「もしトラ」と民主主義

投稿日: カテゴリー: アライグマ編集長の日々雑感未分類

「もしトラ」が現実になってしまった。しかも、大接戦との予想を裏切り、トランプ氏が圧勝…世論調査というものの
信頼性の薄さが改めて証明された。どこに欠陥があったかを分析し、改良を加えるべき…なのだろうが、余計な情報の
提供は結局世論を惑わせるだけなので、今後の選挙ではいっそ公表を全面的に禁止してはどうか。さて、リベラル系の
メディアでは「またトラ」で民主主義の後退が懸念されるという論評も見受けられるが、それはあくまでリベラル陣営
が正しいと考えている民主主義について言えることで、大衆の圧倒的支持を獲得して再選されたトランプ氏を非民主的
と切り捨てるのは傲慢というものだろう。リベラル陣営の人々は自らの絶対的な正しさを確信し、その正しさの規範か
ら外れるものを非民主的、不正義、ポピュリズムと断罪するが、こうした上から目線の「正しい民主主義」が作り上げ
てきた息苦しい社会への反動が今回のハリス氏の惨敗を招いた一因のように思われる。民主主義にはもちろん全員が守
るべき一連のルールがあり、基本的に窮屈なものであることは確かだが、例えばマイノリティの保護という課題に血道
をあげれば、マジョリティからいつかしっぺ返しを食らう。ポリティカル・コレクトネスやウォーキズムも、その枠組
にそぐわない思想や言論を封殺する全体主義に堕してしまう。そもそも米国の社会は、その成り立ちを見ればわかるよ
うに、極めて特殊なのに、自らの特殊性に無自覚で、自分の規範を普遍的なものと勘違いして、ほかの社会に押し付け
たがる傾向があるが、普遍性を担保する歴史的根拠が米国ほど欠落している国も珍しい。多様な価値観が競合する多極
的世界において、物事を進めるには、取引(ディール)による合意が有効だと考えるトランプ氏のプラグマティックな
姿勢は必ずしも間違いではない。もちろん、先が読みにくい厄介なお人ではあるが…