パン屋のポワラーヌ、商標を巡って

投稿日: カテゴリー: フランス産業

商標登録を行う意味は、登録した製品やサービスの区分(業種や分野)と地域において、その商標を排他的に使用できることにある。ところが例外として、先行登録があっても自身の姓を社名や商号や屋号に使うことは認められている。先行登録商標があるのに自身の姓を使用して商業活動ができる条件とは何か? その限界はどこか? ある商標裁判の事例は疑問の一部に答えてくれている。

1980年代後半にパリに住み始めた頃から、老舗パン屋のポワラーヌを贔屓にしている。ポワラーヌの田舎パンの薄切りに具をのせてオーブンで軽く焼いた、オープントーストサンドを出してくれるカフェがあって、カウンターで立ったまま、グラスワインと共にこれを食すと、パリジャン・パリジェンヌ気分になれる。
家から徒歩10分程のスーパーMでもポワラーヌのパンが買えるので、時々好物のクルミパンを求めに行く。ある日、向かいのスーパーFにもポワラーヌを見つけたので買ってきた。でも、どうも味が違うと家人が首を傾げている。袋にはMax Poilâneと書かれていた。これはどういうことなのか。ポワラーヌ家の歴史がこの謎の一部を解いてくれ、さらに商標を巡る創業者一族の確執を浮き彫りにしてくれた。

まずは「ポワラーヌ」という名を持つ事業会社3社の沿革を紹介したい。

ポワラーヌ社
老舗パン屋ポワラーヌ(ポワラーヌは創業者の姓、以下同様)は、1932年パリ6区でピエール・ポワラーヌが創業した。本店は今もそこにある。厳選した生産者の小麦を石臼で挽いた全粒粉、海塩、創業時から引き継がれた天然酵母を原料に、薪の窯で焼いた「ミッシュ・ポワラーヌ」が名物だ。
1974年、ピエール・ポワラーヌとポワラーヌ社がパン・ビスケット・菓子・ケーキ・糖菓区分で商標「Poilâne」を登録。
2002年10月、パリ6区の店を継いだ、ピエール・ポワラーヌの末息子リオネル・ポワラーヌが妻と共に事故で亡くなった。リオネルの長女アポロニアは当時18歳だったが、両親を一度に亡くしたその翌日には店を継ぐと決意し、今も伝統の味と製法を守っている。

マックス・ポワラーヌ社系
1976年、ピエール・ポワラーヌの長子マックス・ポワラーヌがパリ15区に自分のパン屋を構えた。
1982年、マックス・ポワラーヌとマックス・ポワラーヌ社がパン・ビスケット・菓子・ケーキ・糖菓を含め複数の区分で商標「Max Poilâne」を登録。
2006年、マックスの長男ジュリアン・ポワラーヌがリヨンにジュリアン・ポワラーヌ社を設立し、パン屋を開く。マックス・ポワラーヌとの商標ライセンス契約により、商号にも屋号にも「Max Poilâne」を使用。
2015年、ジュリアン・ポワラーヌがパン・ビスケット・菓子・ケーキ・糖菓を含め複数の区分で商標「Julien Poilâne」を登録。

調べてみると、この3社はどうも、商標をめぐるいくつかの裁判を起こしている。その流れを以下に時系列で概観する。
「Poilâne」商標の争点-先行登録した商標権の例外
商標登録を行う意味は、登録した国において、登録した製品やサービスの区分(業種や分野)でその商標を排他的に使用できることにある。
だが例外として、フランスの知的所有権法L.713-6条(注:2019年改正以前の旧条文)はこう定めている。
『商標登録は、第三者が悪意なく自身の姓である同一または類似の記号を社名や商号や屋号に使用する妨げにならない。ただし、その使用が登録商標権を侵害するものであれば、先行登録者はその使用の制限または禁止を求めることができる。』

