フランステレコム従業員の自殺問題、背景に構造的原因

投稿日: カテゴリー: フランス社会事情

フランステレコム(現オランジュ)では2008年から数年内に50人以上の従業員が自殺した。これは2006年から2008年にかけて当時の経営陣が強行した再編が従業員にもたらした精神的苦痛が原因だと考えられる。同社と当時の経営幹部を被告人とする裁判で、検察官は重い刑を求刑した。これを機に職場での苦痛対策が再検討される中で、背景にある構造的問題も無視できない。

フランスでは現在、通信大手フランステレコム(現オランジュ)の従業員の連続自殺問題における経営陣の責任を問う裁判が進行中で、2019年7月5日、検察官は法の許す範囲内で最も重い刑を求刑した。フランステレコムに7万5000ユーロの罰金刑、経営幹部だったロンバール氏(当時の最高経営責任者(CEO))など3人の被告人には1年の禁固刑と1万5000ユーロの罰金刑を求刑した。それ以外に4人の元幹部にも8カ月の禁固刑と1万ユーロの罰金刑を求刑した。検察官はこの厳しい求刑の理由として「フランスの最大手企業の1つで、パワハラが戦略として採用されていたことは異常であり、極めて重大な事件だ」と説明した。

判決が出るのは2019年12月の見通しで、被告側は無実を主張しているため、推定無罪の原則を文字通りに尊重するならば、現時点で軽々に判断を下すことは慎まなければならない。だが、パリ株式市場のCAC40指数銘柄に含まれる大手企業がパワハラ容疑で裁かれるのはこれが初めてで、すでに「歴史的」な意味合いを帯びた裁判であることは間違いない。

この裁判を機に「職場での苦痛(la souffrance au travail)」に関するより広範な再検討が進むことが期待されている。

ところで日本人の目からみると、フランス人は毎年1カ月以上のバカンスを取るし、勤務時間が終わればさっさと帰途について、強いられない限り残業はしないというイメージが強い(なお、ここで問題にしているのはあくまで現代社会の話であり、過去にはゾラが『ルーゴン・マッカール叢書』で描いたような労働者階層の悲惨な状況があったことはいうまでもない)。職場での人間関係も日本と比べると対等性が維持されているようにみえ、上下関係による服従を強いられるケースは少ないのではないかという印象がある。例えば「過労死」という日本語が今ではフランス語でもそのまま「Karōshi」として用いられるが(英語でも同様)、それはとりもなおさずこれが日本の社会状況に特有の現象であることを示唆しており、フランス人が働き過ぎで死ぬという事態は想像することが難しい。

一般的にフランスでは人は疲れたらさっさと休むし、そもそも多くの人が毎年の休暇を楽しむために働いているのに、仕事で死ぬほど疲労困憊することに何の意味があろう。仕事は生活の糧を稼ぐための手段であって、生活の目的ではない、というのが大多数のフランス人の考え方だろう。もちろんフランスでも、仕事を人生の目的とみなして打ち込む人がいないわけではないが、それは、クリエイティブで自己実現につながるような職種か、業績をあげればいくらでも収入も上がる経営幹部や金融トレーダー、自由業者などの場合に限定されるのではないか。

第一、2002年に当時の左派政権により週35時間労働制が制定されて以来、その是非をめぐる議論は続いているものの、誰も労働時間を引き上げる決定は下していない。これはとりもなおさず、労働に費やす時間は少ないほどよい、という考えがフランス社会でコンセンサスを得ていることを示している。週35時間労働で過労死する人はさすがにいないだろう。おまけに一部の公務員(特に地方公務員)では、週当たりの労働時間が35時間にすら満たないことが少なくないし、欠勤率も民間に比べてかなり高いとひんしゅくを買っているのだから、職場で強いストレスやプレッシャーがあるとは考えにくい。筆者の個人的な知り合いでも公共部門で就労している人々はたいていがリラックスしている。仕事はルーティンが多く退屈だが、残業もないし、公務員だから基本的に解雇はされず、将来得られる年金額も相対的に高い。こうした個別のケースをもって全体の状況を論じるつもりはないが、仕事のストレスはあまりなさそうだ。

ところがこうした紋切り型のイメージとは別に、近年は職場での自殺の頻発が注目されることが多く、毎年300人から400人の従業員が自殺しているとの報道もある。フランスでも職場では意外に強い緊張がありそうだ。これはおそらく経済構造の変化、市場自由化、競争の激化などにより、フランス企業の事業環境が急激に厳しいものになったことと無関係ではなく、特に通信市場自由化の洗礼を受けつつ、旧国営独占企業から民間企業への転換という試練を乗り越えなければならなかったフランステレコムのケースは、その典型例と言えるだろう。

