは、これから取られている)という言葉のように、時々は、携帯やパソコンを捨て、友人たちとテーブルゲームに興じるのもよいのではないかと思う次第である。

(初出:MUFG BizBuddy 2018年5月)