フランスにおけるAIへの反応について

投稿日: カテゴリー: フランス社会事情

フランス・リベラシオン紙は2023年6月20日に人工知能(AI)特集号を出した。ChatGPTが大きな注目を集めているが、同紙の試みは生成AIに対するフランス国民の関心の高さを示す象徴的な出来事だ。本稿では、同紙特集号の内容を踏まえつつ、その他の「センセーショナルな」調査なども例に取り、AI全般に対するフランスの反応を紹介する。

フランス・リベラシオン紙は、去る2023年6月20日、全紙面を使った人工知能(AI)に関する特集号を発行した。生成AIのChatGPTは、2022年11月30日にプロトタイプとして公開されて以来、その驚くべき性能と普及速度(2カ月でアクティブ・ユーザー数1億人を達成)により大きな注目を集めたが、リベラシオン紙の試みは、生成AIに対するフランス国民の関心の高さを示す象徴的な出来事と言えよう。

同紙の特集号は、2010年にフィールズ賞を受賞したセドリック・ヴィラニ氏(国民議会議員)の監修の下で制作されたが、ヴィラニ氏は特集号の社説において、原子力発電が数年のうちに炭化水素に取って代わる、あるいは、インターネットが普遍的な知識共有時代を開く、といった過去の予言がいまだに実現していないことを指摘した。また現在は、AIによるバラ色あるいは暗黒の未来を予言する言説が大量に生み出されているが、AIをセンセーショナルに取り上げることは、真実の探求を阻害しかねないと警告している。

ヴィラニ氏はそのような言説の例として、特にAIの雇用への影響に関する各種調査を挙げた上で、特集号においてはそれらの調査の問題点を深く掘り下げ、性急で単純な結論を出すのは避ける、との方針を明らかにしている。しかしながらヴィラニ氏は、悲観的なものであろうと客観的なものであろうとセンセーショナルな言説から離れた上で、AIに興味を持たないことは、AIという強力なツールが利己的あるいは悪意を持った目的に利用されるのを許すことであり、法や憲章の運用に欠かせない専門家の養成を怠ることにつながり、ひいては「AI不安」に取り憑かれることだと指摘している。

「AI不安」という言葉は、読者の皆さんには聞き慣れないものだと思うが、リベラシオン紙の特集号では重要なキーワードとして用いられている。フランスでは、数年前から「エコ不安」(英語では「eco-anxiety」。「気候不安」とも言う)という言葉が使われるようになっている。「エコ不安」とは、地球環境の危機的状況に対する慢性的な強い恐怖心のことで、不安感や喪失感、無力感、悲しみ、怒り、絶望感、罪悪感などの心理的ストレスを抱くこと。また、そのストレスが日常生活や活動に悪影響を及ぼしてしまう状態だが、フランスでは、環境への悪影響を恐れ、例えば、飛行機に乗らなくなった、あるいは乗れなくなった人々が見られるようになっている。

2021年9月に医学雑誌「ランセット」に掲載された10カ国の16~25歳、1万人を対象に行われた調査結果によると、対象者の約3分の2が気候変動について「非常にまたは極度に心配」しており、84%が「少なくとも多少は心配している」ことが明らかになっている。中でも、50%以上が不安、怒り、無力感、罪悪感を抱いており、45%以上が「日常生活や活動に悪影響を及ぼしていると感じる」と回答している。「AI不安」は「エコ不安」になぞらえた造語だが、現時点では、「エコ不安」とは異なる特徴を持つとされている。これに関しては後に触れる。本稿では、リベラシオン紙の特集号の内容を踏まえつつ、その他のいわゆる「センセーショナルな」調査なども例に取り、生成AIに限らず、フランスにおけるAI一般への反応を紹介してみたいと思う。

