フランスでは、かなり昔から景観を大切にする意識が根付いており、そのための取り組みが進んでいる。そのような取り組みには、電柱・架線がほとんどないということが大きく貢献していると思われる。対して、日本では、電柱・架線がいたるところにあり、それが当然のように思われていると感じる。このような違いがどこからくるのか、考察してみたい。
「バラ色の街」といわれるトゥールーズの街並み
出典:https://pixabay.com/fr/photos/toulouse-sud-ouest-france-toit-4017405/
いきなり私事で申し訳ないが、フランス人の妻と1年前に日本へ里帰りした時のことである。彼女が、日本ではせっかくの美しい風景も電柱や架線のせいで写真が撮りにくいと、事あるごとに不満を漏らしていたのが印象に残った。日本人は写真好きと言われるが、筆者はほとんど写真を撮らないのに対して(単に面倒なため)、彼女はあらゆる場所で写真を撮りまくる。日本に行った時も、光の具合が悪いと言い出して、同じ場所に二度行くのに付き合わされたり、電柱・架線が写らないアングル探しに長い時間付き合わされたりしたものだ。これが実は結構難しく、彼女のために電柱・架線が写らないアングルを探しつつ、こんなことをせずとも、画像修正ソフト・アプリで消してしまえばいいんじゃないかと言いそうになったが、口にするのははばかられる雰囲気だったので黙っておいた。今思いかえしても賢明な判断だったと思う。
電柱・架線のある日本の風景に慣れすぎていたせいか、鈍感な筆者はほとんど気づいていなかったのだが、確かにフランスでは電柱・架線を目にすることは少ない。それ以来、気を付けて見るようにしたところ、筆者が住んでいる街中にはまったく電柱はなかった。街の中心部から多少はずれたところにはあるのだが、景観には邪魔にならないように配置されている。パリでは、電線は最初から埋設(地中化というのが正式用語らしいが、本稿では埋設とさせてもらう)されていたらしく、埋設率は当然100%。一方、東京23区では埋設率は8%、大阪市では6%だそうだ。なお、ロンドン、香港、シンガポールでも100%、台北は96%、ソウルは50%に達している(出典:国土交通省、2018年度末時点)。本稿では、このような違いがどこからくるのか考えてみたい。
一つ確かに言えることは、フランスでは景観を大切にするという意識が、かなり古くから根付いていたということだろう。フランスでは、1913年に歴史的建造物の保存が制度化されたの続き、徐々に建造物の周囲も保存の対象とされるようになった。1930年にはパリの中心部などを含む景勝地の保全が始まり、1943年には歴史的建造物の周囲500メートルを対象とした景観保全制度も始まった。そして1962年、文化大臣を務めたアンドレ・マルロー氏(ノーベル文学賞受賞者)の下で作成された「フランスの歴史的・美的文化遺産の保護に関する法を補完し、かつ建築物修復の促進を目指した法律(通称マルロー法)」が成立した。この法に盛り込まれた景観保全地区という制度は、世界で最初の体系的な歴史的環境を保全することを目指したものと言われている。
マルロー法により、歴史的建造物が存在するか否かにかかわらず、ある特定の地区を対象とした景観保全計画の策定が可能となった。計画の対象となりうるのは、「(対象となる地区の)建物の全体、あるいは一部が歴史的・美的性質を持つか、あるいは、その維持・修復・活用を正当なものとする性質のものである場合」とされており、対象となる地区には都市計画および整備の一連のルールが課されることとなった。
ちなみに日本でも、景観条例は、金沢市伝統環境保存条例(1968年)や宮崎県沿道修景美化条例(1969年)をはじめとして、2005年時点で約500の地方自治体、および、40都道府県余りで制定されていた。しかし、これらの条例は自主的なものにとどまり、強制力を持つ景観法が成立したのは2004年(同年12月17日一部施行、2005年6月1日全面施行)になってからだ。
1977年には、主にパリを対象として、特定の建造物の周辺にある建物を対象とした高さ規制(通称フュゾー規制)も発効した。また、1985年には、山岳地帯の景観保護措置が盛り込まれた法が成立したのに続き、1986年には海岸整備・保護及び開発に関する法が、1993年には、前記の法を補完する形で、「平凡なものであるか、特筆するものであるかにかかわらず、あらゆる自然景観および都市景観を保護・活用する」ことを目指した法も成立している。再び私事で恐縮だが、地方都市の中心部にあるわが家も景観保全地区にあることから、改修の際には、市役所の許可を得ねばならなかったし、太陽光パネルを屋根に設置することはできない。また、パリの友人宅でも、天窓を開けるのにも許可が必要だったとのことだ。
