水素エネルギーをめぐるフランスの事情

投稿日: カテゴリー: フランス産業

世界で気候変動対策がクローズアップされる中、化石燃料の代替エネルギーの有力候補として水素が注目を集めている。フランスも例外ではなく、グリーン水素支援の動きはマクロン政権になってから一挙に強化され、投資額も2018年の1億ユーロから89億ユーロへと急増したのだが、細かく見ると政府の施策の内容が変化しているのが見て取れる。本稿では、その違いに焦点を当てつつ、違いが生じた背景と今後の見通しについて考察を進める。

気候変動対策が世界的にクローズアップされる中、化石燃料の代替エネルギーの有力候補として水素が注目を集めるようになっている。水素は、燃焼させる場合や燃料電池で利用する際にCO2(二酸化炭素)を出さないことが大きな特徴である。ただし、燃焼させる場合は窒素酸化物が発生するので、その対策が必要であり、炭化水素燃料と変わりないことに留意すべきだ。また、水素は、自然界では、それ自体として存在することはほとんどなく、何からのエネルギー源を投入することにより生産されるので、石油や石炭、あるいは太陽エネルギーなどの一次エネルギーではなく、二次エネルギーであることにも注意が必要だ。

水素を生産するのに用いられる一次エネルギーの量は、水素をそのまま燃焼させた際に発生するエネルギー量よりも転換の際のロスにより必然的に大きくなるわけで、水素エネルギーは、一次エネルギーをそのまま利用するより非効率的だと言ってよい。従って、水素エネルギーで一次エネルギーを代替するという試みは、人工光合成のように水を直接水素と酸素に分解するまさに画期的な技術(水素の一次エネルギー化と言えよう)が実用化されない限り、それほど現実的なものではないだろう。

二次エネルギーであるという点において、水素エネルギーは、電気エネルギーと同様の性質を持つ。では、なぜ電気が広く利用されているのかというと、一次エネルギーからの変換が比較的容易である上、極長距離輸送を除けば、いったんネットワークが敷設されたならば輸送も簡単であることに加え、中短距離輸送の際に、環境への負荷があまりないからだろう。ただし、電気は、バッテリーなしでは貯蔵が不可能という弱点を抱えているのに対し、水素は、極長距離輸送と貯蔵が比較的に容易だ(とはいえ、エネルギー密度が低い水素の輸送・貯蔵はコスト面で克服せねばならない課題も多い)という点で、電気とは別の特色を持つ。

気候変動対策の文脈では、電気エネルギーと同様に、水素エネルギーも、生産に用いられる一次エネルギーが問題となる。現在生産されている水素は、炭化水素由来で製造にCO2を排出するもの(グレー水素)が大部分であり、CO2を排出する限りでは、気候変動対策としてはあまり意味がない。同じく炭化水素由来であるが、生産時に出るCO2が回収貯留される水素はブルー水素と呼ばれ、気候変動対策としては有効であるが、CO2の回収貯留には大規模な施設が必要であり、コストがかかるという欠点がある。

一方、グリーン水素は、太陽光や風力などの再生可能エネルギーを利用して水の電気分解により生産されるものだ。CO2排出がないことから、フランスで現在最も注目されているのもグリーン水素である。ただし、この場合の「グリーン」にはゆらぎがあるのだが、それについては後述する。

グリーン水素に関して仏環境エネルギー省は2018年6月、水素経済振興策(1億ユーロ規模)を発表した。同振興策は、
▽特に商用車、大型車、電車における水素利用の促進:2023年までに、車両用水素ステーションを現在の20カ所から100カ所に、さらに2028年までにこの数を400-1,000カ所にまで引き上げる。また、水素燃料を利用できる車両の保有車両台数については2023年までに現在の250台から商用車5,000台・大型車200台に、2028年には商用車2万-5万台・大型車800-2,000台に引き上げる。
▽仏国内で現在消費されている水素のうち、電気分解による水素の割合を2023年までに10%にまで増やし、2028年にはこの割合を20-40%に引き上げる。2023年までに合計で250MW相当の電気分解施設を整備する、
などというものだった。

