「都市脱出」が進むフランス

投稿日: カテゴリー: フランス社会事情

新型コロナウイルス危機をきっかけとして、パリなどの大都市から地方の中規模都市などに移住する「都市脱出」の動きが顕在化している。地方暮らしの魅力の再評価や思想的な地方復権の影響もさることながら、パリの生活環境の劣化と都市としての魅力の低下がその背景にあると考えられる。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が招いた危機をきっかけに、都市を脱出して田舎に逃れる人が増え、大都市への人口の集中と地方の過疎化という多くの国に共通の社会現象に逆転が生じたと言われる。「都市脱出」などと呼ばれるこの潮流がどれほどの現実性を伴っているのかについては論議もあり、単なる一過性の流行であり、表面的な動きを誇張し過ぎているという批判もある。フランスでも、複数のメディア(7月のフランスキュルチュール・ラジオ局、11月のル・ポワン誌など)がこれは現実なのか、それとも幻想なのか、という疑問を呈している。

長期的にはともかく、わずか数年前からの現象を数値化して把握することは難しいし、大都市から地方都市や田園部に移住する人が実際に増えているとしても、その動機は必ずしも同じとは限らないから、これを統一的な意味のある社会現象とみなすことには慎重でなければならない。

ただし識者がそろって指摘するのは、2020年以後に、中規模の地方都市と海浜地域で不動産価格が急騰した点だ。筆者が知る地方の不動産業者も、このところ一軒家が「小さなパンのように売れる」(飛ぶように売れる)と喜んでいた。地方の住宅と土地を購入する人が急増したことは間違いなさそうだ。フランスの場合、特にパリとその他の都市の不動産価格や家賃の格差の大きさは際立っており、賃借者ならば、地方に行けば同じ家賃で何倍もの広さの住居を借りることができるし、パリにアパートを所有している人ならば、それを売った収入で、地方で広い庭付き一軒家を購入できる(あるいは、パリのアパートを賃貸して、その収入で、自分は地方で余裕のある暮らしができるだろう)。

また身近な体験の範囲内でも、大都市から地方の中規模・小規模都市や田舎の町村に移住する人が増えたな、という実感を持っている人は多いのではないだろうか。筆者の周辺でも(事情はさまざまだが)そのような例が何人かあるが、逆のケース(パリなど大都市への移住)は思い浮かばない。もちろん、毎年秋になると、大学などの高等教育機関に入学するためにパリをはじめとする大都市に向かう若者が一定数いるはずだが、COVID-19危機のせいで授業が中止になったり、遠隔授業に変更されたりする中で、むしろ地方の親元に帰る人も多いと聞く。フランスの学生は学費や生活費をアルバイトで稼ぎ、親からの仕送りに依存しない場合も多い。それだけに、COVID-19危機でアルバイト先が見つからない状況で、授業の本格的再開を待ちつつ、家賃の高い大都市で暮らすことを虚しく感じる人も少なくないだろう。

「都市脱出」に関する一般的な見解を、いささか安直だが、ウィキペディアの説明などを参照してまとめてみよう。

これによると「都市脱出」は一部の国では早くも1970年代に始まったといい、これは都市化の加速によって、都市部の人口が爆発的に増加し、住居費や生活費が上昇し、交通機関の飽和、大気汚染などの環境汚染、暴力の増加と治安の悪化などを招いた結果、一部の都市住人の地方・田舎へのUターン現象が起きたのだという。こうした下地があったところに、COVID-19危機が到来し、特に人口密度の高い都市部で感染のリスクが高まった。ロックダウン(都市封鎖)により、狭いアパートに閉じ込められて一日を過ごす暮らしを強いられた人が多い一方で、リモートワークが普及した結果、都市部に住まなくても仕事をこなせることに気づく人が増えた。自宅で仕事ができるならば、庭もない窮屈なアパートに押し込められて過ごす必要性はなくなる。また、引退して年金生活に入ろうとする高齢者ならば、COVID-19感染が重症化するリスクが高いだけに、感染の恐れが強いパリなどの大都市にとどまるよりも、田舎で(フランス人の趣味として常に上位にあがる)庭いじりなどしつつ、余生を送りたいと考えても不思議はない。

