フランスの実業家ドライ氏とメシエ氏、2人の風雲児の明暗

投稿日: カテゴリー: フランス産業

フランスでは通信大手フリーを創設したグザビエ・ニエル氏など、大きな成功を収めた実業家が少なくないが、2015年に最も脚光を浴びた人物といえば、パトリック・ドライ氏をおいて他にないだろう。今回は、欧米の通信・メディア市場に大きな変動をもたらした同氏の成功ぶりを、フランスのメディア大手、ビベンディ・ユニバーサルのジャンマリ・メシエ元最高経営責任者(CEO)との比較を通じて分析する。

フランスでは通信大手フリーを創設したグザビエ・ニエル氏など、大きな成功を収めた実業家が少なくないが、2015年に最も脚光を浴びた人物といえば、通信業界専門の投資会社アルティス(ユーロネクスト・アムステルダムに上場)を傘下に収めるパトリック・ドライ氏をおいて他にないだろう。今回は、フランスだけではなく、欧米の通信・メディア市場に大きな変動をもたらしたドライ氏の成功ぶりを、同氏に20年ほど先駆けて名をはせたフランスのメディア大手、ビベンディ・ユニバーサル(以下、ビベンディ)のジャンマリ・メシエ元最高経営責任者(CEO)との比較を通じて分析する。

アルティスは2006年、英国の投資会社シンベンとの合弁Ypsoを通じて、フランスのケーブルテレビ(CATV)数社を買収した後、フランスCATV大手、Noos-UPCを相手先の資産を担保に買収するレバレッジド・バイアウト(LBO)方式で買収。社名をニュメリカブルと変更し、フランスのCATV業界をほぼ統合することに成功した。その後、2013年にはニュメリカブルの上場を機に、持株比率を24%から40%へと引き上げ筆頭株主となった。また、2014年6月にはフランスの同業ブイグ・テレコムとの激しい争いの末、ビベンディ傘下のフランスの通信、SFRの買収に成功。2015年初めには、フランス第2の通信事業者ニュメリカブル-SFRを発足させた。次いで、仮想移動体通信事業者、バージン・モバイル・フランスを推定3億2500万ユーロで買収したのに続き、ポルトガル・テレコムの国内資産を74億ユーロ、米国のCATV、サドンリンクを90億ドル、米国の同業、ケーブルビジョンを177億ドルで買収するに至った。

アルティスは、フランスの日刊紙リベラシオンと週刊誌レクスプレスを保有しているのに加え、2015年7月にフランスのテレビ・ラジオ放送局グループのネクストラジオTVとも、2019年3月以降にネクストラジオTV傘下の放送局を実質的に傘下に置くことで合意しており、ほんの数年の間に通信・メディアの大グループ形成に成功した。

上記に挙げたのは、アルティスが買収に成功したケースだが、買収には至らなかったものの、アルティスが買収ターゲットにしたとされる企業は数多い。2015年については、主なものだけでも米国のCATV大手タイム・ワーナー・ケーブル、フランスの通信ブイグ・テレコム、オランダの通信大手KPN、ベルギーの携帯電話事業BASEなどが挙げられる。

また、企業買収ではないものの、サッカーのプレミア・リーグ(英国)2016-2017年シーズンから2018-2019年シーズンまでのフランスおよびモナコでの独占放映権を3億ユーロ強(フランスの経済紙レゼコーの推定)で取得した(それまでは、ビベンディの傘下にあるフランスの有料テレビ局のカナル・プリュスが独占放映権を保持していた)。プレミア・リーグは、カナル・プリュスが保持していた唯一の欧州プロサッカーリーグの独占放映権だったことから、この報道を受けてビベンディの株価が大幅下落したのに対し、アルティスの株価が大幅に上昇するという状況が生じた。

アルティスの手法は典型的なデットファイナンスで、昨今の超低金利を背景に、銀行からの借り入れや社債発行により相次ぐ大規模な企業の合併・買収(M&A)に成功した。このような戦略に関して、フランスの通信大手オレンジのステファン・リシャールCEOは「フランスには大胆な企業経営者がいないとしばしば言われているが、ドライ氏には、明らかに国際的な大グループ形成という野心がある」と評価しつつも、現在の流動性が高い状況は永続的なものではないと指摘。相次ぐ大規模な企業買収が懸念をもたらすことも理解できると慎重な見方も示している。