係争第1期
1982年、ピエール・ポワラーヌとポワラーヌ社が、マックス・ポワラーヌとマックス・ポワラーヌ社に対して、Poilâne姓の使用を禁じ、パンの販売・製造業における「Max Poilâne」商標の取り消しを求めて裁判を起こした。1992年12月9日、パリ控訴院は、ポワラーヌ社による商標取り消しの訴えを棄却したが、姓と商標の使用法について次のように規定した。

マックス・ポワラーヌ氏とマックス・ポワラーヌ社は、商標・社名・商号・屋号や販促物・包装におけるPoilâne姓の商業使用に際し、必ずMaxの名を姓の直前に同じ行、同じ文字、同じ大きさ、同じ色、同じ明度強度で記し、その直下に営業所の住所を読みやすい文字で加えること。
この判決は1995年に破棄院で確定した。

係争第2期
リオネル・ポワラーヌは2002年に事故死する前、マックス・ポワラーヌ社に対して商標権侵害の訴えを起こしていた。この訴えは2006年に一審で棄却されたが、ポワラーヌ社を継いだリオネルの娘アポロニア・ポワラーヌは諦めず控訴した。
2008年パリ控訴院は、たとえ同じ分野(本件では製パン業)で先行登録があっても、自身の姓から商標を作ることは合法である、との1992年の判決を再確認した。ただし、マックス・ポワラーヌ社が、1992年判決による姓と商標の使用規定を順守していなかった(包装や制服に「Max」が「Poilâne」より小さい字で表記されていた)ことから、消費者心理に対し「Poilâne」と「Max Poilâne」との混同を招いたとして、控訴院は、ポワラーヌ社への損害賠償1万5000ユーロの支払いを命じた。

係争第3期
2006年、ジュリアン・ポワラーヌがリヨンにジュリアン・ポワラーヌ社を設立。マックス・ポワラーヌと商標ライセンス契約を結び、「Max Poilâne」を商号・屋号とするパン屋を開業する。
ポワラーヌ社は、ジュリアン・ポワラーヌ社による社名と屋号の使用が「Poilâne」商標の侵害を構成する上、1992年判決による商標使用規定が守られていないとして、ジュリアン・ポワラーヌ社を商標権侵害で提訴した。申し立て項目は、以下のとおり。
①「Poilâne」の名称を使った営業、特に「Julien Poilâne」と「Max Poilâne」という形による営業の禁止
②損害賠償
③看板・店頭の什器・販促物など、ジュリアン・ポワラーヌ社の全ての広報営業手段の撤去・廃棄
この訴えに対する2013年の一審判決では、「Juline Poilâne」の名称を社名に使うこと自体はポワラーヌ社の商標権侵害には当たらないと判断された。だが、ジュリアン・ポワラーヌ社が1992年判決の使用規定を守らずに「Max Poilâne」商標を屋号として使用していた事実は「Poilâne」商標権を侵害する行為であるとして、裁判所は「Max Poilâne」商標の不正使用を中止するよう命じた。