AIを巡っては、大きく分ければ、AIによりもたらされるユートピア的側面を強調する言説と、逆にディストピア的側面を強調する言説の2つがあり、そのどちらに傾いているかの度合いにより、さまざまなバリエーションがある。ユートピア的側面としてよく挙げられるのは、生産性の向上、人間では発見不可能な症候や特徴の発見、新たなビジネスチャンスの創出などである。逆にディストピア的側面としては、雇用の喪失、自律的殺人兵器の登場、一部の職業の消滅の可能性などが挙げられる。ただし、生産性の向上と雇用の喪失は表裏一体であるとも言える。人間では発見不可能な症候や特徴の発見も、一部の職業の消滅の可能性とは密接に結びついていると言えよう。

中でも、AIの雇用への影響は最大のディストピア的側面として挙げられることが多く、それに関する予測も数多い。ChatGPTが公開された後に発表された代表的なものとしては、2023年3月にゴールドマン・サックスが発表した調査が挙げられるだろう。調査においてゴールドマン・サックスは、生成AIが所期の能力を発揮することを条件としつつ、生成AIによる自動化によって、世界で3億人分の雇用が消滅するか非常に大きな影響を被ると予測し、衝撃を与えた。欧州と米国では、現在の雇用の約3分の2が影響を受け、生成AIは雇用の4分の1を置き換える可能性があると言う。

一方、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)が2023年6月7日に発表した調査(米国、フランス、ドイツ、英国、インドなど18カ国の1万2900人の従業員、管理職及び経営者が対象)によると、回答者のうち36%が「向こう10年間で自分の職種が生成AIにより駆逐される可能性がある」と回答した。この割合はフランスでは42%に達した。しかしながら、AIに対する見方は完全にネガティブなものとは言えない。まず、生成AIの利益を認め、興味を持っていると回答した人は全体の61%に上る。AIの雇用への影響について楽観視していると答えた人の割合は52%に達しており、2018年の前回調査時から17ポイント上昇した。一方、AIに懸念を持つと答えた人の割合は30%(フランスでは41%)で、こちらは前回調査時から10ポイント低下している。

BCGは、「AI利用は近年に大きく普及したが、AIについての知識が深まるほど、AIを好機とみなすようになることがこの調査から判明した」と説明している。調査では、全体の46%が生成型AIを少なくとも1回は使ったことがあると回答。定期的に使っている人は26%で、経営者に限るとこの割合は80%にまで上っている。BCGでは、大手企業を対象にした調査であることも影響しているだろうが、生成AI技術が急速に発展していることを示すものと説明している。

PwCが2023年6月29日に発表した調査も示唆に富んだもので、フランス国民は他国民と比べて、AIが仕事にもたらす恩恵についてそれほど楽観的でないと同時に、雇用への悪影響についてもそれほど懸念していないとの結果が出た。報告書は5年間という短期的展望に関し、AIが仕事の領域に与える影響について調査したもので、フランス人回答者(2,000人)のうち19%が、AIは生産性の向上につながると回答した。世界レベル(回答者数:5万4000人)では、この割合は31%に達している。

なお、AIのおかげで新たな能力を獲得できるという見方をする回答者の割合は、フランスでは17%にすぎず、世界レベルの27%を大きく下回った。AIが新たなビジネスチャンスを生み出すという回答の割合も14%と、世界レベルの21%を下回った。ハイテク業界、メディア業界及び電子通信業界の関係者を除くと、フランスでは、AIによる仕事へのプラスの影響については期待感が小さい。一方、AIの雇用への悪影響に関しては、AIにより自らの雇用が失われるという回答の割合は9%(公共部門では5%)にすぎず、世界レベルの13%を下回った。AIにより自らの雇用の在り方が悪化するという回答も12%で、世界レベルの14%を下回った。今後5年間にはAIの仕事への影響はないと予想する回答も27%に達した。この割合は世界レベルでは22%だった。

BCGとPwCの調査では数字に大きな隔たりがあるが、それには、PwCの調査が向こう5年間という短期的な見通しであるのに対し、BCGの調査は向こう10年間と、より長期的な見通しを尋ねたものであることが影響していると見られる。PwCの調査では、フランス国民はAIの能力をそれほど評価していないが、そのような見方こそ、AIにより短期的に職を追われるという懸念が比較的に低レベルにとどまっていることを説明するものかもしれない。

