フランスの風刺新聞『シャルリー・エブド』の本社に対するテロ襲撃事件(2015年1月7日)から10年が過
ぎた。イスラム原理主義を風刺していた『シャルリー・エブド』をイスラム過激派が襲撃した、と言われて
いるが、そもそもイスラム教に原理主義と非原理主義、過激派と非過激派の明確な線引きがあるわけではな
い。イスラム教を信仰しない不信心者を攻撃することはイスラム教徒として正しい行為だから、事件は(共
和国の法律にはもちろん反しているが)イスラム教の本質に忠実なものだったと言える。イスラム教を風刺
するかどうかとは無関係に、イスラム教を信仰しない人間は、すべてアプリオリに不信心者とみなされる以
上、いつでもランダムな攻撃の対象となり得る。イスラム教が存続する限り、このような事件は今後も繰り
返されるに違いない。こういうことを言うと、すぐにイスラムフォビア(イスラム恐怖症)だ、偏見だ、と
批判されるが、非信者にとりイスラム教は本当に怖い(実際に人がたくさん殺されているのだから、これは
本物の恐怖=テロルであって、根拠のない恐怖症=フォビアではない)ことを信者はもう少し理解すべきだ
ろう。信者には非信者の不安に対する多少の想像力を期待したい。21世紀は宗教の世紀になる、との予言は
耳にしていたものの、20世紀後半にごく普通の科学教育を受けた人間として、筆者は、21世紀になっても中
世に確立された宗教や教義を絶対的な行動原理とする人間がまだ多数いる(いや、むしろ、ますます増え
る)ことを全く予見していなかった。想像力が欠けていたと言わざるを得ない。不明を恥じるほかない。