在フランス日系企業のテロ対策

投稿日: カテゴリー: フランス社会事情

テロが多発するフランスに支社や子会社など現地組織を持つ日本企業、および実際に現地にいる日本人駐在員にとって、テロ対策は一大関心事だ。本稿では、在フランス日系企業がテロに対してどういった反応を示したか、日系企業にはどういった対策が立てられるのか考察してみたい。

フランス国内では、2015年1月のシャルリー・エブド襲撃事件を皮切りに、同年11月のパリ同時テロや2016年7月のニースでのトラック突入事件、北部ルーアン近郊で発生した教会襲撃事件まで、イスラム過激派の影響を受けたテロ行為・テロ未遂が多発している。よく言われることだが、イスラム過激派掃討を目的にアフリカ・中東諸国に軍事介入し「ISIL(いわゆるイスラム国)」からも「米国に続く最大の敵」と名指しされてきたフランスであるだけに、テロが起こるのも半ば当然として受け取られている部分も少なくはない。

しかし、テロリストたちが「フランス生まれの若いホームメード・テロリスト」であったことは、社会にそれなりの衝撃を与えた。これは、フランス社会に不満を持ち、過激な思想に影響される一部の若者、特にフランスの植民地であったアラブ諸国出身の移民2世たちが増加していることを意味し、テロが政治・宗教問題であると同時に根深い社会問題であることを浮き彫りにしたからだ。さらに、一般人への被害が拡大しているところに、一見「ローンウルフ(一匹おおかみ)」型で、背後に存在し得るネットワークを当局が把捉できていない、あるいは事後に容易に特定できないケースも増加している。これにより、テロ発生の予想がますます困難になり、社会不安を募らせる原因となっている。

フランスに何らかの現地組織を持つ日本企業や実際に現地にいる日本人駐在員にとっても、テロは一大関心事となった。本稿では、在フランス日系企業がテロに対してどういった反応を示したか、日系企業にはどういった対策が立てられるのかということについて考察する。

在仏日本商工会議所がパリ同時テロを受けて、会員企業約200社向けに行ったアンケート調査の結果(100社弱が回答)を引用する。
まず、テロ直後の社員の出勤に関する対応としては「通常通り」という回答が77社を数えて最も多い。「テロ後数日は自宅待機・自宅勤務(あるいは希望者などに自宅勤務を認める)」とした企業も少なくはない(27社)。旅行関連業などでは反対に、旅行者対応のために、例外的に土日営業・出勤を行ったところもあった。

在フランス社員の移動に関しては、回答企業の半数以上が「通常通り」と回答。次に多いのは「不要不急の出張は避ける」、そして「市内交通機関の利用、鉄道・飛行機の利用を避ける、空港の利用を避ける」だった。また、移動を避けて電話・ウェブ会議に切り替えるといった対応も見られた。
駐在員の家族に関しては「当地で様子を見る」という回答が圧倒的に多く、未回答を含めると80社に達している。
日本からフランス(あるいは欧州)への出張者の扱いに関しては「全面見合わせる」「必要に応じて」といった回答が多く、合計で76社。「通常通り」と答えた企業は14社だった。

この結果から、現地に関しては「通常通り」「様子を見る」「本人の要望に沿う」という対応を取った企業が多く、日本からの出張などに関しては「中止にする」「減らす」あるいは「パリの空港を使わない」という慎重な対応を取る企業が多いことが分かる。
ここから見えてくることは、正直なところ現地ではテロが起こった後に取れる有効な対策はあまりない、ということかもしれない。確固とした対テロ規則を持ち、有事の行動規範が明らかで、日本で提携する危機管理会社ともやりとりをした、と回答する企業もなくはないが少数派だ。

直接話を聞いた日本企業は、テロ直後に日本の本社や在仏日本商工会議所から指示があったこともあり、社員の安否確認をすぐに行ったところが多かった。しかし、それを除くと、いったんテロが起こってしまったら「あとは様子を見る他、特にこれといった対策は講じていない、講じられない」といった声が多く聞かれた。また、アンケートからは回答したほとんどの企業が日本の本社と密にやりとりをしていることがうかがわれるが、現地法人の生の声を聞くと「日本の本社への報告に困った」という意見も多い。日本でのテロ報道は、現地の感覚からすると若干過剰であるようにもみえるが、かといって次のテロが起こる可能性がないといえないだけに「報道されているほど危険ではない」と断言する報告もできないという。