これらの調査では、AIにより脅かされる職業のリストも提示されることが多く、ChatGPTを開発した米国OpenAIによると、通訳と翻訳者、作詞家、数学者、作家、広報担当及び一部の金融アナリストが挙げられている。ゴールドマン・サックスは、事務、法務、建築家、エンジニアリング、医療、芸術及びメディアへの影響が最も大きいと見ている。個人的な話で申し訳ないが、筆者は一応翻訳を生業としており、このような予想は身に沁みるものがある。

筆者も生成AIを試し、幾つかの自動翻訳ツールも使ってみたが、自動翻訳ツールの結果を見ると、日仏翻訳であれば、細かいところでまだいろいろと(しばしば非常に大きな)問題は残るものの、大筋では理解できる訳文であり、翻訳スピードに限れば筆者よりも圧倒的に速い。こうして見ると、筆者は、おそらく翻訳家としてほぼ最後の世代の一人なのではないか、という念を禁じえない。だが逆に、遠い将来はまだしも、当面はAI翻訳のチェック要員として、翻訳者たちも生き残れるのではないかという感触も持つようになった。顧客側がチェックは要らないというような仕事は大幅に減るかもしれないが、どうしても人間によるチェックが必要な仕事はいつになってもあるだろうと思うからである。

ただ、チェックとはいえ、原文を読むことが前提条件である上、自動翻訳の訳文の場合、日本語としては正しく見える箇所に誤訳が潜んでいる可能性もあるので注意力が必要となる。場合によっては、自分で訳した方が疲れないケースも出てくるかもしれない。しかし、翻訳スピードに関しては人間を圧倒しているので、量をこなすことが必要な大量な翻訳では、AIは大いに力を発揮するだろう。

生成AIに関しても事情は似たようなところがあり、人間が作るような文章の中に誤りが混在しているケースがあるので、なおさら注意が必要になるだろう。さらに、そのような誤りを発見・特定するには、それなりの専門知識が必要と思われるので、やはり生成AI由来のコンテンツのチェック要員は必須と思われ、新たな職種が生まれる可能性がある。つまり、AIにより新たな職種が生まれる、あるいは、AIと人間の間で得意な分野に従った「すみ分け」が成立する可能性は大きい。というよりも、必然的にそうなっていくのではないか。このような見方は、実際に生成AIや自動翻訳を試した上で、それらの能力をある程度理解しないと生まれにくいもので、「AI利用は近年に大きく普及したが、AIについての知識が深まるほど、AIを好機とみなすようになることがこの調査から判明した」というBCGの説明は的を射ていると思われる。

「AIについての知識が深まるほど、AIを好機とみなすようになる」というのは、非常に重要なことであり、上で触れた「AI不安」と言える現象とも深く関わっている。AIの安全性について研究する非営利の研究組織Future of Life Institute(FLI)は2023年3月28日、GPT-4よりも強力なAIシステムの開発と運用を少なくとも6カ月間停止するように呼びかける書簡を公開し、イーロン・マスク氏や米国Appleの共同創業者スティーブ・ウォズニアック氏などの賛同を得た。その理由としては、人類にとって深刻なリスクをもたらす可能性のある一般的なタスクにおいて、人間と競合するようになったAIシステムに対する懸念が挙げられている。その他にも、AIのもたらすリスクに関する記事や論考は枚挙にいとまがなく、リベラシオン紙の特集号そのものも、部分的にはその一つである。

このような状況と、欧米における地球温暖化に関する危機的言説の一般化の間には、かなりの類似点がある。地球温暖化に関する危機的言説の方は、上で触れたように「エコ不安」を引き起こすに至っており、AIに関する危機的言説が同様の反応を引き起こしても不思議ではない。ただし現時点では、「エコ不安」と「AI不安」の間には大きな違いがある。「エコ不安」は、実際に個人の内奥とつながった抑うつ状態を引き起こすものであるのに対し、「AI不安」は、まだ個人的な「症状」をもたらすものではなく、むしろ集団的なものであることだ。「エコ不安」にも集団的パニックの要素はあるが、現在ではむしろ個人レベルで語られることが多い。一方、「AI不安」の最大の「症状」は、現状ではAIに関する危機的言説が蔓延するメディアそのものと言ってもよい。問題は、なぜこのような「AI不安」が今になって爆発しつつあるのかだが、それには生成AIの登場が密接に関係していると思われる。