加えて、仏政府は、2020年9月になって、新型コロナウイルス危機対策の枠内で、グリーン水素部門に関して2030年までに70億ユーロの投資をすると発表した。このうち、20億ユーロは2021-2022年にかけて投資される。政府は民間企業によるプロジェクトの支援のほか、電気分解を通じた水素生産に関する入札実施・補助金付与といった支援を行う一方、欧州レベルでの共同プロジェクト開発も目指す。マクロン大統領はまた、2021年11月に、水素エネルギー部門振興に19億ユーロを追加投資すると発表し、これによりグリーン水素への投資額は、上記の70億ユーロと合わせて89億ユーロに達することになった。

仏政府のグリーン水素支援の動きは、マクロン政権になってから一挙に強化され、国の予定投資額も2018年の1億ユーロから89億ユーロへと急増したのだが、仏国内での水素利活用は石油化学や化学などで以前から盛んであり、エア・リキードなどの世界的大手も存在している。エア・リキードは、トヨタと共に、2017年に発足した水素協議会の初代共同議長を務めたことが示すように、フランスだけでなく、世界でも水素利活用推進に大きな役割を果たしている。また、水素に関する一連のソリューションを提供しているMcphyも仏企業だ。EDF(フランス電力)やエンジーなどのエネルギー事業者による商用車向け水素ステーション整備の取り組みも進められている。

さて、上述した仏における「グリーン」水素の定義にゆらぎがあるという話だが、それは、厳密な意味でのグリーン水素は再生可能エネルギー由来だが、フランスでは、原子力由来の水素もCO2を出さないという意味において、「グリーン」だと見なそうとしていることに由来している。マクロン大統領は、数年前から、再生可能エネルギーだけでは十分なグリーン水素の生産には不十分だとして、原子力による「グリーン」水素生産の可能性を示唆してきた。大統領は、本稿執筆直前の2022年2月10日に原発6基の新設と既存原発の耐用年数引き上げという方針を発表したばかりだが、ここからも仏政府は、原発推進再開による「グリーン」水素の大量生産という青写真も描いているように思われる。マクロン大統領が2021年10月に発表した大規模投資計画「フランス 2030」の10の目標の一番目が原子力に関するもので、二番目がグリーン水素に関するものであったのは偶然ではなかろう。

原子力由来の水素がグリーンかどうかは、国によって見方に違いがあり、独政府は、原子力由来水素を「イエロー」に分類している。これに対し、マクロン大統領は「グリーン」だと見ているわけだが、仏政府としては、2018年の水素経済振興策の中で原子力由来水素については触れておらず、再生可能エネルギーのピーク時電力を利用した水素生産に言及している。また、2021年6月15日にポンピリ仏環境エネルギー相は、原子力を今後も長期的に利用すると述べつつ、廃棄物を考えると原子力は必ずしもグリーンではないと述べていた。マクロン大統領の今回の決定は、原子力を長期的に利用するという点では、ポンピリ氏の発言を踏襲するものだが、原子力を「グリーン」と見なす点では大きく踏み込んだものだ1

このような仏政府の方向性は、先のEUタクソノミーを巡るドイツとの対立にも見られる。EU内でのグリーン・ファイナンスの投資先の適格性を定めるEUタクソノミーの決定においては、原子力と天然ガスを含めるかどうかが焦点となった。ここで原子力には反対だが、天然ガスには賛成であるドイツと、原子力推進を目指すフランスが対立したが、欧州委員会は結局、両方とも含めるという決定を下した。この決定は、今後、欧州議会及び閣僚理事会で承認される必要があるが、決定が覆されるには、欧州議会では過半数による否決、閣僚理事会では最低でも20カ国以上の反対がなければならず、そのまま成立する可能性が大きい。

