アフリカ西部にあるシエラレオネという国をご存知だろうか? 筆者の娘がこの国に住み着いたので訪ねてみたのだが、いろいろと驚く生活が待っていた。本稿では、シエラレオネの現状を紹介する。
アフリカ西部にあるシエラレオネ(首都フリータウン)という国をご存知だろうか? 筆者の娘がこの国に住み着いたので訪ねてみた。すると、筆者にとってアフリカは初体験で免疫がなかったこともあり、いろいろと驚く生活が待っていた。
シエラレオネという国名だけで、この国が一体どこにあり、どういう国であるのかがわかる日本人はそう多くはないだろう。武力紛争の資金源として使用される紛争ダイヤモンドを取り扱った映画や、エボラ出血熱の流行などで、国名がかすかに記憶に残っている人がいるかもしれない。
筆者にとっても、娘がこの国に関わらなければ、おそらく行ったことのない、また、行く予定もない、世界の多くの国の1つになっていただろう。筆者はフランス在住年数が日本での居住年数を上回るようになった日本人で、娘が2016年からフランスの国際インターンシッププログラムVolontariat International en Entreprise(VIE)を利用して、あるフランス企業のインフラ関連プロジェクトのためにシエラレオネへ赴任したことが、この国を知るきっかけとなった。プロジェクト完了後、娘がシエラレオネで知り合ったレバノン人と結婚して現地で別の仕事を見つけ、家庭を築くまでになったため、繋がりが続くこととなった。
筆者はこれまでにシエラレオネを3回訪問した。滞在期間はそれぞれ1週間から1カ月。娘家族を訪問するのが目的であったため、見聞きしたことは、普通の旅行者とは違っているかもしれない。また、現時点でもよくわからない点が数多いということをあらかじめ断っておきたい。
シエラレオネは、西アフリカに位置し、北はギニア(首都コナクリ)、南東はリベリア(首都モンロビア)と国境を接しており、西は大西洋に面している。1808年に英国の植民地となり、1961年に独立した。国土面積は7万1740平方キロメートルで、日本の約5分の1の大きさにあたり、8万3424平方キロメートルの北海道よりも小さい。また、世界銀行によると人口は約879万人(2023年)で、日本で人数が近いのは大阪府(約878万人、2023年11月)である。
民族的には、北部に住むテムネ人、南部に住むメンデ人などの部族、解放奴隷の子孫、現地民族と西欧人の間に生まれたクレオールが主流ではあるものの、複数の移民グループも存在している。言語は、英語が公用語に指定されているが、先にあげた部族では独自のテムネ語やメンデ語などの部族語が使われている。その一方で、英語に現地部族の影響が加わったクレオール言語であるクリオ語が、商取引や部族間の対話などに利用されている。クリオ語は、住民の96%が使用しているとされ、むしろ英語よりも普及していようだ。ちなみに、娘の自宅で働いている使用人たちは英語が使えた。
移民グループについては、19世紀半ばから貿易関連での移住が記録されているレバノン人を筆頭に、インド人、トルコ人などの移民コミュニティが存在し、最近では中国の進出も目立っている。移民コミュニティは、同じ出自の者が互いに助け合い、外部に対して一致団結を誇っているかのように思われがちかもしれない。しかし、キリスト教徒が多いレバノン人コミュニティについていえば、移住の歴史が古いこともあってか、既にそれなりに現地に定着しているためか、そうした印象は受けなかった。ある移民コミュニティがビジネスにおいて別の移民コミュニティと繋がりを持つことがある一方で、家族同士の付き合いといった移民コミュニティ間の私的交流はほぼ存在しないようである。
首都中心部で見かける白人たちは、シエラレオネで事業を展開する外国企業、国際機関、非政府組織(NGO)や特定非営利活動(NPO)法人の関係者ではないかと推測される。娘を通じて知り合った欧州系外国人駐在員の話を聞くと、これらの人たちは、あくまでも任期が定められており、任期が満了を迎えればシエラレオネから出国している。アフリカ大陸全体でそうであろうと想像できるのだが、外国人駐在員・出向者などについては、家族連れで赴任している人もいないわけではないが、特にシエラレオネは生活環境が厳しい上、子供の医療・教育環境が整っていないので、家族を帯同している人は限られていると思われる。