同アンケートでは、テロ後の対策・措置の適用期間に関する質問もあるが、回答数が多いのは「(1日、1週間、といった選択肢に)該当なし」で、つまり、特にルールがない、という回答が大半となっている。

安否確認という点では、テロ対策に限らず、大事のときのために連絡網を作っているという企業も多い。しかし、フランスに工場を持ち、100人単位の社員を抱える日系メーカーから、連絡網を作成することに反対するフランス人社員がおり、結局、連絡網が作れなかったという例も聞いた。フランスでは、個人情報保護・プライバシー保護の風潮が強く、危機管理とはいえ、プライベートの電話番号を会社に教えたくないという社員も多いそうだ。このあたりは、会社の決定に従うことを当然と考える社員が多いとみられる日本とは随分と意識が違う。

この日系メーカーからは「テロが起こった後の対策や、日本の本社にどう報告するか、という問いには回答がない。それよりも現地でできることは、テロに遭わないようにする、あるいはテロに遭ったときにどう対処するかという自衛に関する社員教育を徹底することでは」という見解が寄せられており、これは明察だと思う。つまり、事後にできることは少ないが、予防策・現場での自衛策は取れるのではないか、という意見だ。

在仏日本商工会議所のアンケートの中でも、予防策の一環としてテロ事件直後には「繁華街・観光地に出向かない」といった指示を社員に出したという回答が散見された。大使館からの勧告でも、危機管理専門のコンサルタントのアドバイスでも、人が集まる場所への外出、記念式典などイベントへの参加などを避けるようにというものがある。
しかし「テロを前にしたときの現場での自衛」について指示を与えたという企業は1社(食品関連業)だけだった。

テロに遭ったときにどういう対応をするべきか。これに関してフランス政府は2015年末に「テロ攻撃の際の対応(http://www.gouvernement.fr/reagir-attaque-terroriste)」という国民向けの啓発サイトを立ち上げた。ウェブサイトでは、イラストやビデオを使って簡単だが実践的な自衛策を紹介している。

このウェブサイトによると、まず大事なのは、単純に「逃げること、現場から離れること」だ。できることなら他の人が逃げるのを助ける、壁や家具などで身を守りながら逃げる、近寄ろうとする人に警告をする、という対処も必要とされている。
次に「隠れること」。できれば他の部屋やトイレなど、鍵がかかるところに逃げ込む。柱や家具など遮蔽(しゃへい)物に隠れる、携帯など音が出るものは電源を切る、照明を切るなど居所を察知されない工夫をする。隠れる場所がない場合には、床に伏せる、携帯品で頭部を守る。そして最後は「当局に通報する」。

これらのことは一見当たり前のことのようだが、テロ現場でパニックに陥ったときに、果たして自然にこういった冷静な対応ができるだろうか。危機管理を専門にするコンサルタントによれば「一度でも避難訓練をしていると、救える命がある」のだそうだ。このコンサルタントによると、特にイベント会場や空港においては、入り口付近や人の動線をできるだけ避ける、非常口や逃げ込める場所を見つけておく、警察・警備員の位置を確認することもいざというときに役立つという。

ちなみにフランス政府のこのウェブサイトでは、特定の施設(医療施設・福祉施設、ショッピングセンター、文化施設、映画館・コンサートホール・サーカス、地方自治体、教育施設)向けのテロ対策ガイドも提供しているが、一般企業にも参考になる部分がありそうだ。

テロの自衛策としてよく挙げられるもう一つの対策は、外務省・大使館、警察、メディアなどからの「情報収集」である。在仏日本商工会議所のアンケートでも、テロ対策の一環として情報収集をしているという回答が数社からあり、また、反対にテロ情報を発信しているという企業が2社(いずれも観光関連業)あった。しかし全体的には「テロ対策としての情報収集を意識的に行っている」ところはあまりないことが分かる。

