フランス・グルノーブル市の街頭広告撤去、その狙いと影響

投稿日: カテゴリー: フランス産業

フランス・グルノーブル市で2014年11月、街頭広告を撤去する決定が下された。欧州の都市では初めての決定で世界的にもあまり例がなかったため、大きな話題を呼んだ。この決定にはどのような背景があり、それから1年たった今、どのような効果があったのか紹介したい。

フランス・グルノーブル市(人口約16万人)のエリック・ピオル市長は2014年11月23日、市街から広告パネルを撤去するとの発表を行った。欧州の都市では、街頭広告に関する規制が厳格化された例はあるものの、このように「広告追放」の決定が下されるのは初めて。また、世界的に見てもブラジルのサンパウロが同様の施策を2007~2013年にかけて行った例がある程度である。そのため、この決定は大きな話題を呼んだ。具体的には、これらの広告パネルを提供してきた大手広告会社Aとの契約更新を行わず、新たな入札も行わずに、2015年5月までに市街から326基全ての広告パネルを撤去するという内容であった。

その後、広告パネルの撤去が実施され、その跡地には、一部で代わりに木が植えられた。また、市民用の広告塔が設置され、市民に関わる行事や文化活動の宣伝用に用いられている。ただし、グルノーブルの街から完全に広告が消え去った、というわけではない。バスや路面電車の、広告と一体となった停留所については2019年まで契約が残っており、これについては、契約期間中は撤去されない。また、個人が保有する広告パネルについては2014年12月に大型、もしくは電飾を用いた広告などを禁止すべく条例の見直し作業が始まった段階で、正式な決定までにはある程度の時間がかかる。

ところで、広告パネルの撤去に関する決定は、どのような狙いで下されたのだろうか。また、この発表が行われてから約1年が経過したが、どのような効果があったのだろうか。まず、この決定とニュースとを理解するためには、グルノーブルの市政に注目する必要がある。グルノーブル市では1995年以来、フランス社会党(以下、社会党)のミシェル・デスト氏が市長を務めてきたが、2014年の市長選挙に先立って引退を表明。市長選挙は、その後継の社会党候補である助役のジェローム・サファール氏を中心に展開されるとみられたが、ふたを開けてみれば環境政党のヨーロッパ・エコロジー=緑の党(EELV)に属し、社会党以外の左派少数政党に支持されたピオル氏(当時41歳)が当選を果たした。

ピオル氏は第1回投票で社会党候補のサファール氏を抑えてトップに立ち、その時点で既にフランス中に驚きが走ったが、この際にサファール氏は、党側の指示に反して、ピオル氏の支持に回って右派をけん制することをせず、第2回投票に進出して左派同士の対決をあえて望んだ。第2回投票では左派の2候補に加え、保守政党の国民運動連合(UMP)、極右の国民戦線の候補による四つどもえの選挙となった結果、ピオル氏が最終的に当選を果たしたという経緯があった。ピオル陣営は選挙中から特定の党とのつながりを見せる代わりに「市民集団」という名前を前面に押し出し「市民中心」の政治、「市民参加型」の政治を印象付けた。これが、社会党の中央政府に対する不満、従来型の政治体制に対する不満を持つ層を引き付け、ピオル氏の当選につながったとみられる。また、ピオル氏の若さに加え、同氏がコンピューター関連大企業の元管理職で、その拠点の国外移転に反対したことから解雇されたという異色の経歴も話題になった。

そして、ピオル氏が市長選に当たって公約として掲げた項目の一つが、市街からの広告パネルの追放であった。実は、フランス国内ではボルドー都市圏も大型の広告パネルなどを厳しく規制する方針をグルノーブル市と同時期に打ち出したのだが、グルノーブル市ほど話題にならなかった。恐らくこのグルノーブル市での政権交代のインパクトが強かったため、それにかき消されてしまったからであろうと思われる。なぜ、広告の追放なのか。その基本にあるのは、市民中心型で環境に優しい都市モデルをつくるという理念である。ルルー助役は、2014年11月24日付のリベラシオン紙上で、以下のようにその理由を挙げている。

広告パネルは、高度経済成長期に形作られた理念に基づいたもので、現代には即さない。例えば、こうしたパネルは自動車から見えるようなサイズとなっているが、これは現在の環境に優しい社会を目指すグルノーブル市のような都市には向いていない。こうした広告パネルの代わりに、市民の活動や文化活動に関する宣伝が可能な広告スペースを設けるべきだ。
現在の一部の広告は行き過ぎている。内容的に過激であったり、電飾などを含めた派手な広告が出始めており、子どもへの有害性が懸念される。
広告パネルを利用できるのは大企業だけであり、市街の小さな商店はこれを利用することができない。従って、広告パネルの存在はこうした商店に悪影響があり、ひいては市街の活気が失われることになる。

さて、大手広告会社Aがグルノーブル市に支払ってきた利用料は年間60万ユーロに上るという。都市づくりの理念はさておき、気になるのは大手広告会社Aとの契約打ち切りによって当然、市の収入は減るということであり、これは当初から社会党をはじめとする市政の野党が問題視してきた点でもあった。この点についてルルー助役は、広告パネルという媒体がインターネットとの競合により衰退傾向にあると指摘し、契約を更新したとしても、その利用料による収入は15万ユーロ程度しか見込めなかったと説明(ただし、具体的になぜ利用料の減少が見込まれるのかについては説明がない)。この程度の額であれば、新たな市政がスタートして以来、市議の減給、公用車の利用抑制といった策を通じて市の予算の引き締めに努めており、これを通じて19万ユーロの予算削減が達成されたことから、元は取れているとしている。

