フランスにもやはりいました、Tchikanさん

投稿日: カテゴリー: フランス社会事情

米国でのセクハラ告発運動に触発された#BalanceTonPorc運動がフランスでも活発化する中で、フランス社会におけるセクハラと痴漢被害の意外な実態が浮かび上がってきた。フランス語には「痴漢」に相当する言葉はなく、痴漢行為自体がほとんどないと信じられてきたが、もはやそのような楽観的見方は通用しなくなりつつある。

米ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン氏のセクハラ問題がきっかけとなり、ネット上ではセクハラ被害を告発する「#MeToo」運動が波及し続けている。米国ではケヴィン・スペイシー氏をはじめとしてショービズのスターや有力者が次々とやり玉に挙がり、政界やメディアでも波紋が広がっている。セクハラの告発運動は他国にも飛び火し、英国では閣僚の辞任も招いた。しかし、告発運動は国や地域により、発展の速度や形態が多少違うようだ。フランスでもセクハラ告発の動きが活発化している点は同じだが、その様相は少々異なる。

#MeTooは英語圏を中心に広まった運動だということもあり、フランスではこれにヒントを得た「#BalanceTonPorc」という独自の運動が始まった。ちなみにBalanceは「告発する、チクる」という(俗語的)意味のbalancerという動詞の命令形、tonは「あなたの」という所有代名詞、Porcは「豚」を意味する名詞だが、ここでの俗語的意味は明らかだろう。

このハッシュタッグを開始したのはニューヨーク在住のフランス人女性ジャーナリスト、サンドラ・ミュレールさんで、最初の2日間だけで6万ものエンゲージメント数を記録したという。ミュレールさんは、カンヌで開かれたテレビ関連のフェスティバルの際に、自身もフランスのテレビ界の大物から露骨な言葉でセクハラ被害を受けた経験があるといい、フランス紙ル・パリジャンのワインスタイン騒動で「豚」という言葉が使われていたことにもヒントを得て、わざと下品で庶民的な表現を用いて、多数の人々に呼び掛けようと試みたという。しかし、これほどの反響があるとは自分でも全く予期しておらず、一人一人にきちんと回答しようと苦慮して、ほとんど眠れなかったそうだ。

ちなみにカナダのフランス語圏では#MeTooをフランス語化しただけの「#MoiAussi」というおとなしいハッシュタッグで運動が展開されており、これと比べると、#BalanceTonPorcというスローガンはパンチがきいている。ミュレールさんは、自分はフランス人であり、米国との文化的違いも考慮して、あえて、よりダイレクトでアグレッシブな表現を選んだとしている。

文化的な違いといえば、そもそも男女関係の在り方自体が米国とフランスでは異なるとの見方がある。プロテスタント的なモラルが根底にある米国やカナダの社会と異なり、フランスは男女関係についてはラテン的で、より開けっ広げなフラートの伝統がある一方で、夫婦関係に関する世間の見方や倫理観も異なるともいわれている。よく指摘されることだが、かつてのミッテラン元大統領の例でも分かる通り、フランスでは本人が望まない限り、政治家の私生活がおおっぴらにメディアで取り上げられることはまれであり、愛人や隠し子の存在が公然の秘密であっても、政治的な打撃になることはない。

こうした伝統は最近では少し風化してきており、米国の影響などでフランスにもプロテスタント的なモラルが浸透してきたと懸念したり反発したりする評者もいるが、性的な接近行動について、フランスは米国ほど神経質ではなく、寛容だという印象は根強くあった。それだけに、#BalanceTonPorcをきっかけに多数の女性が、自分が受けた被害を次々と告発し始めたことに意外感を持った。おそらく女性たち自身も、同じような問題に直面しながら、それを口にできないまま、孤立無援だと感じていた女性の多さに驚いたのではないだろうか。

ただし、フランスではショービズの大物や政界の有力者が告発されるケースはまだ少なく、著名人が告発された例としては、イスラム研究者としてフランスの論壇やイスラム教徒コミュニティーで強い影響力を持つタリク・ラマダン氏(オックスフォード大学教授、スイス人)や、ホロコーストを扱った映画「ショア」で有名なクロード・ランズマン監督など、むしろ文化人・知識人の方面で影響が生じている。

タリク・ラマダン氏の場合は、以前からメディアなど公の場では口当たりの良い進歩的な教義を推奨しながら、他方でイスラム教徒向けには原理主義的立場を表明し「二枚舌」を使い分けているという批判が出ていたが、今回の事件では性犯罪に関わった疑いも生じている。研究者・教育者としての信ぴょう性が低下した感は否めない。

しかし、こうした個別のケースを超えて、フランスでむしろ注目すべきなのは、多くの女性が日常生活や仕事の場で、男性の鬱屈(うっくつ)した暴力的態度の被害者となっていることが、さまざまな証言の噴出を通じて一気に明るみになったことだろう。例えば2017年12月22日付のル・パリジャン紙は、高校(リセ)でのセクハラに抗議する女生徒らの告発運動を大きく取り上げた。また、大学の医学部での女子学生に対するセクハラ行為のひどさもメディア報道で明らかになり、波紋を広げている。

もちろん以前から、パリなどの大都市の郊外では、イスラム系移民とその子孫が形成する閉鎖的なコミュニティーにおいて、女性の権利が甚だしく侵害されているケースが報告されてきた。また最近では難民が集中するパリの北部地区でも、女性が歩道にたむろする男性から嫌がらせを受けてまともに通行すらできないというような状況が生じていることも知られていた。