同社では2006年から2008年にかけての再編で大量の人員削減が強行され、2008年から2010年にかけて60人近い従業員が自殺した。これは上記のロンバール氏がCEOだった時期(2005~2010年)に当たる。もちろん一般的にどのケースでも自殺の原因は特定することが難しく、本人にすらわかっていないことが多い(本人が自殺の動機としてあげた事柄が本当の原因かどうかは不確か)。しかしいくら大所帯の企業であっても、これほどの人数が立て続けに自殺した背景には共通の理由があると考えるべきだろうし、直前の強引な再編との因果関係を疑わざるを得ない。

自殺の件数は2011年には減ったものの、同年4月にはボルドー事業所の駐車場で56歳の公務員資格の従業員が焼身自殺するという衝撃的な事件が起きた。2008年から実質的に「窓際族」の扱いを受けていたこの従業員は不本意な業務しか与えられないことに悩み、2009年に経営陣宛の書簡で自らが置かれた状況がもたらす精神的苦痛を訴え、「自殺しか解決策はない」と悲痛な警鐘を鳴らしていたが、経営陣はこれを黙殺した。

ここでフランステレコムの歴史を少し振り返ってみたい。同社は長らく「PTT(郵便・電信・電話局)」の一部だったが、1990年前後に郵便事業と通信事業がラ・ポストとフランステレコムに分離された。フランステレコムは電電公社的な国営企業として通信事業を独占していたが、1998年には電気通信市場が完全に自由化され、フランステレコムも新規参入事業者との本格的な競争にさらされた。フランステレコムは2000年に英国の同業オレンジ(Orange)を買収し、その後段階的に自社事業のブランド名を「Orange」に変更した。これは事業の国際化に当たって「フランステレコム」のブランド名が不都合だったのと、「Orange」という言葉とイメージが多くの国でそのまま通用することに着眼した方針だった。フランスでの現在の社名・ブランド名はこれをフランス語読みした「オランジュ」である。

フランステレコムは2004年に民営化され、国の出資率が50%を割り込んで民間企業になったが、多くの従業員は公社時代の公務員資格を保持し続けた。通信自由化の直後に林立した事業者の数は10年後の2008年には淘汰され、フランステレコムの競争相手は固定電話でセジェテルとフリー・モバイル(以下、フリー)、携帯電話ではSFRとブイグ・テレコムに絞られた。その後、フリーが格安料金プランで携帯電話市場にも参入し、激しい価格競争が展開されたが、フランステレコム(現オランジュ)は今でも固定電話と携帯電話でトップの座を保持している。

ちなみに筆者は、2007年からオランジュの固定電話サービス(ADSLによるインターネットサービス)の顧客で、数年前から携帯電話サービスも利用しているが、他社と比べて料金はかなり高く、サービス品質が特に良いわけでもない(オランジュが提供するインターネット接続用の機器は、他社と比べて常に技術的に1世代も2世代も遅れている)。ADSLに関しては、既設のメタリック通信線を所有しているオランジュの場合、直営店でADSLモデムを受け取れば即日でサービスを利用できるという点が(手続きのために数週間を要する)他社に比べて有利だったが、携帯電話や光回線に関しては類似の利点はない。筆者は携帯電話については他社のプランも並行して利用しているが、そちらの方がサービス品質は高く料金は安い。こうした状況でもオランジュの首位が揺るがないのは、老舗ならではの信頼感や安心感があるせいかもしれない。

最大手キャリアとしての地位を維持してきたとはいえ、フランステレコムが市場自由化と民営化を経て辿ってきた道は決して平坦ではなく、特に2006年から2008年にかけて断行した大掛かりな再編は同社の歴史に大きな傷跡を残した。この再編では1万6000人の人員削減が行われたが、当時の幹部の証言によると「2万2000人の自主退職」を実現することが目標だったといい、経営陣は頻繁な人事異動や転勤を無理強いするなど、目標達成のために強引な手段(要するに従業員に対する「嫌がらせ」)を用いたとみられている。