ポワラーヌ社はこの判決を不服として控訴した。
2018年の控訴審判決では、「Poilâne」と「Julien Poilâne」を混同するリスクが存在するとの判断が下された。しかし、「Poilâne」商標との混同を避けるための「Julien Poilâne」の使用規定に関しては、ポワラーヌ社から申し立てがなかったため判断が避けられた。また「Max Poilâne」商標の使用にあたっては、ライセンス受益者も商標権者と同じ義務を負うという理由で、不正使用中止を命じた一審の判決が維持された。
控訴審判決を不服とする両当事者はそれぞれ破棄院へ上告した。
ポワラーヌ社の主な申し立ては、自身の姓を社名に使用できる知的所有権法L.713-6条の例外規定の条件をジュリアン・ポワラーヌ社が満たしていない、というもので、まず「Poilâne」商標は有名なので必然的にジュリアン・ポワラーヌ社には悪意があった(「Poilâne」商標の侵害になるという意識)と帰結されるはず、という主張である。さらにポワラーヌ社は、ジュリアン・ポワラーヌ社が知的所有権法L.713-6条による姓使用の例外を援用するのであれば、実際に経営の指揮を執っているというジュリアン・ポワラーヌ氏の職務内容を明示すべきである、という。
対してジュリアン・ポワラーヌ社側の考えは、控訴審判決の「Poilâne」と「Julien Poilâne」とを混同するリスクについて、「Poilâne」が著名であるだけに同じ字体で「Julien」を付け加えれば、消費者は両者を区別できるのではないか、というものであった。また、自社の営業活動はリヨンに限られている一方、ポワラーヌ社はパリにしか出店しておらず、顧客対象が地理的に異なることが考慮されていない点や、「Julien Poilâne」名称の使用規定を定めることを避けた点を不服とした。
さらに「Max Poilâne」商標の不正使用に関しては、「Max Poilâne」商標の下に営業所の住所記載を定めた1992年の使用規定はもう時代遅れであると主張した。1992年以降店舗も増え、インターネットという新しい営業活動の場もできたにもかかわらず、使用規定の見直しもなくジュリアン・ポワラーヌ社を違反に問うのは、民事訴訟法455条に反する、という言い分である。また1992年の使用規定は、ポワラーヌ社とマックス・ポワラーヌ社が共にパリに所在していた時に書かれたものなので、リヨンに所在するジュリアン・ポワラーヌ社には適用されないのではないかとも反論した。
2021年3月に破棄院の判断が下った。そこでは、ポワラーヌ社の主張に対して、
①ジュリアン・ポワラーヌ氏が名義貸しをしている証拠はなく、社内での職務内容を明示するには及ばない。
②ジュリアン・ポワラーヌ社は名義貸しではない経営者の姓を使用しており、知的所有権法L.713-6条が定める姓使用の例外に正当性を認められる。
③「Poilâne」が著名だからといってジュリアン・ポワラーヌ社に「Poilâne」商標権を侵害する意思があったとは必ずしも言えない。
と判断された。
片やジュリアン・ポワラーヌ社の主張に対しては、一般的な注意力しか持っていない消費者は「Poilâne」と「Julien Poilâne」とを混同するリスクがあると結論した。「Poilâne」に「Julien」を付け足しただけの違いでは視覚的音声的類似性を減じる効果はなく、当該製品とサービスの分野における「Poilâne」名称の弁別性が高いために異義申し立てされた文字記号の中で支配的であると言え、「Julien」はPoilâne姓に付随した名にしか見えない、という判断である。
また、ジュリアン・ポワラーヌ社による「Max Poilâne」商標の不正使用については、破棄院で特に判断すべき理由がないとされた。
破棄院では控訴審判決の一部が破棄され、2023年4月、パリで差し戻し審が始まった。

おわりに

破棄院の審判で、ジュリアン・ポワラーヌ社が経営者の姓を社名に使っても「Poilâne」商標の侵害に当たらないことが確定した。他方、一般的な注意力しか持たない消費者は、「Poilâne」と「Julien Poilâne」とを混同するリスクがあるとも判断された。「Max Poilâne」商標のライセンス使用については、ジュリアン・ポワラーヌ社もマックス・ポワラーヌ社と同じく1992年の使用規定を守る義務を負う。
では、ジュリアン・ポワラーヌ社は社名をどのように表示すれば「Poilâne」商標の侵害にならないのか? これについては、控訴人ポワラーヌ社の申し立てに含まれていなかったため、裁判所は検討を避けている。
法律家ではない筆者には、「Julien Poilâne」名称の使用規定の作成、そして「Max Poilâne」商標使用規定の見直しを切望しているのは、ジュリアン・ポワラーヌ社の方に見える。
だが一般論として、包装に姓と並んで下の名前が書かれ、営業所の住所が列挙されていても、それだけでは、のれん分けなのか、喧嘩別れしたのか、本家争い中なのか、部外者には分かるまい。
こういった係争の背景があったからだろうか、最近、ポワラーヌのパンの袋のデザインが変わった。飾り文字をやめ、白地に黒で「PoilâneⓇ」と書いてあるだけ。シンプルだ。もう「Max Poilâne」の包装とは似ていない。間違われることも減るだろう。

(初出:MUFG BizBuddy 2023年5月)