このような取り組みにより、フランスの多くの場所で比較的統一された景観が維持されている。その目覚ましい例の一つとして、トゥールーズが挙げられよう。トゥールーズは、人口約50万人(都市圏では約80万人)を擁するフランス第4の大都市であり、エアバスのメインオフィスがあることで知られている。また、「バラ色の街」と呼ばれ、ほぼすべてバラ色のレンガ造りの建物群からなる見事な景観も有名である。トゥールーズの景観保全地区は200ヘクタールに及び、フランスでも最大級の広さだ。トゥールーズの場合、石ではなく、粘土を産出する地質だったことから、ローマ帝国の支配下でレンガが建築に使われたという伝統が現代にまで引き継がれたのだろう。なお、フランスの他の地域では、住居の多くが石灰岩で建てられており、街全体が灰色がかっていることが多い。
フランスにおいて景観が重要視される例として、地上風力発電反対派が、環境への影響や安全性への懸念と並んで、「風力発電の風車が醜く、景観を壊す」ということを強く主張していることが挙げられる。これは、身近な景観が変わってしまうことに対する自然な嫌悪感から発していると思われるが、地球温暖化に対する懐疑派や変化を嫌う保守勢力、環境保護派、ひいては、風力発電の発展を望まない原発推進派の思惑も絡んで、政治的な意味合いが強いものとなってしまっている。そのため、ここでは詳しくは触れないが、フランスにおける景観保全への意識の高さを示す例といえる。
フランスにおける景観保全への意識の高さには、経済的な背景もある。もっとも明確なのは観光業への寄与だろう。フランスの観光セクターの国内総生産(GDP)に占める割合は7%超(2019年時点)に達しており、基幹産業の一つだ。また、外国からの旅行者受け入れ数も、コロナ禍直前の2019年には9,000万人にまで増加し、30年以上にわたって世界第1位の座を維持し続けている。このような観光セクターの重要性から見ると、フランスの景観保全への取り組みは当然のことのように思われる。
このようなフランスの美しい景観には、本稿の冒頭で触れた電柱・架線の不在が大きく貢献していると思われる。上のトゥールーズの写真を見ると、テレビのアンテナはあるが、どこにも電柱・架線がなく、非常にすっきりした印象を与える。美的景観のためには、美しい建造物や景色などの要素が欠かせないのはもちろんだが、電柱・架線のありなしも、実は非常に大きな要素なのではないかと思われる。
これに関してだが、新海誠監督の大ヒット作であるアニメ映画「君の名は。」の舞台となった場所を訪ねるという、いわゆる聖地巡礼サイト(https://btsoken.hatenablog.com/entry/20180117/1516189167)を見ていたところ、ラストシーンで主人公たちが再会する場面が、モデルとなった場所(東京都新宿区の四ツ谷駅近くに所在する須賀神社の参道)よりも非常に美しく描かれていることに気付いた(ネタバレになったらすみません)。上記のウェブサイトを見ると、画像の方では、さまざまな要素がカットされているのに加えて、実際の写真よりも架線の数が少なくすっきりしている。もちろんこれは架空のシーンであり、アニメにおいて実際の風景を忠実に模写する必要はまったくないし、不必要な要素をカットすることは普通に行われていることだろうが、結構衝撃を受けた。
この映画はフランスでもかなりヒットしたので、日本にまで聖地巡礼に行くフランス人ファンもいるらしい。その人たちがアニメのモデルとなった場所を訪れてどう感じるのか、筆者としては非常に気になるところである。それにしても、「君の名は。」のアニメーターたちも、写真に邪魔なものは画像修正ソフト・アプリで消してしまえばいいんじゃないかという冒頭の筆者の考えと似たようなことをしているのには、少々笑ってしまった。もちろん、アニメーターたちは必要に迫られてやっているのだろうが、筆者の場合は、単によいアングルを探すのに疲れただけである。しかし、筆者のような考え方が、日本の景観の美化を阻害しているような気がしないわけではない。