日本人に関していうと、シエラレオネの在留邦人は2023年10月時点で26人(外務省、海外在留邦人数調査統計)と発表されている。個人的には、現地で国際協力機構(JICA)のプロジェクトに参加している日本人女性と宣教師として活動する日本人シスターと話をする機会があった。シスターは、シエラレオネ西部のルンサでの学校運営や、1970年代から地元の青年たちへの技術指導による生活自立支援などの活動を行っている某修道会に所属しているという。かなりお年を召していたが、シスターとの話から、厳しい状況に対する現地からの洞察について学ぶことができた。
シエラレオネ国民は短命として知られているが、世界保健機関(WHO)の2021年調査によると、平均寿命は2000年の49.8歳から61歳(女性61.9歳、男性60.2歳)にまで伸びた。2000年から2021年の平均寿命の伸びは、アフリカ全体では53歳から63.6歳へと10.6歳伸びているのに対し、シエラレオネの同じ期間の平均寿命の伸びは11.2歳にも達しており、アフリカの平均寿命並みに改善されつつある。WHOによると、住民10万人あたりの死者数(2021年)では、死因のトップ3(男女混合)はマラリア(101.1人)、微生物による気管・気管支・肺における疾患である下気道感染症(85.5人)、脳卒中(67.2人)となっている。続いて、下痢性疾患(54.2人)、虚血性心疾患(52.1人)、結核(46.8人)、早産による合併症(44.8人)、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)/後天性免疫不全症候群(エイズ)(29.5人)、仮死出産・出生時外傷(26人)、タンパク質エネルギー栄養障害(23.5人)があげられる。これは、伝染性の疾患、妊娠出産や周産期、栄養状態に関連した死亡が多いことを示している。
シエラレオネの2023年の1人当たり国民総所得(GNI)は560ドル(世界銀行)で、世界ではもちろん、アフリカ諸国の中でも最貧国グループに入る。1人当たりGNIでは、バミューダが13万4640ドル(2022年)で世界トップ、日本は3万9030ドル(2023年)で世界32位となっていることを参考のために記しておく。
さて、実際にシエラレオネに足を踏み入れてからの体験だが、混乱と混沌の中、ようやく入国手続きを終え、市内に移動することになった。初めて同国に行った時は、娘が空港で手配してくれた案内人が手助けしてくれた。フリータウン・ルンギ国際空港は、海を挟んでフリータウン市の対岸に位置しているため、空港からミニバスと船を乗り継いで市内まで行かねばならず、利便性がよくない。陸路で市内に行くことも可能だが、4~5時間もかかってしまう。案内人がいなかったら、アクセスの悪い市内への移動におそらく困惑しただろう。
フリータウン・ルンギ国際空港で違和感を覚えたのは、通常は肌の色がさまざまな多民族が交差するはずの国際空港で、黒人の集団の中に、日本人の自分が明らかな異分子として浮き上がっていたことである。まるで一挙一動を見られているかのような印象を受け、アフリカ大陸初心者の自分にとって、居心地の悪さを感じた。これは、日本人しかいない日本の地方空港に着いた外国人旅行者と似たような思いではないだろうか。
現地で生活したことで、食料、飲料水、電気、医療などの生活インフラが未熟であることの不便さを身にしみて感じた。この国は、長年の内戦やエボラ出血熱の流行などで、経済社会基盤(インフラ)が破壊され、人的資源が失われたとされる。しかし、植民地支配が終わった時点で、インフラがどのくらい整備されていたのかは不明である。
筆者が滞在した娘一家の住居は、3世代にわたってこの国で生活し、ファミリービジネスを行ってきた娘の伴侶の持ち家で、生活インフラは一応、整備されていた。水は週3日、配水管を通じて供給され、タンクに貯水する。貯水タンクからの水が、家屋内の蛇口から出て、調理、水洗トイレ、シャワーに使われる。調理には、濾過機能のある水瓶にいったん貯めた水を使う。飲料水はボトルウォーターを使用する。自宅に貯水タンクがない場合は、路上にある配水ホースから水を汲んでくることになる。トイレは水洗となっているが、下水道は整備されていないという。トイレの使用済み汚水は浄化槽へ、台所や洗面所の生活排水は排水溝からそのまま自然界へ流される。
