英国のEU離脱を睨んだ企業・人材の移転、フランスの誘致力は?

投稿日: カテゴリー: フランス産業

英国が欧州連合(EU)からの離脱を決めて以来、大陸側の欧州諸国では在英企業や人材の誘致合戦が行われている。フランス金融ロートシルド(ロスチャイルド)系投資銀行出身のマクロン大統領を擁するフランスも、もちろん、英金融業の誘致に向けた取り組みを行っている。パリはこの誘致合戦を制することができるだろうか?

英国が欧州連合(EU)からの離脱を決めた国民投票日の翌朝、新聞を開いて「え、そっち?」と思ったのは筆者だけだろうか。英国民が離脱を決めたことを受けて、世界の金融市場にパニックが起きたことを考えると、そうではないだろう。投票日の2016年6月23日夜の時点では、出口調査で残留派の勝利が予測されていたこともあり、翌24日未明に発表された投票結果は市場にいっそうの衝撃をもたらしたようだ。

当時のキャメロン英首相も、保守党内の欧州懐疑派からの突き上げや、欧州懐疑主義政党の英独立党(UKIP)の躍進に押され、EU離脱をめぐる国民投票の実施を決めたが、その後にEUの制度改革に関する交渉をまとめたことで、英国民に改革後のEU残留を説得できると踏んでいたようだ。首相は2015年春の総選挙で圧勝して保守党の単独政権を実現しており、この国民投票で残留が決まれば、政権の基盤を固められるはずだった。この賭けが裏目に出て退陣を余儀なくされ、さぞ落胆したことだろう。

英国のEU離脱が招く最大のリスクは経済への打撃だといわれてきた。英国のEU離脱決定は、すぐにフランス企業にも影響を与えた。クレディ・アグリコル銀行は、英ロンドンで新社屋を借りて英拠点を移転する予定だったが、投票の結果を受けてこれを凍結。フランスのジェンサイト・バイオロジクス(バイオ製薬)も、2019年6月24日に開始する予定だったロンドン株式市場への上場の手続き開始を急遽、延期した。

パリ株式市場では、英国と関係が深い企業を中心に大幅な株安が進行したが、英国との関係が希薄な企業まで大幅な株安に見舞われるなど、非合理的な動きも目立った。誰もが英国のEU離脱の末に何が起こるか予想できなかったのだろう。それから3年以上経った今も、離脱期限が数度にわたり延期され、実際に今後、外国企業と英国企業との取引あるいは英国内でのビジネスがどうなるのかは不透明なままである。

とはいえ、英国のEU離脱による経済界への影響は悪いものだけではない。在英の国際企業、特に金融業が英国から移転することを見込んで、EUの他の国々では企業や人材の誘致合戦が始まった。フランスの金融ロートシルド(ロスチャイルド)系投資銀行出身のマクロン大統領を擁するフランスでは、政府ぐるみでロンドン・シティの金融業をパリに誘致するための取り組みが進められた。その甲斐あってか、パリは、もともとロンドンに設置され、離脱に伴って移転が必要になったEU機関本部のうち、欧州銀行監督局(EBA)の誘致に成功した。EU機関本部の移転先の決定は、英国を除くEU加盟27カ国による投票でなされ、EBAについてはパリ、ダブリン、フランクフルトの3候補が第2回投票に進出。決選投票ではパリとダブリンが13票ずつの同数(1票が白紙)となり、くじ引きを経てパリに決まったという経緯があり「最後は運」という気もするが、下馬評ではダブリンが最有力候補だったにもかかわらずパリが決戦に残ったのは、フランスのルメール経済・財務相らが積極的に東欧諸国などを訪問して働きかけを行ったことも大きかったようだ。

