深刻なフランスの非識字問題

投稿日: カテゴリー: フランス社会事情

エマニュエル・マクロン経済・産業・デジタル大臣(以下、経済大臣)が就任後初のインタビューで非識字問題に触れ、後日、謝罪することとなった。しかし、経済大臣の発言は決して現実から遊離しているわけではない。経済大臣のインタビューの内容に立ち戻り、フランス社会が抱える「非識字問題」について考察する。

第2次バルス内閣で初めて入閣したエマニュエル・マクロン経済・産業・デジタル大臣(以下、経済大臣)が、就任後初のインタビューで非識字問題に触れ、後日、謝罪することとなった。2013年10月に倒産した食肉処理場GAD(ブルターニュ地方モルビアン県)の従業員について「大半が女性で、その多くが非識字者」と発言したことが問題視され、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などで当の従業員らや労働組合からも反論や批判が噴出した。ちなみに、同大臣が用いたフランス語の形容詞は「イレトレ(illettré)」で「lettre(字・学識)がない」というのが語源。日本語でも「目に一丁字なし」などの表現があるが「イレトレ」も無知・無学・無教養というような軽蔑的ニュアンスを伴う言葉であり、日本語の「非識字者」よりも露骨な表現である。言われた当人らが侮辱されたと感じるのは当然といわれている。

ただし、フランス語で読み書きができない人のことをポリティカリーコレクトに語るのはなかなか難しく、経済大臣の言葉の選択に間違いがあったとは必ずしもいえないだろう。「非識字者」を意味する類義語に「アナルファベット(analphabète)」があるが、こちらも侮辱的なニュアンスを帯びている点は同じで日本語の「非識字」のようなよりニュートラルな用語は見当たらない。

もちろん、会社倒産ですでに強いダメージを被っている人々に対して、不用意かつ無神経な発言であったことは否定できないし、経済大臣が従業員らを傷つけたことについて謝罪したのは当たり前だと思われるが、その一方で、経済大臣の発言は決して現実から遊離しているわけではない。インタビューを行ったラジオ局Europe1がその後に報じたところでは、GADの従業員の2割が実際に非識字者だったという。経済大臣がフランス社会の深刻な問題の一つに率直に言及したことは、むしろ評価されてもよい側面もあるのではないだろうか。

ただし、経済大臣の本来の目的は非識字問題を取り上げることではなかった。インタビューの内容にいったん立ち戻って、その文脈を再考してみよう。このインタビューはEurope1という大手のラジオ局の番組で行われたもので、その模様は、同局がインターネット上で提供しているビデオでも視聴できる。

経済大臣の意図は、自らが推進したい経済改革を説明する中で、労働者の日常的な問題を解消するための具体的な改革策の一例として、普通自動車運転免許証の取得手続きの簡素化を提案することだった。経済大臣は「GADの従業員の大半は女性で、そのうちには多くの非識字者がいる。彼女らは、もはや地元には未来はなく、再就職するにはそこから60キロメートルも離れた場所に働きに行くしかないようだが、通勤に必要な自動車の運転免許がない。運転免許取得のため、1,500ユーロを支払って1年間待てと言えるだろうか」と、問題を提起した。

この提言自体は失業した女性従業員らの立場に寄り添った親身で現実的なものと考えられるのではなかろうか。ここには、資格や学歴のない人々が普通自動車運転免許証という重要手段の獲得にさえも二重の不利を被ることを回避しようとする本来の意味での左派的な配慮があると同時に、フランス社会の動脈硬化を招いている行政上の規制を緩和して、柔軟化を進めようとするリベラリズムの考えが反映されており、ある意味で、マクロン経済大臣の政治的立場を如実に反映している。

同大臣は金融・経済問題の専門家として定評があり、左派陣営に属しつつも、市場原理や規制緩和を優先するリベラル系と見なされている。フランス国立行政学院(ENA)出身の高級官僚であり、また2008年から2012年にかけての数年間にロスチャイルド家の投資銀行であるRothschild & Cieで銀行家として卓抜な能力を証明し、顧客のために大型の買収案件をまとめて、欧州でも最高級のバンカーとして評価を獲得した。まだ30代という若さながら、すでに億万長者といわれる。絵に描いたようなエリートであり、成功者である。こうした人の口から「イレトレ」という言葉が出たことで、より侮蔑的な発言と受け止められ、反発した人が多かったのではないだろうか。

しかし、インタビューの情景をビデオで見る限り、同席していたラジオ局のジャーナリストの誰一人として、その場では「イレトレ」という言葉に特別な反応は示していないようだ。おそらく、政界やメディア界において、この言葉は特にタブー視されているわけではないと思われる。

