借用語はある外国文化、あるいはある外国の影響力のバロメーターであるといわれる。そこで、日本語とフランス語におけるそれぞれの言葉からの借用語を通して、日本・フランス関係の変遷について考察してみた。
フランス語を全く知らない日本人に、フランス語が起源の外来語をどのくらい知っているかと質問すると、ほとんど知らないという答えがよく返ってくるが、そういう人であっても、実は少なくとも40個ぐらいのフランス語由来の単語を使っているのが普通である。幾つか例を挙げると、アトリエ、バレエ、カフェオレ、シャンソン、クーデター、デビュー、マヨネーズ、ニュアンス、ピエロ、ポタージュ、バカンスなどだが「とんかつ」の「かつ」も、実はフランス語由来である。フランス語のcôtelette(仔牛、羊、豚などの骨付き背肉、発音はコトレット)が、英語化されcutlet(発音はカトレット)になり、それが日本語でカツレツになった上で、豚と結び付けられて「とんかつ」になったというわけである。
また、今では死語になってしまったアベックは、フランス語の前置詞であるavec(~と一緒に)がなぜかカップルを意味するようになったという変わり種だ。しかし現在では、英語起源の「カップル」に押されて姿を消してしまった。英語の単語の70%くらいがフランス語起源であることから、英語を通して日本語になった単語も実は数多く、上記に挙げた「とんかつ」などはその一つと言ってもいい。
日本語化したフランス語起源の単語を見てみると、多いのは、芸術(アバンギャルド、アンサンブル、エチュード、クレヨン、デッサンなど)、服飾・ファッション(アップリケ、オートクチュール、パンタロン、ブルゾン、プレタポルテ、ベレーなど)、料理(アラカルト、オードブル、カフェ、グラタン、グルメ、クロワッサン、コンソメなど)、お菓子(エクレア、クレープ、シュークリームなど)、社会・学問、思想(アバンギャルド、クーデター、ブルジョワ、プロレタリア、ルネサンスなど)の各分野で、これらの分野でフランスからの日本への影響が強い、あるいは強かったことがうかがわれる。
「強かった」と過去形で書いたが、これらのフランス語からの借用語は実際古いものが多く、フランス語からの新しい借用語はあまりないように思われるからだ。これは、フランスの日本への影響が小さくなっていることを反映したものと考えられる。ただし、ワインや料理の分野では、フランス語の影響は今も大きいようで(あるいは最近の料理・ワインブームで大きくなったのか)、ソムリエやデカンタージュ、あるいはジビエなど比較的新しい借用語もあるようだ。
これに対し、フランス語における日本語の借用語は近年になって大きく増えている。1980年代当時には、日本語の借用語としては、武道系(judo、karate、tatami、ippon、danなど)や、seppukuやbanzai、kamikazeなど、フランス人から見ると奇異に思われる行動や習慣、あるいはbonsaïやzen、kabuki、haïku、ikebanaなどの文化や芸術に関する単語が幾つか一般にも知られていただけだったが、1980年代を境に徐々にその数が増え始め、2000年代に入ってからは激増した。その契機となったのは、漫画とすしである。
漫画に関しては知っている方も多いと思うが、フランスは世界で日本に次ぐ第2の漫画市場であり、今やmangaという単語を知らないフランス人はいないと思われるほどだ。漫画の普及に伴い、日本のいわゆるオタク文化の語彙(ごい)も多く流入し、一般にはまだなじみが薄いが、コスプレやオタクなどの単語をフランスの新聞や雑誌で見掛けるようになった。また、漫画の中で見られる日本の風俗や産物への興味も高まり、後に触れるように、ラーメンが知られるきっかけの一つにもなった。日本のコンテンツの次元でフランスが米国に次ぐ市場となったのは、何といっても漫画とアニメの影響が大きい。
すしに関しては、中規模の都市ですしレストランがない都市はないと思われるまでに普及した。最近では、スーパーでもすしが売られるようになり、普及に拍車が掛かっている。元来フランスには、かきを除いては肉や魚の生食の習慣がなく、生魚を食べるのはすしが初めてという人たちだけだったわけで、それを考えると、すしの急速な普及は驚くべきことだ。
すしが普及したことにより、それに伴うその他の日本食への関心も高まり、例えば、みそ汁(miso soupeと呼ばれている)や日本酒(sake)も知られるようになった。ただしsakeに関しては、以前から中華レストランで出されている中国製の強い酒がなぜかsakeと呼ばれていることから、sakeというと「ああ、あの強いアルコールね」という反応が返ってくることがいまだに多い。日本酒としてのsakeが定着するのには、まだ相当な時間がかかりそうだ。
また、上記で触れたようにラーメン(ramen)も知られるようになったが、これには、漫画の「NARUTO-ナルト-」の影響が大きい。主人公のうずまきナルトはラーメン好きで、よくあるラーメン屋に通っているが、それが読者の興味をそそったようだ。フランスにはパリを除くとラーメン屋がまだほとんどないにもかかわらず、ラーメンの知名度だけは非常に高い。地方の若者からは「一度でいいからラーメンを食べてみたい」という声が結構聞かれる。ナルトは、ninjaやshuriken、katanaなどが一般に知られるきっかけにもなった。