大手銀行では、英HSBCが2018年8月に欧州事業を英国本社からHSBCフランスの統括に切り替えると発表した。具体的には、アイルランドのHSBC Institutional Trust.Services (Ireland)(証券会社)、ポーランドのHSBC Bank PolskaをHSBCフランスの子会社とし、また2019年初頭には、ベルギー、チェコ、スペイン、ルクセンブルク、イタリア、アイルランド、オランダの各投資銀行子会社をHSBCフランスの傘下に切り替える意向が明らかにされた。

バンク・オブ・アメリカ(バンカメ)は2019年11月13日、パリ市内の新社屋の開所式を開いた。開所式にはフランスのフィリップ首相も出席して、政府の歓迎ぶりをアピールした。バンカメの新社屋には400人が勤務、従来から勤務している100人に加えて、ロンドンからの移籍者を中心に300人が加わった。バンカメはパリの新社屋をEUにおけるトレーディング事業の統括拠点とし、また、フィックスドインカム分野の世界統括拠点とする。

ただし、これまでのところ他の銀行の動きは鈍く、また各行とも広報には消極的であり、実態の把握は難しいようだ。上記のHSBCの移転計画も、実際に7つの投資銀行子会社はフランスとなり、それまではロンドンでしか提供されていなかった一部のオペレーションがパリでも開始されたようだが、予告された在英トレーダーや顧客の移転は実現していない。100人程度の従業員がパリに異動したという報道もあるが、当初の発表では1,000人が移転するはずであり、パリにしてみると期待が外れた感がある。

パリ金融市場のプロモートに当たる団体パリ・ユーロプラスは、4,500~5,000人の誘致に期待しているが、2019年9月に発表されたEYの調査によると、予告されたロンドンからの合計7,000人の移転(移転先はフランスに限らず)のうち、すでに完了したのは1,000人程度にすぎないという1。JPモルガンは英国からフランスに200人を移転させる意向を示し、モルガン・スタンレーは2018年3月にパリ事業を強化してパリ拠点の人員を120人から80人を増員して200人にすると発表、ゴールドマン・サックスは数十人を欧州大陸に移転させる意向を示していたにもかかわらず、2019年11月13日付のフランスのレ・ゼコーによると、これらの銀行が実際に移転させた人数は公式には明らかでないようだ。報道は、欧州大陸への移転に対するシティ側の躊躇は、いまだ英国のEU離脱の条件やその後のシナリオが曖昧である中、急いで事を起こすことはリスクが高いと金融界が判断しているからだと分析している。

この在英企業の誘致合戦を制するのは、果たしてどの国の都市なのか。実際の移転案件数に関しては諸説あるが、移転先ランキングで1位であることが多いのは、ダブリンであるようだ。上記のEYの調査を基にした分析によると、1位のダブリンにフランクフルト、ルクセンブルクが続き、パリは4位につける。英不動産コンサルティングのナイトフランクによる移転プロジェクト(金融以外も含めて)の統計では、2位以下が若干違う。この統計でも1位は86件のダブリンだが、2位はルクセンブルク(55件)、3位がパリ(47件)、4位がアムステルダム(47件)、5位がフランクフルト(41件)となっている。

ちなみにナイトフランクは、英国のEU離脱に絡んで、2017年から2018年に移転の確定案件あるいは計画段階にある案件が349件に達し、2019年に入ってからは50案件がすでに実施されたと算定している。片や、オランダの投資誘致機関が発表した集計によると、英国からオランダに移転した国際企業の数は、英国によるEU離脱決定以来100社近くに上ったそうだ。このほかに325社がオランダへの移転を検討しているという。同統計によると、英国のEU離脱を理由にオランダに移転した最初の62社は、2,500人程度をオランダで採用し、3億1000万ユーロの投資を実現した。

最近では、米ブルームバーグと米ケーブルテレビのディスカバリーチャンネルが欧州本社を英国からオランダに移転。日本勢では、ソニーとパナソニックも英国の欧州本社をオランダに移転した。「移転案件」の定義に違いがあるからか、全ての移転案件を誰も網羅できないからか、これらの各統計には数字の開きがあるものの、総じて、誘致合戦の勝ち組に、ダブリン、アムステルダム、ルクセンブルク、フランクフルト、パリの5つが入ることに間違いなはなさそうだ。

