海外の本はできるだけ原書で読むべきだという考え方がある。他方で、翻訳があるなら、読みやすい翻訳でどんどん読めばいいじゃないか、という考え方もある。もちろん、その本が書かれた言語に精通しているなら基本的に原書を読むのが望ましいのだろうが、それだってケースバイケースで、内容が高度に技術的だったり、特殊な語彙が必要な本の場合は、それらの困難を克服するためにすでに多大の努力を注いでくれただろう翻訳者の背に乗っかることも悪いことではない。筆者は若い頃は前者の方針で、できるだけ原書を読んでいたし、それによって少しは語学力を身につけた利点はあったと思うが、裏をかえせば、語学力が相対的に未熟な時期に原書にこだわったせいで、あまり多くの本を読めなかったのは残念だ。今は若い頃より語学力はあると思うが、気力や忍耐力が衰えたせいもあり、翻訳で読めるものはできるだけ翻訳で読む方針に変わった。自分の人生の残り年数を考えても、読みたい本を読まずに死ぬのは嫌だから、多読優先が正しい気がする。もちろん、同じ本を生涯に何度か読み返し、新たな意味や味わいを発見するという、より深い読書の楽しみというものもあるわけだが、筆者はそういう正統派の読書人と違って、昔読んだ名著・名作・古典と言われるような本を再読しても、意外にくだらないことしか書かれていないなあ、というような失望感を覚えるほうが多い。若い頃にひどく感心した内容が今は平凡でつまらなく思えるのは、自分が成長した証拠、と勝手に自分を慰めつつ、未読本の読破を優先している。そういうわけで、翻訳の大切さをいまさらながらに感じているのだが、商売柄ちと遅すぎるきらいはある。。。