難民・移民支援団体、人権擁護団体、左翼政党などが、善意からだろうが、難民・移民の保護に不都合なこうした問題をできるだけ隠蔽(いんぺい)しようと努めることで、女性の権利がいっそう無視されるという逆説的現象が起きている。このことも女権運動の活動家により指摘されており、宗教や難民を巡る社会的緊張をいっそう複雑で深刻なものにしている。

しかしこうした問題は、いわゆる「共和国の失われた領域」(歴史家ジョルジュ・ベンスサンが提唱した用語)での特別な出来事だとも考えられていた。ところが#BalanceTonPorcが明らかにしたのは、女性のセクハラ被害はもっとはるかに広範であり、ほとんど普遍的とさえ言える広がりを持っていることだった。上記のように、学校や大学でセクハラが日常茶飯になっているだけではない。メトロなどの交通機関での「痴漢行為」も頻発していることが調査で判明している。

2017年12月20日付のフランス、ル・フィガロ紙などの報道によると、フランスで公共交通機関の利用に際して痴漢行為の被害に遭った人の数は過去2年間で26万7000人以上に上り、そのうちの44%は複数回の被害を受けたという。これは犯罪とその対策に関する政府調査機関であるL’Observatoire national de la délinquance et des réponses pénales(ONDRP)が、国立統計経済研究所(INSEE)をはじめとする統計機関による調査にも依拠してまとめた調査結果で、例えば16万人弱は無理やりキスされたり、体を触られたりしたといい、11万人は露出の被害にあったという。さらに、より程度のひどい痴漢行為を受けた人も1万6000人に上るという。スマートフォン(スマホ)時代を反映して、スマホ画面に映したポルノ画像・動画を女性に見せたり、スカートの下から写真を撮る「アップ・スカーティング」などの行為も目立つという。

なお、被害者の85%は女性だが、男性も15%を占める。女性への痴漢行為は体を触ることから始まることが多いのに対して、男性を標的とする痴漢では露出行為が52%を占める。また、地域的にはイル・ド・フランス地域圏(パリ首都圏)で被害が多く、同地域圏に住む18~21歳の女性の7%以上が交通機関での痴漢行為の被害に遭ったと認めている。これは東京などでの痴漢行為の頻発に比べれば微々たるものかもしれないが、ル・フィガロ紙が引用するパリのある警察官は「他地域の3倍の頻度で、特に通学中の女子大生が受ける被害は多大だ」と強調している。女性の被害は年齢によって変化し、35歳以下で被害が多いという。

興味深いのは被害者の反応で、通常は日本人よりもはるかに意思表示が明確で気の強そうなイメージもあるフランス人女性も、痴漢に対しては恐怖感から黙ってしまうことが多いという調査結果がでている。実際、殴る、蹴る、髪の毛を乱暴につかむ、などの暴力行為を伴うケースも少なくないので、恐怖感を抱くのも無理はない。ONDRPでは、こうした痴漢行為から身を守るための自衛戦略が、女性の行動様式にも影響を及ぼしていると指摘している。

ところで本稿では「痴漢」という便利な言葉を用いてきたが、実はフランス語にはこれに対応する言葉がない。試しに「痴漢」をウィキペディアで引いてみていただきたい。フランス語版では「Chikan」は日本語だと説明され、(痴漢, チカン, ou ちかん)という日本語での表記も載っている(ouは「または」を意味する)。

個人的な体験談で恐縮だが、筆者が1970年代から1980年代にかけて東京のアテネ・フランセや東京日仏学院(現アンスティチュ・フランセ東京)でフランス語を学んだときには、複数のフランス人教師から「フランス語には日本語の『痴漢』に相当する言葉はない。日本と違って、電車などでの痴漢行為そのものがないからだ」と言われた。フランスで生活する日本人の知り合いたちも、フランス人の配偶者や知人から同じような意見を聞いたことがあるそうで、これがフランスでの一般的な認識だったと思う。

しかし、セクハラ告発運動で新たな意識に目覚めた目に映るのは、これとは異なる現実で、まさに「痴漢」としか呼びようがない行為がフランス社会でも頻発しているようだ。このズレは、昔のフランスの電車やバスがラッシュアワーですら、日本のようには混んでいなかったことにも理由がある。21世紀の初めぐらいまでは、パリのメトロや首都圏高速鉄道(RER)の混み方は、東京の電車の混み具合とは比較にならなかった。空いた車内で痴漢行為は働きにくいから抑制が効いていただろう。

ところが、パリ首都圏の拡大も手伝ってだろうか、十数年ほど前から郊外と市内を結ぶRER A線、RER B線、メトロ13号線などでかつては見られなかったような異常な混雑ぶりが観察されるようになった。これが痴漢行為の横行を誘った一因ではないだろうか。

なお、精神分析家のジェラール・ボネ氏は1981年に出版した『Voir – Être vu(見ること・見られること』(PUF)という露出症に関する古典的著作の中で、自らが教壇に立っていたパリ・ディドロ大学(パリ第7大学)において実施した先駆的な被害状況調査を紹介していた。クライアントとして分析を受けるケースがまれな露出症者を対象として扱う必要から、精神分析では通常用いることがないこうした実地調査の結果が援用されたのだと思う。筆者は留学生だった1980年代にパリ第7大学でも心理学の講義を聴講していたが、同書を読んだ際に、キャンパスでの露出症被害が意外に多いことに驚いた覚えがある。しかし今から思えば、これはまだ古き良き時代だったのだ。

(初出:MUFG BizBuddy 2018年1月)