パリ・ユーロプラスのド・ロマネ会長は2019年7月に、パリ首都圏への移転プロジェクトが200件強に上っており、8,000人の雇用創出を期待できるとコメントしている2。ユーロ・プラスは、▽フランスの外国為替市場は取引額の上では欧州随一であること、▽パリで働く金融関係者は18万人に上り、フランクフルトの10万人、ダブリンの3万人を凌ぐこと、▽大企業が国内の主要都市に散在するドイツと違い、フランスの大企業はパリに集中していることなどを挙げて、パリの魅力をアピールしている。

確かにパリは有力な移転先の一つであろうが、反対にデメリットもいくつかある。まずフランスはなんと言っても企業への課税圧力が強く、人件費がかさむ。企業の利益に占める課税(公租公課・社会保険料)の割合は60.7%と、欧州ではトップクラスである。地理的な問題もある。フランスはこれまで英国が欧州の西端にいたので、地理的に「EUの中心」にあったが、英国の離脱に加えて東欧諸国のEU加盟が進んだことで、地理的な中心地は東の方に動くような格好になった。

またEU域内には、金融関係のノウハウを蓄積したルクセンブルク、欧州中央銀行(ECB)が所在するフランクフルト、欧州委員会や欧州議会が近いブリュッセルなど強力な競合がいる。パリもEBAを誘致したわけだが、EBAは監督機関であり、ECBや欧州委のようにEUの金融政策に関して意思決定を行う機関ではない。金融関連企業は、ECBがあるフランクフルトや欧州委があるブリュッセルに拠点を構え、地理的に近い所からロビー活動を行うことには意義を見いだすかもしれないが、EBAに対してロビー活動を行うことは稀であり、EBAがあることを理由にパリを移転先に選ぶことは少ないと思われる。

そしてより社会的な観点から、フランス人は全体的に、カトリックの影響からか、昔から金融に対して妙な不信感あるいは警戒心を持つ傾向もあり、フランスは銀行家にとって決して働きやすい国ではないと考えられる点も挙げられる。ここ1年の「黄色いベスト」運動で、彼らが非難する金持ちの象徴として、高級ブランドの店舗や銀行の支店が攻撃の対象となっている(実際には破壊行為は「黄色いベスト」運動の活動家ではなく、彼らに紛れ込む過激派の犯行であるとしても)ことを見ても、フランス市民はどこかお金に縁がある人に対して反発があるように思われる。

以上、現状を雑感してみると、パリも健闘しているような気がしなくもない。英国のEU離脱決定当初、いくつかの日系金融企業がフランクフルトを移転先に選んだのが目についたが、日系の金融企業の皆さまも是非、花の都、美食の街、パリにいらしていただきたい(他の国より若干風当たりが強いかもしれないが)。いずれにせよ、英国のEU離脱による誘致合戦は、在英企業が静観の姿勢を維持する限りまだまだ続きそうだ。ちなみに、英国、フランスの商工会議所ほかの各種機関調査や報道を眺めると、英国のEU離脱問題に絡む最大の「勝ち組」は、今後どうなるかということに懸念を高める企業が駆け込む「法務・税務コンサルティング業」であるようだ。

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1 https://www.internationalinvestment.net/news/4005179/-financial-services-jobs-lost-brexit-ey
https://www.bloomberg.com/news/articles/2019-09-18/brexit-has-cost-london-just-1-000-investment-bank-jobs-so-far
2 https://investir.lesechos.fr/marches/actualites/europlace-cherche-a-imposer-paris-comme-centre-financier-de-l-apres-brexit-1860599.php

(初出:MUFG BizBuddy 2019年11月)