AIに対する不安は漠然とした形で常に存在していたが、これまではAIは産業におけるアルゴリズムでしかなく、人間的な側面はあまり持たなかった。しかし、生成AIが人間固有のものとされてきた言語をあやつり、芸術作品さえも「創造」できるとなっては、次は何が人間から奪われてしまうのか、いつか人間はAIにより置き換えられてしまうのではないか、という根源的な恐れが突然強く意識されるようになったと言える。これは、欧米におけるロボットに対する恐れと非常に似たものだ。キリスト教の影響が強い欧米では、ロボット、特に人型ロボットは、人類の創造という神の領域を犯すことに近く、マイナス・イメージが強いようだ。人間らしい回答を瞬時に出すChatGPTには、警戒心が湧くのも無理のないことかもしれない。

また、「AI不安」には、よく分からないものへの漠然とした不安という側面もある。デジタル問題を専門とする心理学者ヴァネッサ・ラロ氏は、「人は知らないものに不安を感じるが、我々はAIを制御していると言い難い。AIに関してどのような疑問を持てばいいのか分からないので、最悪の状況が想起されてしまう。AIに関する不信感と懸念は、明確な課題に関するものではない」と指摘する。この点に関して、フランス国立科学研究センター(CNRS)のフィリップ・ユンヌマン氏は、フェイクニュースや偽画像の生成による真実や現実とのゆらぎのような明確な問題点に関する懸念と、AIによる人間の支配、あるいは、置き換えなど、長期的な漠然とした懸念を区別し、対処するよう呼びかけている。言い換えると、生成AIという未知なるものを前に、パニックに陥るのではなく、AIが現実に引き起こしている明確な問題を解決することを通じ、AIをよく知ることが必要ということだ。

フランスでのAIへの反応というテーマから多少脱線してしまったが、PwCの調査に見られるように、フランスでは、他国よりもAIへの期待がさほど大きくない上、AIへの懸念も小さいようだ。このような反応が妥当かどうかが判明するには、あと数年、あるいは数十年が必要だろう。また個人的になるが、筆者は囲碁愛好家でそれなりに強く、数年前に世界のトップ棋士がAIに敗北する前までは、生きている間はAIには負けないだろうと思っていた。しかし実際には、AIはあっという間にプロのトップ棋士でも手が届かないレベルにまで達した。アマチュアである筆者でさえ、当時は「もう囲碁なんか打ってもしょうがない」という感情にとらわれたのだから、プロ棋士たちの衝撃は遥かに大きかっただろう。将棋でも、今ではAIの方がプロ棋士よりも強いのは疑いない事実だ。しかし、囲碁も将棋も、依然としてプロ棋戦は続いているし、筆者も囲碁を打ち続けている。

この点に関する筆者なりの結論は、AIと人間の間の競争は、例えて言えば人間とスポーツカーによる100メートル競争のようなもので、条件が違いすぎて意味がないというものだ。AIの登場により、アマチュアでさえレベルは上がっているし、筆者も打碁の検討にAIを使っている。AIは便利なツールの一つと捉えればいいのではないだろうか。また、囲碁では2023年2月、人間なら誰でもひと目で見抜けるやり方でAIの「盲点」を突き、アマチュアが世界最強AIに15対局中14勝し、話題となった。これは、どんなAIにでも「盲点」があり得ることを示すものであり、AIへの過度な依存に警鐘を鳴らすものと言えよう。

結局、月並みな結論ではあるが、我々はユートピア的言説でもなく、ディストピア的言説にも傾くことなく、AIをよく知り、AI時代の到来に対して備えなければならない。ただし今後も、生成AIが我々の予想を超えた影響をもたらす可能性は十分にあり、それに備えて、社会レベルで早急な準備が必要と思われる。

※本記事は、特定の国民性や文化などをステレオタイプに当てはめることを意図したものではありません。

(初出:MUFG BizBuddy 2023年7月)