実のところ、GADの従業員の非識字問題については、サパン財務・公会計大臣が労働・雇用・職業教育・労使対話大臣だった時期(2014年3月まで)に上院での発言で「一部はイレトレ」と発言しているのだが、これによって波紋が広がることはなかった。マクロン経済大臣の場合は就任直後のインタビューであったというタイミングも悪かったのかもしれないが、聴取率の高いラジオ局の放送を通じて、当事者やそれに近い人々に聞かれたことで、初めてこの言葉に対する反発が噴出したのであり、指導者層やそれに近い報道関係者の間では「労働者にイレトレが多いことは問題」だとの認識が共有されているようだ。

一部の労働組合からは、現場の状況を知らぬ大臣の軽率な発言だという批判も出たが、むしろ、驚くほど高い非識字率こそが現場の状況であり、それを覆い隠すところからは何の解決も期待できないのではないだろうか。

さて、それではフランス社会の非識字問題の実態はどのようなものだろうか。これについて信頼度の高い調査は、公式統計機関である国立統計経済研究所(INSEE)が2011-2012年に実施したもので、国民教育省はこれに依拠しつつ「非識字(illettrisme)の実態」と題した報告書を2013年11月に公表している。

それによると、18-65歳の年齢層での非識字者の数は250万人に上り、この年齢層の人口の7%を占めるという。これらの非識字者のうち53%が45歳以上の年齢層に属す。また、男女別には男性が60%、女性が40%と男性の比重が大きい。男性の場合、18-65歳の年齢層に占める非識字者の割合は9%に達している。
雇用との関係で見ると、非識字者の51%が就労しており、17%が年金生活者であり、10%が求職者、残りは非就労者となっている。また、労働人口全体から見た場合、就労者中の6%と求職者中の10%が非識字者だという。

なお、2004-2005年にも類似の調査がINSEEによって実施されており、この時は、18-65歳の年齢層での非識字者の割合は9%に上った。国民教育省は、関係者のさまざまな努力が、9%から7%への低下として結実したと強調している。

ちなみに、INSEEと国民教育省は非識字を2種類に分類しており、上記の「イレトリスム(illettrisme)」というのは、フランスの学校に就学したのに読み・書き・計算の十分な能力を身に付けずに終わった16歳以上の人のことだとしている。一方、移民などで、フランス語は話せるが、フランスでは就学していない非識字者については「アナルファベティスム(analphabétisme)」という別の用語を使っており、明確に区別している。移民の場合、特に女性は出身国において義務教育を施されていないケースが多いという。さらに、第3のカテゴリーとしてフランス語圏以外の地域出身の移民のケースが挙げられており、この場合はそもそも読み書きの能力以前にフランス語を習得する必要がある。
上記の7%というのは狭義の「illettrisme」であり、他の二つのカテゴリーも加えると、フランス本土においてフランス語が読み書きできない人の割合はかなりの水準に達することになる。

しかし、一番驚きなのは、フランスで普通に義務教育を受けながら、読み書き計算ができないままに学校を終えてしまう「illettrisme」のカテゴリーに入る人の多さだ。国民教育省の報告書はその原因などについては明確に説明していないが、このカテゴリーの人の71%が5歳のときに家庭でフランス語を話していたというデータを挙げており、3割近くが非フランス語系の移民家庭出身者であることがうかがわれる。親がフランス語を話さない家庭で育った人々にとってフランス語は母語ではなく、就学後の困難は容易に想像されるし、フランス語の読み書きを習得できずに終わるケースも多いのだろう。ただし、残りの7割は、フランス語を母語ないし、それに準じる使用言語として育ったわけで、一体どのような障壁によって読み書きに困難を感じるまま学校を終えてしまったのか、疑問が残る。

現在の革新系政府は学校での男女平等教育に力を注いでおり、理論を学校に導入しようとするものだとの論争も招いたが、この論争の是非はともかく、これに参加した保守系の多くの識者からは「学校ではまず子どもたちに読み書き計算をきちんと教えるべき」との意見が出た。こうした意見の背景には、読み書きの教育が徹底していない現状に対する危機感もあったのではなかろうか。

インターネット、ショートメッセージサービス(SMS)や電子メール、SNSなどの普及で現代社会における文字の役割は一段と重要性を増している。情報通信技術(ICT)の利用が不可欠な職場が増える中で、基本的なリテラシーが身に付いていない人はますます就労のチャンスを失いがちだ。識字率の向上が、現政権の最重要課題である失業対策の重要な一環となるゆえんである。

(初出:MUFG BizBuddy 2014年11月)