さて、広告パネル撤去の決定から約1年がたったが、どのような反応や影響があったのだろうか。フランス・テレビジョンのウェブサイトに掲載(2015年7月6日付)された市民の意見を見ると「広告パネルの代わりに街中の緑を増やすというのは良いアイデアだ」と歓迎する声がある一方で「そもそも広告パネルがなくなったということに気付かなかった」という無関心な声や「代わりに市が設置した(かなり大きな直方体の)広告塔が醜い」「フランスの経済が苦しい中で、消費を促す広告パネルを撤去するのは自殺行為だ」という批判的な声も聞かれる。批判的な声が多いのは、ある意味で予想通りともいえるが、それにしても市民の市政に対する反応がこのところ芳しくなく、広告撤去についても厳しい視線が向けられる機会が増加してきた。

ピオル市長の就任以来実施された施策の一つに、市民と市政担当者を近づけることを目的に創設された、両者が日常の問題について話し合いを持つ定期会合(Assises citoyennes)の開催がある。この会合には「市街における商業活動」という部会が特別に設けられ、商店などを集めた団体が参加していたのだが、これらの団体は2015年10月初めに、市政への不満からこの会合への参加を取りやめることを決定。同時に、街中でその失政を糾弾する意見書を配布し始めた。

これらの団体は「さまざまな提案を行ったにもかかわらず、市側がそれを実行に移そうとしない」「市側はさまざまな決定を相談もなく押し付けてくる」といった市側の態度を問題視する一方で、市が実施した、もしくは実施を予定している政策に関しても非難の矛先を向けている。例えば、市が計画中とされる「中心部の大通りについて乗用車の通行を禁止し、歩行者、バス、自転車にのみ通行を許可する」「大気汚染が一定のレベルを超えた日に、外部からグルノーブル市内に自動車でやってきた人に対して駐車料金を倍額にする」といった政策案は、商店への客足を遠ざけるものとして強く反対している。そして、広告の撤去に関しても、一部の広告パネルは商店によって利用されていたもので、その撤去は営業に悪影響をもたらす、という声が出ている(2015年10月28日付ラ・トリビューン紙電子版)。

市街の商店を保護する目的で行った広告の撤去であるが、今のところ狙った効果が出ていないというのが現実であるようだ。もっとも、こうした批判の背景には、数年来市街において商店の売上高が減少していることや、市内中心部で若年層の浮浪者が増加して治安が悪化しているといわれることがあるようで「市は最も重要な課題に取り組んでいない」という声が多く聞かれるのも事実である。

片や、さまざまな課題に取り組むべきグルノーブル市の懐具合は厳しい。新たな施策を行うにしてもなかなか首が回らない、というのが現状である。特に、国からの補助金は2015年に前年比で570万ユーロ減額されており、ピオル市長は市民税を引き上げないことを決定しているだけに、市の予算には余裕がない状態となっている。市は、先に述べたようなコスト削減策に加え、団体への補助金を大幅にカットすることで予算を確保しようとしている。広告撤去の発表からほどない2014年末には、世界的に名高い指揮者マルク・ミンコフスキ氏が率いる「レ・ミュジシャン・デュ・ルーブル・グルノーブル」に対する補助金の撤回を決定している。文化活動に対する宣伝はするが、一方で補助金カットというのはやや一貫性に欠き、苦しいところである。

広告撤去の発表が行われた直後、テレラマ誌(2014年11月25日付)はこの話題を取り上げ、広告パネルの撤去に関する決定は、メディアに大きく取り上げられたことで、グルノーブル市にとっては逆説的に大きな広告効果があったと指摘している。市はこの手の政策発表を得意としており、2015年9月には市内の大半の地域で自動車の制限速度を時速30キロメートルに定めることを決定、こちらも大きな話題となった。これに対し、グルノーブル市の市議を務めるポール・ブロン氏は、インターネットの情報誌Rue89(2015年3月13日付)に寄稿し「ピオル市長による市政は、時にメディア受けするエコロジー的な政策に偏向しており、社会的な政策が見られない」点を批判。「グルノーブルはいまだに社会的に脆弱(ぜいじゃく)な都市であり、貧困の進行から逃れることはできていない。地区によっては、社会・経済的な不公平が蓄積されており、世帯の22%が貧困の中で生活している」と指摘し、これに対する早急な対応を求めている。

実際のところ、フランスではグルノーブル市に対して「治安が悪い」というイメージが少なからずある。同市では2010年に強盗犯が警官隊との銃撃戦の末に死亡した事件をきっかけに、数夜にわたる暴動が発生。サルコジ大統領(当時)は、当時の県知事を解任し、警察出身の知事を任命して治安強化のシンボルとするとともに、新知事就任会見において監視カメラの大量設置などの政策を発表したが、この発表は「グルノーブル宣言」として知られている。それ以来、同様の暴動は発生していないものの、治安が十分に改善されたとはいえず、問題は非常に根深い。広告パネル撤去の経済的効果が実際に見えるのは、早くとも数年先となるだろうが、当面は、こうした市の負のイメージを少しでも忘れさせたことに最大の意義があったといえるのかもしれない。

(初出:MUFG BizBuddy 2015年11月)