かくいう筆者自身も2021年の夏、35年間のパリ暮らしに終止符を打ち、ノルマンディーの田舎に引っ越した大都市脱出者なのだが、その動機を振り返ってみると、よく指摘される「都市脱出」の理由と重なる部分は確かに多い。その意味では、「都市脱出」をめぐり一種のコンセンサスのようなものが成立し始めているのかもしれないという気はする。

参考になるかどうかは不確かだが、筆者自身の体験を紹介しておこう。筆者はパリの市内で何度か転居し、2007年頃からは9区で「ステュディオ」と呼ばれるワンルームアパートを賃借りしていた。通常、アパートを賃借りする際に不動産屋は家賃の3倍以上の収入を条件として要求する。筆者の場合も家賃は月給の3分の1ほどだったが、これだと20平米のワンルームアパートを借りるのが精一杯で、この広さはむしろ幸運なほうだと言える。このアパートを見つける前に、何軒か不動産屋に問い合わせたが、筆者が払える家賃で住めるのは10平米程度のアパートが普通だった。筆者の給与はフランス人全体の平均給与並だが、その程度の収入でパリで暮らそうと思えば、学生向けのワンルームアパートしか借りられないのが実情だ。筆者は独身で子どももいないから、それでもいいが、似たようなワンルームアパートで暮らすカップルや親子(母子家庭)の例も知っている。しかも近年は家賃がさらにうなぎのぼりで、家賃が安い物件が急減して、毎年、多くの新入学の学生たちがパリで住居を見つけられないままに新学年を迎えるという問題も発生している。

こうした情勢で、筆者は15年近く住んだアパートからついに引っ越さざるを得ない状況に直面したのだが、所得水準が同じままでは、もはやパリに住むことは不可能であり(2020年にアングレーム国際漫画祭で特別栄誉賞を受賞した漫画家のつげ義春がかつて「義男の青春」で描いたような、トイレを改造した1畳の部屋に住めば別だが)、また、パリ近郊の住宅事情も大差がないことがわかったので(パリから電車で30分程度の郊外の街でも、環境や治安が良い場所では家賃は市内と同じかさらに高い)、地方への移住は事実上選択の余地のない選択だった。

またパリでは大気汚染に悩まされつつあった。9区とその北の18区を隔てる大通りの周辺は、パリ市内でも最も大気汚染がひどい区画の一つなのだが、買い物や散歩のためにそこを歩く筆者は息苦しいほどの汚染を日々感じ取っていた。健康のためにも、パリ暮らしはいよいよ限界かな、という感じはあった。

経済的に強いられたパリ脱出とはいえ、結果的に、空気がきれいで、自然に囲まれた田舎暮らしを楽しんでいるので後悔はないが、移住が可能だったのは、筆者が以前からほぼ完全なリモートワークに移行していたからであることも強調しておかなければならない。パリ市内において出勤しなければできない仕事についている人の場合、所得水準が筆者と同等かそれ以下であれば、市内で劣悪な居住環境に耐えるか、さもなくば、遠い郊外から満員電車に乗って時間をかけて通勤するほかない。

しかし地方移住者のプロフィールがさまざまであることは言うまでもない。例えば筆者の隣人の一人はパリに活動の拠点を置いたまま、広い庭付きの一軒家を別荘として購入し、週末を田舎でのんびり過ごすことを楽しんでいるという。このように収入に余裕がある人ならば、セカンドハウスを地方で購入し、パリ暮らしの利点と田舎暮らしの利点を双方享受することも可能だ。

そこまでいかずとも、パリから電車や自動車で数時間の距離にある地方の中規模都市に移住し、物価の安さを享受しつつ、時折必要に応じてパリを訪れるという生活様式を選ぶ人も少なくない模様だ。新聞や雑誌でもそのような実例がいくつも紹介されているが、そうした場合でも、収入に余裕があれば、本拠は地方に置いて、パリにいわゆる「ピエタテール」と言われる小さなアパートを所有ないし賃借りするという選択肢もある。

こうした「都市脱出」は、地方の新たな活性化をもたらし、多様な住人の交流を招くプラス面もあるとエコノミストや社会学者は評価している。その反面、都会から移住してきた新たな住民が、近隣の鶏の声や教会の鐘の音を騒音問題だとして提訴し、古くからの地元住民との軋轢を招くという事態も発生しており、良い面ばかりとは言えない。なお、筆者自身の引っ越し先でも、近所に鶏や馬や牛や羊やヤギやロバがいて、めいめいが勝手に大きな鳴き声を発している。また、パリでは聞いたこともなかったほどの多種多様な野鳥の鳴き声にも驚いた。しかし、筆者の場合はそれをむしろこころ和む音と感じるので、こうした問題は当事者の受け止め方次第ではないかと思う。

