太陽の光に恵まれたモロッコは、太陽エネルギー発電の発展を目指す「モロッコ・ソーラープラン」を2009年に発表した。このプランの中核となるのが、同国で最も日照時間が長いワルザザートだ。ワルザザートは、映画の街としての顔も持つ。この地の光と景色を求めて多くの映画関係者がロケに訪れ、街には世界的な映画スタジオもある。ワルザザートは、発電と映画というモロッコの大きな二つの夢の象徴でもある。
北緯30度56分(鹿児島県の霧島山は北緯31度56分)、標高1,151メートル(長野県の軽井沢とほぼ同じ)、年間降水量112ミリメートル(日本で最も降水量の少ない北海道北見市常呂は同700ミリメートル)、年間日照時間3,000時間(日本で一番日照時間が長いといわれる山梨県の甲府は同2128.7時間)。つまり、鹿児島よりさらに南に位置する軽井沢並みの高原の街だが、日照時間は日本のどこよりも長く、想像もつかないぐらいに雨が少ない。それがワルザザートだ。
ワルザザートは、モロッコ南部の観光都市マラケシュから南東へ200キロメートル、アトラス山脈を越えて東斜面を下り切った所に位置する。大ざっぱに言うと、アトラス山脈の稜線(りょうせん)を対照の軸としたとき、大西洋へ向かって100キロメートル進むとマラケシュがあり、サハラ砂漠方面へ100キロメートル進むとワルザザートがある。
年間300日以上の晴天が続くワルザザートは「砂漠気候」の街。もともとはオアシス集落だったようだが、マラケシュとサハラ砂漠を結ぶ交通の要衝であり、モロッコを保護領としていたフランスが軍の駐屯地として街を建設した。人口数万人規模の地方の中心都市だ。
澄み渡った濃いブルーの空が永遠に続くかと思われるワルザザートの街で2009年、モハメッド6世国王が「モロッコ・ソーラープラン」を発表した。炭化水素資源に乏しいモロッコは、再生可能エネルギーの開発に大きな期待をかける。電力消費が伸び続ける中で、石油、ガス、石炭の輸入を減らすと同時に、関連の地場産業を興隆させ、新しい輸出産業へと育てることが長期的な狙いでもある。数値目標は2020年に全電力の42%を再生可能エネルギーとすることで、水力、風力、太陽が14%ずつ、それぞれについて2020年をめどに2,000メガワット(MW)の発電能力を整備する。水力は1,770MW超がすでに設置済みで、風力も500MW近くを達成している。これに対してソーラープランが定める太陽エネルギーの2,000MWは、最初の160MWが2013年5月にようやく着工したところだ。この160MWの建設用地がワルザザートである。
永遠の青空の街ワルザザートでは、太陽エネルギープロジェクトが成功するかどうかの重要な指標とされる直達日射量(DNI)が世界最高水準の2,635kWh/m2/年に達する。街の周辺に広がる広大な無人の台地はソーラープランにとってはまさに理想郷であり、2,000MWのうちの500MWのキャパシティーがワルザザートの250ヘクタールの用地に設置される予定だ。
2013年5月に着工した160MWはパラボラ・トラフ型の集光型太陽熱発電(CSP)で、サウジアラビアとスペインのコンソーシアムが契約を射止めた。始動は2015年。発電所の名前はNOUR 1。NOURはアラビア語で「光」を意味する。
NOUR 1に続き、NOUR 2(パラボラ型CSP、200MW)、NOUR 3(タワー型CSP、100MW)の入札へ向けた事前選考も終了した。スペイン、アブダビ、フランス企業などが参加する七つのコンソーシアムが事前選考に残り、2014年末の入札に備える。コンソーシアムには日本企業の名前もある。
ワルザザートでは500MWのうち460MWまでが巨大なCSP発電所となる。CSPに特に期待されているのは夜間の発電だ。太陽が当たっている昼間に発電を行わねばならない太陽光(PV)発電とは異なり、CSP発電では、昼間集めた太陽熱を溶融塩などの技術を使って保存し、夜間に発電することも可能であるからだ。ソーラーパネルを使ったPV発電が行われるのは残りの数十MW分で(NOUR 4)、これもまもなく入札が始まる。