リシャールCEOのように、デットファイナンスに依拠した戦略を疑問視する向きは少なくない。また、アルティスが巨額の債務を抱えていることから、フランス国内でのインフラ投資能力への懸念もささやかれており、子会社のニュメリカブル-SFR(ブランドはSFR。以下、SFR)は、ネットワークの質の低下などを理由に合併以降、携帯部門で加入者を100万人失った。フランス国内での光ファイバー加入者回線敷設でも、SFRは、大都市における共同敷設合意を結んでいるブイグ・テレコムと地方自治体から遅れを批判されている。このような状況を受け、SFRは2015年11月9日、インフラへの投資努力と並行して企業買収を小休止し、これまでに買収した資産の統合に力を入れる方針を明らかにした。

このようにアルティスの軌跡をたどると、1990年代末から2000年代初頭のインターネット・バブルの時代にもてはやされた、もう1人のフランス人実業家の姿が浮かんでくる。それは、ビベンディのメシエ元CEOだ。今はもう「忘れられた人々」の1人だが、メシエ元CEOは、1996年にビベンディの前身のカンパニー・ジェネラル・デゾー(CGE、水処理)のCEOに就任した後、1998年にビベンディに社名を変更し、フランス最大の民間企業に発展させた人物だ。彼は、コンテンツ(水や情報の流れ)とネットワーク(水道網や通信ネットワーク)の両方を支配することを戦略として掲げ、SFRを通して携帯電話事業に進出するとともに、フランスの広告大手アバス、フランスのカナル・プリュスなどを相次いで買収、水道事業など公益事業を柱としていたCGEを一大メディア・通信企業に変身させた。加えて、メシエ元CEOは、カナダのシーグラム(アルコール飲料部門とユニバーサル・スタジオなどの娯楽部門)の資産を買収した上、アルコール飲料部門を売却し、ビベンディを世界第2のメディア企業にまで押し上げた。

メシエ元CEOとアルティスのドライ氏を比べると、極めて類似点が多いことに気付く。どちらも非常に攻撃的なM&Aを繰り広げ、巨大なメディア・通信企業を構築することを目指した。あり余る(あるいは、そう見えた)流動性を武器としたことも似ている。また、両者とも米国で非常に受けが良い(あるいは良かった)ことも似ている。メシエ元CEOは、2001年9月にニューヨークのパーク・アベニューにマンションを購入して、米国に移り住んだほどだ。ドライ氏も、米経済紙ウォールストリート・ジャーナルで大々的に取り上げられるなど、米国での評価が高い(参考:http://blogs.wsj.com/moneybeat/2015/09/17/patrick-drahis-sudden-rise-to-the-top-of-the-cable-heap/)。

この他、コンテンツとネットワークの両方の支配を目指している(目指した)ことも類似点といえよう。しかしその後、メシエ元CEOの栄光は失われた。ビベンディは、2002年には通信部門で190億ユーロ、水処理部門で140億ユーロの赤字を計上した。その理由は、買収した資産の減損処理によるものだった。ビベンディの株価は、2000年3月の150ユーロから2002年4月には38ユーロにまで下落し、メシエ元CEOは2002年7月に辞任を余儀なくされた。

ドライ氏もメシエ元CEOと同じ運命をたどるというつもりはない。なぜなら、ドライ氏とメシエ元CEOの時代背景には大きな違いがあるからだ。ドライ氏とメシエ元CEOは、共にコンテンツとネットワークの支配を戦略としている(していた)と思われるが、メシエ元CEOの時代には、インターネットの接続環境が整備されていなかったことから、たとえコンテンツを持っていたとしても、ネットワークを通じてそれを配信することは難しかっただろう。近年、主流になりつつあるストリーミングも、2001年ごろにようやく技術として成熟し始める段階にあった。

それに対し、現在では映像であれ音楽であれ、コンテンツを配信する条件はそろっている。適切なビジネスモデルさえ確立されれば、ドライ氏の戦略が実を結ぶ可能性は大きい。また、ドライ氏は、買収した企業におけるコスト削減で辣腕(らつわん)を振るってきたという実績もある。それが行き過ぎて、例えばSFRはアルティスに買収されて以来、支払いサイトが大幅に延び、フランス経済・財政・産業省が発表した経営的に問題があるフランス企業に関するリストに掲載されたほどだ。

メシエ元CEOの失脚には、2001年9月11年の米同時多発テロが大きく影響したインターネット・バブルの崩壊が直接影響したが、このような環境の激変がなく、メシエ元CEOの時代がさらに続いていたなら、成功者として名を残していたかもしれない。ドライ氏の場合は、メシエ元CEOよりも技術的・経済的環境に恵まれている感がある。ただし、米連邦準備制度理事会(FRB)が先に利上げに踏み切ったことは懸念材料だろう。ドライ氏がメシエ元CEOと同じ道をたどってしまうのか、それともさらなる飛躍を遂げるのか、今後が楽しみである。

(初出:MUFG BizBuddy 2016年1月)