この結果は、双方が妥協した結果とされているが、筆者は、ウクライナ危機が深化したことによりロシアからの天然ガス供給が途絶えることを懸念したドイツ側が追い込まれた結果ではないかと考えている。原発新設というマクロン大統領の発表は、EUタクソノミーに関する欧州委の決定よりもかなり前から準備されていたものであることは確実であり、仏政府は、以前から原子力がEUタクソノミーに含まれることを確信していたはずだ。おそらく仏政府は、独政府から原子力をEUタクソノミーに含めることを容認するという言質を得ていたと考えるべきではなかろうか。一方、ドイツは、独国内では原発からの脱却を決めたが、気象条件に左右されやすい再生可能エネルギーの供給確保には不安を抱いており、過渡期エネルギーとして天然ガスを必要としているのに加え、ライフラインとして仏での原子力由来の電力は「必要悪」と見なしている可能性がある。

今のマクロン大統領の方向性には、大統領選を2カ月後(2022年4月)に控えているという特別な事情も大きく働いているだろう。フランスでは、エネルギー自給は「経済ド・ゴール主義」2の一環であり、ほとんど国是に近く、環境保護派の間でも、原子力絶対反対派と「石炭火力よりはむしろ原子力」派の間で対立がある。大統領の決定は、一部環境保護派の取り込みにつながる可能性がある。また、(左派にも多いが)右派及び極右の中で根強い「国家主権派」にとっては、大統領の決定は歓迎すべきものだ。このように考えると、ロシア産天然ガスの欧州への供給断絶の可能性を浮上させ、エネルギー自給の重要性を際立たせたウクライナ危機は、マクロン大統領にとっては、言葉は悪いかもしれないが、「都合の良い」ものである可能性は否定できない。

仏政府が目指している「グリーン」水素の大量生産には、問題がないわけではない。環境保護派が指摘するように、原子力には放射性廃棄物の問題がつきまとうのは事実だ。また、福島第一原発事故のような大事故が発生し、風向きが完全に変わってしまう可能性も排除できるものではない。なにより、原子力による「グリーン」水素の大量生産が現実になった場合、再生可能エネルギー由来のグリーン水素に向けたR&Dにブレーキがかかる可能性は無視できない。「グリーン」水素がより安価で大量に手に入るならば、原子力由来でないグリーン水素への熱意が冷めてしまうのは不可避のことだろう。原発の稼働にまでは場合によっては非常に時間がかかるが(仏企業が建設を担当しているフィンランドのオルキルオトや仏フラマンビルの欧州加圧水型炉の稼働開始は予定を大幅に遅れている)、その間に、新規原発が必要なくなるような技術が生まれる可能性もある。しかし、原発を建設するエネルギー事業者がそのような技術の開発に積極的に動くだろうか。これらから、グリーン水素のR&Dには、相応のインセンティブの導入といった特別な施策が必須となると考えられる。

いずれにせよ、欧州委は、EUタクソノミーの決定において、原子力と天然ガスが過渡期のものであるという立場を崩しているわけではない。一方、原発の新規建設という仏政府の今回の決定は、非常に長期的な射程を持つものだ。仏政府が、このような長期的な影響を持つ決定と欧州委の立場の間でどのような折り合いを付けていくのかが注目される。

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1 2022年2月10日に開催されたグルノーブル・イゼール投資オンラインセミナーにおいて、筆者がエア・リキードの新エネルギー責任者であるジャン=マリ・パドヴァニ氏に質問したところ、同社としてはグリーン水素が望ましいが、原子力由来水素を利用するかどうかは顧客の受け入れ方及び国・地域によるとの回答があった。
2 ド・ゴール主義とは、ド・ゴール元大統領(在任期間:1959-1969年)の政治思想であり、一言で言うと、外国(特に米国)の影響から脱し、フランスの独自性を維持しようという考え。フランスが独自の核抑止力を持つに至る背景となったものであり、さまざまな政権交代を経ても、形を変えつつ、綿々として受け継がれている。

※本記事は、特定の国民性や文化などをステレオタイプに当てはめることを意図したものではありません。

(初出:MUFG BizBuddy 2022年2月)