250ヘクタールの用地内には研究施設の建設も計画されている。どこまでも青い空から光が燦々(さんさん)と降り注ぐ砂漠の台地の上に壮大なソーラーコンプレックス。これが未来へ向けたワルザザートの新しい夢だ。
ワルザザートにはもう一つ、ソーラープランよりもっと歴史の長い夢が存在する。ソーラープランと同じく、太陽の光と深い青空が開いた映画都市の夢。その始まりは、デビッド・リーン監督の映画「アラビアのロレンス」(1962年)だった。
オスマン帝国に対するアラブ人の反乱を支援した英国人将校を主人公にした名作「アラビアのロレンス」の舞台はアラビア半島だが、ロケが行われたのは、ワルザザートに程近い集落アイット・ベン・ハドゥだ。日干しれんがを使った土壁の建物が並ぶこの要塞(ようさい)村はユネスコの世界遺産にも登録された美しい史跡だが、そこから国道沿いをしばらく進んでワルザザート市街に入る手前に、古代エジプトの王宮を書き割りにしたような大映画スタジオ「CLA」と「アトラス」が並ぶ。
「アトラス」は、この地方の光と景観を求めてロケに訪れる映画関係者の多さに目を付けたモロッコのホテル業界の実業家が1983年に開設したスタジオだ。ダライ・ラマ14世の半生を描いたマーティン・スコセッシ監督の「クンドゥン」(1997年)は、ほとんど全てアトラスで撮影された。一方、「CLA」は、イタリアの有名なチネチッタ・スタジオが参加して2004年に開設された世界第3ともいわれる規模のスタジオで、十字軍時代を背景にした一大スペクタクル映画「キングダム・オブ・ヘブン」(2005年)などが撮影された。
モロッコ政府が、外国映画のロケから始まった国内映画産業の発展に大きな期待をかけていることはあまり知られていない。同国の映画振興機関であるモロッコ映画センター(CCM)によると、モロッコ国内では年間20~30本の映画が制作されている。しかし、技術者の水準の向上、知的所有権の問題(海賊版対策)など取り組むべき課題はまだまだ多く、ロケ誘致や映画フェスティバルの開催に関しても他のアフリカ諸国や湾岸諸国などとの間で競争が激しくなっている。
また、配給網も未成熟だ。モロッコの人口約3,300万人に対して映画館の数は36館足らず。うち近代的なマルチプレックスはラバト、マラケシュ、カサブランカの3都市にある5館だけで、年間200万人にすぎない入場者数の58%、入場料収入の75%がこの5館に集中している。
こうした中で2012年10月、財政難にもかかわらず、映画産業向けの公的補助金を大幅増額する法案が採択され、法案採択に合わせて、映画関係者が業界の将来を協議する「第1回映画会議」が首都ラバトで開催された。同会議に寄せたあいさつの中でモハメッド6世国王は「モロッコの文化的アイデンティティー」に貢献する映画産業が必要であるとして、その振興を強く後押しする決意を表明した。
映画のロケには政治的安定が不可欠だ。政局が不安定化すれば保険会社が海外ロケに「ノー」を出す。段階的な民主化進展で「アラブの春」を乗り切り、チュニジア、リビア、エジプトのような政情不安を免れた北アフリカの王国モロッコは、この点では映画の夢を守り続けている。
大型映画にはたくさんのエキストラが出演する。地元の人々にとって、こうしたエキストラ出演は貴重な臨時収入源であり、ワルザザートの映画産業では計9万人が何らかの収入を得ているという。映画界との接触を通じて、将来、映画関係の職に就くことを夢見る若者もいる。ワルザザートの映画都市への夢は、モロッコの若者の未来への夢ともどこかで重なり合っている。
(初出:MUFG BizBuddy 2013年12月)