漫画やアニメ、あるいは日本食以外では、例えばkaraokeやzen、sudokuなどは、フランス語として完全に定着したと言ってよいだろう。zenに至っては形容詞化しており「ストレスを感じない、魂が平穏である」という状態を意味するようになっている。
このように見てくると、日本語からフランス語への借用の方が、逆の場合よりも圧倒的に多いように思われるかもしれないが、実はそうでもない。最初に書いたが、フランス語を全く知らない日本人でも、40個ぐらいのフランス語からの借用語を使っているのが普通である。これに対し、日本に特に興味を持っていないフランス人が知っている日本語からの借用語は、まだせいぜい10~20個(manga、judo、karate、sushi、tsunami、kamikaze、samurai、sudoku、ninja、karaoke、origami、bonsaïなど)ぐらいのものだろう。漫画ファンや武道の愛好家であれば、話が違うのはもちろんのことだが。
このような差はどこから来るのか。フランスの日本への影響の方が、日本のフランスへの影響よりも圧倒的に古いことがおそらく理由の一つと考えられる。フランスの日本への影響は、明治維新の初めごろからのもので、すでに定着したものであるのに対し、日本のフランスへの影響はまだ日が浅い。フランスでも、19世紀末には浮世絵などの日本の文物が印象派の画家などに強烈な印象を与えたことで知られるいわゆるジャポニスムが一つの潮流となった。だが、それは一部の人々に限られた一般民衆には縁遠いものであり、戦前の一般のフランス人にとっては、日本はなじみのない遠いアジアの島国だったと思われる。日本が一般のフランス人の生活にまで影響を与え始めたのは、おそらく戦後になって、日本からの電化製品や乗用車の輸出が始まってからである。このような差が、それぞれの言語における借用語の数にも表れているわけだ。
また、日本語とフランス語における外来語の扱いの違いという側面も大きい。日本語では、漢字に始まり現在の英語由来のものに至るまで外来語には事欠かず、漢字が借用語だということが意識されていないような感じさえある。その上、日本人は新語・流行語が大好きで、外来語にも抵抗を感じない人も多い。一方、フランス人は、新語や外来語には非常に消極的といわれる。特に英語由来の外来語には、フランス語を擁護する観点から警戒感が強く、電子メール(mail)を言い換えるために、フランス語で書簡を意味する単語(courrier)から新語(courriel)を造ったり、クラウドサービスを、フランス語で「雲の中のサービス(services dans le nuage)に言い換えたりと、涙ぐましい努力をする。
広告での英語の使用にも厳しい規制がかけられており、必ずフランス語訳を付けることが義務付けられている。ただ、フランス語そのものがラテン語起源であり、ラテン語やギリシャ語に由来する借用語がたくさんあることはほとんど意識されていない。その点では、日本人にとっての漢字と同じような状況にあるのはご愛嬌(あいきょう)。いずれにせよ、このような外来語に対する厳しい見方があるにもかかわらず、フランス語として認められることは大変なことなのだ。このような事情を考慮すると、フランスで日本語由来の借用語が結構あるということは、むしろ日本のフランスへの影響の大きさを示しているといえよう。
以上、借用語から日本とフランスの関係を考察してみたが、借用語レベルでは、日本のフランスへの影響の方が、現在では、逆の場合よりも圧倒的に大きいことは確かである。また、影響の質にも変化が見られる。上記でも触れたが、日本が一般のフランス人の生活に影響を与え始めたのは、戦後になって日本の電化製品や乗用車の輸出が始まってからのことだが、その当時の日本の代名詞はトヨタや日産、あるいはソニーやパナソニックだった。要するにハードである。現在でも、自動車や電化製品が日本を代表する製品であることには変わりはないだろうが、今のフランスの若い世代にとって、日本を想起させるものはおそらく漫画やビデオゲーム、あるいはすしといった、むしろソフトに属するものだ。彼らにとっては、トヨタよりも任天堂やソニーの方がなじみ深いのかもしれない。
任天堂やソニーは、ゲーム機というハードのメーカーではあるが、ゲーム機はソフトと分かち難く結び付いており、若いフランス人にとってこれらの企業はむしろソフトに属する企業というイメージが強いだろう。このような日本のイメージの「ソフト化」に加え、ハイカルチャー(フランス人にとっては禅や能、俳句などが代表的なものだろう)というイメージから、マスカルチャー的なイメージ(漫画やアニメなど)への移行も進行した。このような変化を背景にして、一般のフランス人、特に若者層の日本への関心は非常に高まっている。これは日本にとって大きなチャンスであり、これまで以上に積極的なアプローチが求められるゆえんである。
最後になったが、現在では日本のフランスへの影響の方が強いとはいっても、それは、フランス文化よりも日本文化の方が優れているということを意味するものではないことを付け加えておく。漫画がフランスでスムーズに受け入れられたのは、フランスにはバンド・デシネという高度に発達した漫画・コミックス文化が存在していることが背景にあることを無視することはできない。また日本食への関心の高さも、フランスでの食への意識の高さを背景としている。いかなるものであれ、それを受容し得る環境がないところでは花は開かない。それは、文化においても同じことなのである。
(初出:MUFG BizBuddy 2018年8月)