一般への「情報発信」という点から、フランス政府は2016年6月、サッカー欧州選手権(ユーロ2016)のフランスでの開催に合わせて、テロ・アラート・アプリ「SAIP」をリリースしている。テロの疑いがある場合とテロの結果として緊急事態(ダムの決壊など重大な脅威)が生じ得る場合、警報が出されてから15分以内に、スマートフォン上にアラートが表示される。位置情報をオンにしておけば、危険地域内の人に対して、危険の種類と対処の仕方に関するメッセージが送信される。また、最大8地区までの指定ができ、その地区内に異変が起こった場合には通知を受けられる。アラートをソーシャルネットワーキングサービス(SNS)などで共有する機能もある。

企業規模での包括的なテロ対策はどのように講じられるのか。大企業は専門コンサルタントを起用しているところもあるが、こういった余裕がない中小企業に向けて、中小企業経営者総連盟(CGPME)が民間セキュリティー業界団体SNESと共にテロ対策ガイドを出している。これによると、企業単位での予防・安全確保のポイントは、以下の内容となる。

1. リスク評価を行い、脅威とそれが起こる蓋然(がいぜん)性を特定する
2. できるだけ早い段階から(例えば建物・事務所への入居時から)安全に関する課題を考慮する
3. 社内で安全に関する啓発活動を行う
4. 建物・事務所の保守を怠らない
5. 出入り口を減らす、あるいは監視する
6. セキュリティー装置・災害予防装置を備える
7. 郵便物の取り扱い手順を分析する
8. 採用・サプライヤー選択時に対象となる人物・企業の身元とレファレンスを確認する
9. ITセキュリティーを確保し、情報を保護する
10. 危機管理プランを策定し、避難訓練を実施する

この他、不動産・建物や従業員を対象に保険・民事責任契約を締結すること、治安やテロリストの動きに関する政府などの公的機関およびメディアが発信する情報にアンテナを張るといったことも、テロ対策措置として挙げられている。CGPMEもパリ同時テロ後に中小企業を対象にしたアンケートを行っているが、事後に「行動様式を変えた」と答えた企業が13.01%、「企業としてテロ対策を立てた」と答えた企業が15.86%、「何も策を講じていない」と答えた企業が65.6%となったと報告している。

フランス政府は企業向けのテロ後の対策として、観光・小売・外食関連業などテロにより経済的な打撃を受けた企業に対して、2015年12月に「テロの影響を受けた企業向け措置」を発表した。この中では、テロの影響により経済的困難に陥った企業に対する支援措置(一時帰休支援の強化、減税措置の強化など)を講じている他、予防策として企業向けの治安強化措置も提案しており、警察、憲兵隊、軍による警備強化を願う企業は、県知事に対してその申請ができ、支援を受けられるようになった。

非常事態宣言やテロ警戒レベル「ビジピラット・プラン」のような大掛かりな措置から、上記のような個人向けの啓発活動やアプリ設置、企業支援に至るまで、政府のテロ対策は枚挙にいとまがないが、どこまでいってもテロの脅威をゼロにすることはできない。先に述べた通り、フランスでのテロは政治・宗教問題であると同時に、イスラム社会の一部とフランスとの長い対立の歴史を背景とした社会問題であり、簡単に解決するものではない。街中の至るところに銃を持った兵士や警察がいるパリの街には、そこはかとない不安感が漂っている。そんな中で、テロリストの最大の目的は、その語源が示す通り市民に「恐怖」を与えて社会を混乱させ、政情不安を招くことにあるのだとすれば、最も有効なテロ対策は「市民が平然と普段の生活を続ける」ことだ、という認識もフランスでは強い。

だからといって、社員の安全を預かる企業としては「特に対策を取らないことを哲学としている」などとも言えないだろう。企業組織としても、過敏になり過ぎず、しかし的確な予防・自衛・事後策が求められ、幅広な情報収集力、迅速な判断、警戒と平常心のバランス感覚が問われる難しい課題だといえる。

(初出:MUFG BizBuddy 2016年10月)