2015年1月のイスラム過激派テロ事件以後、フランス国内のムスリムに対する風当たりが厳しくなっている。政府や識者は一般のイスラム教徒と過激派を同一視してはならないと呼び掛けているが、原理主義的な傾向の拡大も見られ、民主主義や世俗主義との両立が可能かどうかが問われている。
2015年1月7日のシャルリー・エブド襲撃を皮切りとする2015年1月9日までの一連のテロ事件は、犯人がイスラム過激派のフランス人だっただけに、国内のムスリム(イスラム教徒)に対する風当たりが強まった。アルカイダやイスラム国(IS)のような国際的な過激派組織がフランス国内のムスリムを使って攻撃を仕掛けるのではないかとの恐怖が強まっている。事実、当局はISに戦闘員として参加すべくシリアなどに赴いた後に帰国したフランス人の若者が国内でテロリストとしての活動を展開することを強く警戒している。そんな中で、国内のムスリムに対してイスラム過激派を明確に糾弾するよう求める声が上がる一方、モスクの壁に落書きをする嫌がらせなどの行為も急増している。
オランド大統領や政府は今回のテロ事件への対応を通じて、一貫して一般のムスリムとイスラム過激派とを同一視してはならないと強調し、イスラム教とムスリムに対する敵対視を戒めている。またムスリムの側からも、一部の過激派の行為に対して一般のムスリムが責任を感じる理由はなく、他の一般市民以上に強く過激派を糾弾する義務はないという反発の声が上がっている。イマームなどのイスラム教指導者らも、過激なイスラム主義は本来のイスラム教の教義とは別物であり、イスラム教は平和的な宗教であって、暴力や殺人などとは無縁だと強調している。
このように一般のムスリムとイスラム過激派、本来的なイスラム教徒・イスラム主義を混同しない、というのがポリティカルコレクトネスとされているわけだが、2015年1月8日に前日のテロ事件の被害者を追悼する全国的な黙とうが行われた際に、一部の学校でムスリムの生徒がこれを拒否するという事態が起きたことで、こうした線引きの不明瞭さがあらためて浮き彫りになった。
黙とう拒否は特にパリ市の北郊にあるセーヌ=サン=ドニ県の中学校・高等学校などで目立った。同県はアラブ系の移民人口が多いことで知られ、生徒に占めるムスリムの割合も大きいため、一部の学校では教員が生徒の反発を恐れるあまり、最初から黙とうを提案すらしなかったという。メディアが報じた生徒たちの談話を見ると、テロはいけないがムハンマドの戯画などによってイスラム教を冒瀆(ぼうとく)したシャルリー・エブドにも責任はあり、当然の報いを受けたにすぎないというけんか両成敗的な意見が目立つ。そこまでいかずとも、イスラム教の信仰に関する限り「表現の自由」の名における批判ややゆを受け入れられないとする生徒が多い。
マスコミや論壇では、イスラム教の本来の在り方と過激派とは無関係だとする立場と、イスラム教の教義自体に過激派を生み出す要因が内在しておりムスリム自身による反省と改革が必要だとする立場の間で論争が展開されているが、こうした状況でムスリム市民はイスラモフォビア(イスラム恐怖症)の拡大を危惧(きぐ)している。
たまたま事件の直前には、従来ムスリムがフランスの社会や文化に非同化的だと批判的な立場を取ってきたジャーナリスト、エリック・ゼムール氏がベストセラーになった新著で論争を巻き起こした上に、外国でのインタビューで500万人のムスリムをフランスの国外に追放せよと発言したとされる舌禍事件によりテレビ・ラジオ番組からの降板を強いられるという騒動もあり(問題視された発言内容自体はイタリア人編集者による翻訳が原因だと判明)、ムスリムをめぐる論議が沸騰した。
また、イスラム教に対する激しい批判で知られる人気作家のミシェル・ウエルベック氏も、2022年の大統領選挙でムスリム系候補者が当選し、イスラム政権が成立するという近未来小説『服従』を発表して話題を呼んだ。こうした動きがテロ事件と相まってフランスのムスリム市民に強い圧迫感を及ぼしていることは想像に難くない。
イスラモフォビアは偏見の一形態であることは確かで、批判されるべき点はもちろんあるが、他方で、全く無根拠とも言い切れない面もある。
そもそもフランス社会におけるムスリムの存在は、今回の事件以前からあつれき(フリクション)を生んでいた。フランスは18世紀の啓蒙(けいもう)思想とキリスト教の長い対決を経て生み出した独自の世俗主義(政教分離)を理念としており、信仰の自由は認めているが、公共領域に宗教が介入することは許されていない。
ところが、ムスリム女性によるヒジャブ(イスラムスカーフ)などの着用に代表されるように、イスラム教はしばしば公共領域に自らのルールを持ち込もうとする傾向があるために、不和を招いている。ISの戦闘員になる若者たちの多くがインターネットを通じたISの呼び掛けに応じるように、ムスリムの若者の信仰に関する考えはしばしば外国のイスラム主義的なウェブサイトなどの影響の下で形成されている。また、フランス国内のイスラム教の指導者も多くが外国人であり、フランスのムスリム団体もそれぞれがアルジェリアやモロッコなどの影響下にあって、フランスの世俗主義と両立するようなイスラム教の布教が行われているわけでない。そのためフランス国内での指導者育成を求める声も強まっている。
都市郊外の若者の間にイスラム原理主義が浸透する契機は幾らもあり、イスラム世界の専門家であると同時に、郊外地区のムスリムの動向についても優れた研究を行っているジル・ケペル氏(パリ政治学院教授)などもフランスの都市郊外でサラフィズム(最も保守的といわれるイスラムの流れ)が影響を強めていることを認めている。中東の慣行がフランス郊外に流入しているようだ。