電力供給は不安定で、頻繁かつ長時間にわたって停電することが多いため、大型発電機の所有が不可欠となる。停電のたびに、使用人が発電機を稼働させるためのスイッチを押すことになる。電気がなければ冷蔵庫もエアコンも止まってしまい、携帯も繋がらなくなってしまうという事態に直面し、初めて電力供給が当たり前ではない国にいることに気づかされた。娘によると、頻繁な停電の影響で、家電製品の寿命はかなり短いという。
治安は内戦時に比べて大幅に改善されたといわれている。在ガーナ日本大使館(シエラレオネには日本大使館はなく、ガーナの日本大使館が兼轄)が2024年12月付の「安全の手引き」において注意喚起した事項のほとんどは、娘たちの住む家では対処済みだった。娘たちが住んでいる家は首都中心部からやや離れたところにあり、高い塀で囲まれた敷地内には、母屋のほかに使用人向けの家屋、外から中が見えない鉄製門扉の近くには門番小屋が配置されている。敷地内には、貯水タンク、大型発電機2台、かつていた番犬用の犬小屋もある。「安全の手引き」にあるように、窓や出入り口には鉄格子が取り付けられ、門番が昼夜交代で常駐している。
娘の家の使用人たちは、掃除、子供の世話、料理などの仕事を担う3人の現地女性(住み込みおよび通いの人もいる)、夫婦それぞれの車の運転手2人、昼夜交代制の門番など7人を数える。15年以上いる40代の現地女性が、勤続年数の長さから使用人の中では最も高給取りで、いわば娘の家の「使用人ワールド」の中でトップに立つ筆頭使用人のポジションである。彼女は、毎日シャワーを使うといった衛生観念を理解し、読み書きもできるため簡単な買い物メモを作成できるので、家の中のことをある程度任せられるという。
娘夫婦がそれぞれ運転手を抱えているのは、夫婦ともに仕事のため移動しなければならず、運転手付きの車が必要になるからである。これは、外国人が運転して交通事故を起こした場合、事故現場の周辺にいた人から暴行を受ける可能性を回避する狙いがある。この国では市内中心部でも道路の状態は劣悪で、交通ルールはあってないに等しいため、交通事故の頻度は高いように思われる。
先ほどの「安全の手引き」には、「使用人に対しては、人格を尊重しつつも、威厳を持って物事を指示することが大切です。(日本式の親切心は、時には使用人の自信過剰や誤解を招いたりするので注意!)」という一文がある。しかし、この使用人への接し方については、難易度が高いような気がする。些細なことであるが、アイロン掛けを一例とすると、当初はその出来具合をチェックしていたが、仕事がある程度できるようになった後に放置したとする。娘によれば、そうすると仕事の完成度が下がるという事態になるらしい。一定の水準まで仕事ができるようになった後でも常にチェックしないと、また元の状態に戻ってしまうということのようだ。
一般的に、それなりの待遇と対応を使用人側に保証すると、ある程度の信頼関係が生まれることが想像される。聞いたところでは、シエラレオネ内戦時に反政府軍もしくは単なる暴徒だったかもしれない集団が敷地内に押し入って来た時に、古株だった使用人たち(当時)が抵抗して、屋敷内の略奪を阻止したという出来事があったそうだ。車で海辺や市内の店、露店に外出する以外では、日中、1人で周辺を歩き回ったが、道行く人から向けられる視線は敵意を含んではいなかったように感じる。ただし、整備されていない道(歩道というものはない、ガードレールなどない、側溝に蓋がない)を歩行者のそばをすれすれに通り抜けて行く車、肥えているとは言い難い野犬が数匹でたむろしているのには恐怖を覚えた。
さらに、医療体制が整っていないこの国では、フランスと日本赤十字社で学んだ一次救命処置(心肺蘇生法、AED(自動体外式除細動器)を用いた電気ショック)も全く役に立たないだろうと思った。日本赤十字社の講習会では、素人が行う一次救命処置はあくまでも救急隊員が到着するまでの繋ぎでしかないとの説明を受けた。都市部なら10~15分ほどで救命の専門家が来ることを想定しているため、こうした処置はフランスや日本では確かに有効だろう。しかし、シエラレオネでは、迅速な対応ができるような体制が整っているとは到底思えない。
最後に、シエラレオネは筆者のような理由がなければ訪問する機会はない国であると思われるが、もし訪問する際には、それなりの準備と覚悟が求められるだろう。
※本記事は、特定の国民性や文化などをステレオタイプに当てはめることを意図したものではありません。
(初出:MUFG BizBuddy 2024年12月)