ただし、フランステレコムの従業員数は1993年の14万人が事業の国際化につれて2001年には22万人に膨れ上がり、2007年の時点でも19万人だった。これだけの人数に対して自殺者が異常に多いかどうかという点について、当時の国立統計経済研究所(INSEE)は、2008年と2009年に関しては全国平均自殺率を下回っており、同社で特別な自殺の波があったとは言えないと判断し、労組の反発を招いた。2009年に労組による提訴があり、また2010年に27人もの自殺が集中的に発生したことで、経営陣によるモラルハラスメントやパワーハラスメントが問題視され始め、2012年にロンバール氏をはじめとする旧幹部数人が「モラルハラスメント」の容疑で、予審(起訴の是非を決めるために担当予審判事が行う裁判上の手続き)開始通告を受けた。

なお、上記で1993年の従業員数が14万人だったことに触れたが、これらの従業員は当然全員が国家公務員だった。公務員資格の従業員数は2012年には6万5000人まで半減したが、現在でも残っており、全員が退職するのは1996年入社組が退職する2040年になるという(ただし2020年には公務員資格の従業員の大多数が退職し終える見通し)。民間企業の従業員でも、公務員資格の従業員は解雇できないという特殊性がある。

実は自殺した従業員の大半が解雇できない公務員資格を持った従業員であり、これらの従業員を退職・配転に追い込むため、当時の経営陣は会社ぐるみでモラルハラスメントを行った疑いが持たれている。そのため、フランステレコムも法人として予審開始通告を受けた。これらの従業員にとっては悲劇的なことに、自らを保護してくれるはずの公務員資格がかえって仇になってしまったともいえる。

しかし公務員資格を持った従業員を多数抱え込んだ公社や国営企業が民営化されて、自由化市場で厳しい競争に生き残るために再編を実施せざるを得ない状況に置かれたとき、経営陣にのしかかるプレッシャーの大きさも想像できる。公務員資格の従業員の多くは自分たちの権利を盾にとって、事業環境の変化に適応しようとせず、既得権の維持に固執して柔軟性に欠ける態度を取り続けたのではないか(ちなみに、かつてのフランステレコムの顧客に対する対応は極めて横柄で、営業所の受付にいる社員が顧客と口論になったり、顧客を罵倒することも珍しくなかった。一方でオランジュの若い世代の社員はサービス業に相応しい丁寧な対応を心得ており、この10年ほどで企業カルチャーが明らかに変化したことが感じられる)。死者に鞭打つつもりも、旧経営陣の非人間的なやり方を擁護するつもりもないが、積もり重なった弊害を一気に解消せよと求められた経営幹部の心労も理解できなくはない。また同じ圧力を受けても、ストレスに慣れていなかった公務員資格の従業員は、突然のストレスに対する耐性が低かった可能性もある。

それだけに、この事件は単に当時の経営陣の責任を追及して終わりにできるという性質のものではない。そもそも、公社や国営企業が政府の雇用対策もあって余剰な人員を抱え込み、債務を累積して放漫経営を続けていたことが、その後の悲劇の伏線になっているのであり、類似の問題は国鉄(SNCF)やラ・ポストでも発生している。こうした構造的な問題にもメスを入れない限り、この裁判は射程の短いものに終わってしまうだろう。「職場での苦痛」は一部の従業員だけの問題ではない。

なお、いまさら言うまでもないが、人が職業を自分のアイデンティティの中核と考えるようになったのは、人類の歴史ではごく最近のことにすぎない。古代において労働は奴隷の役割だったし、貴族階級が支配する社会でも労働には特別な価値は認められていなかった。洋の東西を問わず、支配層は労働を自分たちのアイデンティティの重要な構成要素とはみなしていなかった。労働は長い間、必要ではあるが、卑しい行為だったのだ。

職業が各人のアイデンティティの不可欠な要素と考えられるようになったのは西洋近代以降であり、長い歴史においては極めて短期的かつ例外的な現象である。これは歴史を学んで得られる教訓の1つだ。仕事が人間の尊厳にとり不可欠だという考え方は決して恒久的な真実ではなく、歴史を無視した近視眼的な価値観にすぎない。もちろん生きていくためには収入がなければ困るが、一定以上の収入があれば、労働などせずに世界のあるべき姿や宇宙の真実について考察することに時間を費やすべきだという一見浮世離れした価値観の方が実は正統的なのである。現代社会においてこのような価値観を維持することは難しいが、仕事の価値を相対化する視点を持つことは精神衛生上悪いことではない。職場で自殺するのはくれぐれも避けたいものである。

(初出:MUFG BizBuddy 2019年8月)