ムスリムの存在は日常的なレベルで、非ムスリム市民や当局にジレンマをもたらしている。フランスは2004年に公立学校で宗教的印を顕示することを禁止し、女生徒がヒジャブを校内で着用することを禁じているが、ヒジャブを着用して登校する女生徒の扱いについては学校任せというのが実情で、各校は対応に苦慮している。
学校によっては校内に特設の更衣室を設けて、そこでヒジャブを脱がせているが、厳密にいえばこれは違法であり、校門の前で脱ぐように義務付けるべきだとの意見もある。しかし、それでは就学そのものを放棄してしまう女生徒が出るとの懸念から、現実的な妥協策を取っている学校も多いようだが、世俗主義の原則を重視する一部の教員が学校の方針を告発するというような事態も起きている。また生徒の送り迎えをする母親が学校にヒジャブを着用して来ることを許可するかどうかも深刻な問題になっているが、ここでも現実的かつ寛容な対応が優先されている。
ムスリムが多い自治体では、公営プールの男女別利用や学校給食での豚肉の禁止、ハラル対応のメニューの用意などを要望する勢力が台頭して波紋を呼んでいる。また女性の着衣については、企業レベルでもあつれきが発生しており、特にパリ郊外の託児所でヒジャブの着用を理由に女性職員が解雇された件をめぐる係争は有名である。最高裁が2014年、解雇を正当と認めたが同託児所はこの職員に同情的な地元民の反感を買って、移転を余儀なくされた。元来は郊外のムスリム女性の就労を支援することを一つの目的に設立された託児所だっただけに、経営者らは勝訴を素直には喜べないとしている。なお、これは民間企業なので裁判になったが、公的機関なら着用は許されない。
ムスリムが企業・産業レベルでもたらす可能性がある問題として、日々の礼拝がある。通常の勤務時間帯に行う礼拝はせいぜい1回か2回だが、作業を中断する必要があるため、これを許可するかどうかは作業の性質によっても異なる。ただし多くの企業では可能な限り柔軟な対応を講じ、妥協の精神を優先しているという。またムスリム労働者の側でもできるだけ目立たない形で祈りをささげるように留意しているケースが大半だといわれ、この方面では大きな社会問題には発展していないようだ。これは利害を共有しつつ互いに常識の範囲内で振る舞っている限り、ムスリムと非ムスリムの共存はさほど難しくないことを示す好例ともいえる。
逆に、イスラム教の原理主義的な流れは、政治や法律、学問や倫理など全ての分野を取り仕切ろうとする傾向が顕著で、これが世俗主義とのあつれきを招いているわけだが、イスラムに引かれる若者などの証言を見ると、むしろ全てについてあらかじめ思考や行動の規範があり、それに従えばいいだけだという点に安心感を覚えるという。上記のウエルベック氏の小説の題名『服従』はこれを皮肉ったものでもあるが、イスラム原理主義ではさらに、女性は男性に絶対に服従すべきだとの考えがあり、郊外地区の女性の自立や解放を妨げているといえる。しかし、ヒジャブを着用する女性の側からは、自らの主体的な選択によってルールに従い、男性に服従しているのであって、それを外から批判するのは逆に選択の自由を否定しているとの反論も出ている。
一部のムスリムによるユダヤ人敵視もしばしば問題とされるテーマの一つで、これはパレスチナ問題を契機として、特に顕在化した。2015年1月9日のテロ事件ではユダヤ人が標的となり、これをきっかけにユダヤ人とムスリムの関係もさらに緊張を強めているが、学校関係者の証言などでも、ムスリム生徒の間で反ユダヤ的な発言が目立つという。
ユダヤ系の哲学者アラン・フィンケルクロート氏は2000年代の初めごろから、フランスにおける反ユダヤ主義の再燃に警鐘を鳴らしてきたが、新たな傾向として、パレスチナ問題を背景として、ムスリムの一部が反ユダヤ主義の主な担い手となり、「アンチ・レイシズム」をスローガンとする進歩主義勢力がこれをイデオロギー的に援護するという状況が生じていると分析している。フィンケルクロート氏自身はポーランド系ユダヤ人で幼少時に両親と共にフランス国籍を取得したが、自分はフランスの文化や言語を吸収し、伝統を継承していることを誇りに思うとしている。その立ち位置から「共和国」や「国民」を擁護して、多文化主義を批判し、フランスの歴史や伝統的文化に同化しようとしない傾向にあるムスリムの共同体主義を批判している。これは前出のゼムール氏の立場と共通する。
テロ事件により従来以上に可視化した感があるムスリムの存在だが、これは移民であれ、移民の第2、第3世代であれ、フランス社会に同化して平穏な生活を送っているムスリムにとっては不本意な状況だといえよう。フランスのムスリム共同体が立ち上がってイスラム過激派テロを糾弾する必要があるという意見に対して、ムスリムの側からは「普段は特異な共同体をつくらず、社会に溶け込んで不可視であれと要求する一方で、事件が起きるたびに、まとまりのある可視的な共同体として批判声明を発せよと要求するのは完全に矛盾している」との反論が聞かれる。ムスリムの有識者らは自分たちがこうしたダブルバインド(二重拘束)の状況に置かれることで、せっかくの同化努力がなし崩しになることを懸念している。
なお、上で触れたようにフランスのムスリム人口は総人口の1割に満たない500万人と推定されるが、憲法では国民の人種や宗教・信仰を調査することは基本的に禁じられているため、公式統計値は存在しない。しかし、こうしたルールは偽善的であり、実態を把握するために、民族や宗教に関するデータ収集を要求する声も強まっている。
(初出:MUFG BizBuddy 2015年2月)