スペインの作家アルトゥーロ・ペレスレベルテ氏(『フェンシング・マエストロ』、『フランドルの呪画』、『呪のデ
ュマ倶楽部』など)が仏ルフィガロ紙への寄稿で、欧州のイスラム教徒移民の一部は「oikophobia」を患っていると論
じた。筆者はこれを読んでoikophobiaという言葉を初めて知った。phobia=恐怖症は分かるとして、oikoはギリシャ語
のオイコス=家に由来するという。そういえば昔、ギリシャ哲学に関する解説書を読んだときに見たな、とおぼろげな
がら記憶が蘇る。オイコフォビア(家恐怖症)というのは、家庭環境に関する嫌悪や恐怖をさし、より広義では、自分
が暮らす社会とその文化に嫌悪や恐怖を感じることをいう。ペレスレベルテ氏は、欧州で暮らしながら、欧州の文化や
習慣には溶け込もうとせず、イスラム教の戒律や教義を欧州に強制しようとする移民の態度をこの言葉で形容してい
る。こうした態度はしばしば「共同体主義=コミュノタリズム」と呼ばれているが、イスラム教徒移民の場合は、単に
自分の共同体の殻に閉じこもり、伝統的な欧州社会と分離して暮らすというだけではなく、欧州の伝統や習慣や思想を
悪しきものとして否定し、イスラム世界のルールを欧州に持ち込んで、欧州全体に押し付けようとする点が単なる共同
体主義とは異なる。これを文明の衝突ととらえる見方もあり、ペレスレベルテ氏も欧州は早期に原理主義的なイスラム
教徒移民によるイスラム化の動きを警戒すべきだったのに、それを怠り、いまでは手遅れで、欧州文明はイスラム教に
侵食されて否応なく滅びに向かっていると悲観的だ。悲観的だが、同氏はまた偉大な文明の終焉に立ち会える機会は稀
で、名誉なことだともいう。なるほど、そういう意味では、今の欧州で暮らすのはとてもスリリングな歴史的体験なの
だなあ…なお、イスラム教徒移民が数の上で少数派であることを理由に、こうした懸念をおおげさだと否定する論者も
いるが、社会に強い影響力を及ぼすのは多数派ではなく常に少数派だ、というのは社会心理学の常識だから(なんだか
宮台真司氏みたいな断定的言い方で恐縮だが)、その議論は無効と考えてよいだろう。