ここまでフランスの景観保全に対する努力について書いてきたが、フランスに問題がないわけではない。今では、犬の糞の始末を怠った飼い主に罰金が科されることでかなり改善したといわれるが、それでも、パリでの犬の「糞害」はいまだにあると聞くし、一部にはゴミが散乱している場所もあると聞く。せっかく景観保全に力を入れているのなら、足元にも気を使ってほしいものだ。さもないと、足元ばかりを見て歩く羽目になり、美しい景色や建物を味わうことができなくなってしまう。
田舎生まれの筆者は、雑然とした日本の都市景観も好きで、初めて大都会のネオン街を見た時には衝撃を受けた。おそらく日本を訪れるフランス人たちも同じように衝撃を受けるのではないか。日本の都市景観がサイバーパンク的な映画に大きな影響を与えたというのもなるほどと思われる。また、筆者は山歩きが好きなので、日本の山岳地帯や海岸地帯の風景ももちろん好きなのだが、だからこそ、電柱・架線が目につくことが残念でならない。せっかく非常に美しい風景があるのに、もったいないと思うのだ。ただし、筆者も、日本での妻の写真撮影に付き合うのに苦労したから、このような感想を持つにいたったのであって、それまでは、電柱・架線があるのは当たり前だと感じていた。おそらく日本では、多くの人々が筆者と似たような感覚なのではないだろうか。
では、景観のために電柱や架線をすべて埋設してしまえばいいのではないかというと、そう簡単なことではない。日本の電柱本数は、平成20年の時点で、電力用が2,340万本、通信用が1,185万本だったが、電力用は毎年7万本ずつ増加しているのが現状だ(https://www.mlit.go.jp/road/road/traffic/chicyuka/chi_13_03.html)。これを全部なくすには、現在のペースでは2,700年かかるという試算もある(https://nponpc.net/whatisnonpole/)。国家事業にでもしない限り、大規模な埋設は無理だろう。また、電柱の設置に比べ、無電柱化は約10倍のコストがかかる上、工事期間も延びる。この数字はおそらく新設の場合であって、既存の電線の埋設にはさらにコストがかかると思われる。
加えて、架線埋設の場合、断線などの問題が起きた時に、目視できる架線よりも復旧により時間がかかるし、埋設のため道路を掘り返すので、道路に凸凹ができやすいというデメリットもある。また、日本で光回線のカバーが比較的速かったのは、架線工事だったからではないか。フランスでは、地下の管路(電線、ガス管や通信ケーブルなどを通す管)を通さなければならなかったので、全国をカバーするのがほぼ実現するのに10年以上を要した。このようなデメリットにもかかわらず、世界の各都市で電線の埋設が進んでいるのは、景観の保全・改善のためだけでない。埋設は、災害に強い(地震などの際に電柱が倒壊し、緊急用車両の通行を妨げる、強風や火災・落雷にも強い)、メンテナンス時の危険が小さい、道幅が広がりベビーカーや歩行者の通行が楽になる、ひいては、車の運転自体が楽になるなど、特に長期的に見て、さまざまなメリットが大きいからでもある。
日本政府は、観光立国を目指して、「2030年に訪日外国人観光客数6,000万人」(2024年の訪日外国人観光客数は約3,687万人)という大きな目標を掲げているが、そのために景観の維持・美化は必要不可欠なはずだ。電柱・架線の埋設などの無電柱化は、困難かもしれないが、このような目標の達成に大きく寄与することは間違いないだろう。当初は、たとえ観光地や都市中心部などという限定的な場所であっても構わないので、もっと積極的に推進すべきだと思う。
蛇足になるが、筆者は、欧州ではなぜすべての道路をアスファルトで舗装せず、一部に石畳が残っているのだろうと、漠然と思っていた。だが、本稿のために資料を探した際、欧州の都市の石畳には、景観美のためだけでなく実用的な意味があることを知った。欧州の石畳の道路は、ローマ時代に欧州の主要都市を結んだ石畳のローマ街道の名残とされているが、ローマ街道が主要幹線であったのに、石畳は、現在も小さな路地でも使われている。あれは、石畳の下に管路が通っている場合があるからなのだそうだ。石畳ならば、石の一部をはがせば、管路に簡単にアクセスできるし、復元も容易というわけだ。道路に凸凹ができやすいという電柱・架線埋設のデメリットの一つが解消されるわけで、なるほどと感心した次第である。
(初出:MUFG BizBuddy 2025年1月)