筆者がパリを離れたもう一つの大きな要因は、やはりパリという都市の魅力の低下だと言わざるを得ない。多くの人が指摘するように、近年のパリは街路の至るところにゴミが散乱し、公園には大きなドブネズミが跋扈する不潔で汚い都市になり、治安も悪化し、麻薬中毒者が跋扈する地区も増えた。皮肉なことにCOVID-19危機が一時的に解消してくれたとはいえ、大気汚染や電車の混雑もひどい。各地区の町並みも画一化し、30年前、20年前にはまだ残っていた昔ながらの特色も薄れた。それに物価の高騰で、富裕層でなければ、おいそれと散歩の途中でカフェに入ることもできない。まさに、パリは富裕層や特権層のみの街になりつつあると指摘する意見も多い。

しかし、もちろん文化の中心地としてのパリの地位は今後も揺らぐことはない。美術館見学が唯一の趣味らしい趣味だった筆者にとり、パリを去ることはその点で残念な面もあったし、音楽や演劇などの文化イベントにこだわりのある人ならば完全にパリを離れることはできないかもしれない。

ちなみに、「地方VS.パリ」はフランスでは思想的なテーマでもある。例えば哲学者のミシェル・オンフレ氏は、かねてより、政治・社会・文化などのあらゆるリソースを首都パリに一極集中させるフランスの中央集権主義の強固な伝統を(フランス革命における勝者だったジャコバン派の流れを汲む)「ジャコビニズム」と呼んで、民衆無視の非民主主義だと痛烈に批判し、地方分権を優先する(フランス革命において敗者となったジロンド派にインスパイアされた)「ジロンディズム」をこれに対置して、地方の復権を提唱する。政界やメディアでもこれに共鳴する人は多いだけに、昨今の「都市脱出」を論壇で後押ししたイデオローグだと考えることもできそうだ。

地方の良さを強調する人々がしばしば挙げるのは、「生活の質」の高さだ。早くも19世紀に詩人ボードレールが強調していた「都市の孤独と退廃」に対して、地方にはより健全な人間関係や日々の暮らしがあるという考え方だ。各地の特産物を利用した地元色豊かな食生活を楽しめるという長所もあるだろう。

しかし、こうした見解を耳にするたびに、筆者が思い出してしまうのは、2004年5月15日付けの日刊紙リベラシオンに掲載された作家クリスチーヌ・アンゴの文章だ。アンゴといえば、もちろんオートフィクションの代表的作家であり、「私に残っていた唯一の呼吸のチャンス」と題されたこの小文で、彼女はシャトールーというベリー地方の都市(アンドル県の県庁所在地だが、ベリー地方はフランスでも最も田舎色の強い地方の一つ)で生まれ、地方で40年間を過ごした自分の体験について赤裸々な感想を披瀝した。退屈で窮屈で閉鎖的な地方の暮らしを死にそうなほど息苦しく感じていたこと、そして息をするためにはパリに行くことが唯一のチャンスだと感じられたこと、を彼女独特の直截な表現で述べ、地方の住民が自慢する「生活の質」をむしろ息苦しいものだと否定した上で、パリの求心力が地方で生まれ育った彼女のような人々に及ぼす魅惑を語った。この文章を発表した当時、アンゴはパリに移住したばかりで、いわば新参者だったわけだが、そういう自分がパリについて書くことの正当性を「パリはすべての人のものだ。海や空や太陽のように」と主張した。

この文章が強い印象を与えたのは筆者だけでなかったと見えて、メディアでちょっとした論争も引き起こした覚えがある。アンゴがパリに開放のシンボルを見たのは、当時は正しかったに違いない。しかし、筆者がパリを立ち去る前に感じていたのは、まさにパリがもはや「すべての人のもの」ではなくなったという閉塞感だったのだと思う。

※本記事は、特定の国民性や文化などをステレオタイプに当てはめることを意図したものではありません。

(初出:MUFG BizBuddy 2022年1月)