気候変動で海岸浸食、危機感と楽観の間

投稿日: カテゴリー: フランス社会事情

気候変動の影響が世界中で目に見える形となって現れるようになる中、フランスでも海岸線の浸食の脅威が本格化している。この脅威に関する将来の予測と政府の対応に加え、ノルマンディー地方の事例を紹介する。

教会にも崩落の危機
その小さな教会は、フランス・ノルマンディー地方の海岸にそびえる白亜の崖上に建っている。サン・ヴァレリーという名前の教会で、建立は12世紀に遡る。堂内は素朴でほの暗く、この地を愛した画家のジョルジュ・ブラックが手掛けたステンドグラスから、青みがかった陽光が入ってくる。教会の周囲には墓地が広がる。教会の名前からの連想で、ここに来るたびに、地中海とノルマンディー地方では方角がまったく違うのだけれど、ポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」という詩、「風立ちぬ」という言葉で有名な詩のことを思い出す。ジョルジュ・ブラックの墓碑もここにある。クロード・モネからカミーユ・ピサロに至るまで、この地を愛し、描いた画家はほかにも多い。

ノルマンディー地方セーヌ・マリティーム県のヴァランジュヴィル・シュル・メール市にあるこの教会は、昔は崖から500メートル(m)以上は離れた場所にあった。今では80mしか離れていない。崖は少しずつ崩落しており、そのペースは年間平均30センチメートル(cm)に上る。崖は墓地の末端近くにまで迫っている。教会本体にも損傷が生じた。崖の崩落で地盤にゆがみが出ており、壁に亀裂が入った。2000年と2010年に補強工事が行われ、建物の崩壊はひとまず回避された。ヴァランジュヴィル・シュル・メール市のグリュエ市議は、これらの工事がなかったら教会は既に倒壊していただろう、と話している。

セーヌ川の河口以北の北ノルマンディーの海岸線は、石灰岩の崖と、海に注ぐ小さな川の河口が作る浜辺が交互に続く、美しい風景で知られる。140キロメートル(km)に及ぶこの海岸線には、オパール海岸という異名もある。英仏海峡を挟んだ向こう側のイングランド南東部にも、鏡に映したような地形が広がる。崖の高さはところにより100mを超える。白亜の崖の浸食と風化は自然現象だが、そのスピードは加速している。石灰岩の地層が崩落するメカニズムはよく知られている。雨水が浸透し、地層内で凍結し、くさびのように膨張することで亀裂が入り、何らかの衝撃で崩落する。そのスピードが加速しているのは、気候変動に伴い、極端な豪雨の発生頻度が高まったことも関係あるのだろう。

地元のヴァランジュヴィル・シュル・メール市は、今のところ対応を決めかねているようだ。運命と観念して倒壊を容認し、美術品など救えるものだけを救うか、それとも建物を解体して安全な場所に移転するか。その場合は資金の確保が条件になる。市は解決策を探りながら、当面の措置として、墓地に埋葬されている遺体を市内の別の墓所に改葬することを決めた。

今世紀末までには50万戸近くに水没のリスク
フランスの海岸線は、海外県も含めて総延長が5,500kmに上り、世界でも有数の海洋国である。セーヌ・マリティーム県をはじめとして、海浜の自治体ではいずれも、海岸線の後退の問題に直面している。公的機関のリスク・環境・移動・国土整備に関する研究・技術センター(CEREMA)が発表した報告書によると、海岸線の20%で浸食が見受けられるという。海面上昇と気候変動に伴う豪雨など、極端な気象現象が原因で、浸食の問題は増大しつつある。過去50年間では、サッカー場4,200面分の土地が海になった。フランス会計検査院の別の調査によると、大西洋岸のオレロン島では、年間平均で実に15mの海岸線の後退を記録したという。

CEREMAは、2028年時点、2050年時点、そして2100年時点という3段階の期間を設定し、海岸浸食の影響について予想している。2028年時点の予想は、当然ながら確度が高い。海岸線に飲み込まれるリスクが目前に控えており、堤防や防護壁などで保護されていない地区にある建物がリストアップされている。海外県の仏領ギアナを除外すると、1,046棟の建物が倒壊や浸水の危機に直面しているという。うち636棟が住宅で、その大部分は地中海岸(東部のヴァール県だけで150棟)と、コルシカ島、セーヌ・マリティーム県、そして海外県(マルティニーク、レユニオン、グアドループ)に集中している。建物の資産価値は、最近の取引価格をもとにした推計では、合計で2億3800万ユーロに上るという。

2050年時点の予測は、海岸線の慢性的な浸食、暴風雨等の極端な気象現象による浸食(1回につき10~20mの浸食)、そして、護岸用のインフラ等の保守・維持の状況という3つのファクターを主に考慮して策定されている。中期的なこの予測には、従来の予測と比べて大きな変化はない。5,208戸の住宅に被害が及ぶ見通しで、うち1,246戸は本宅、2,004戸はセカンドハウスとなる。このほかに1,437カ所の事業所(店舗、オフィス、キャンプ場、ホテル)にも被害が及ぶ。これらの被害は総額で12億ユーロに上るという。それに加えて、道路12.5km、鉄道545mが水没・倒壊する。地域別では、グアドループ海外県、コルシカ島、マンシュ県(ノルマンディー地方)、ヴァンデ県(大西洋岸)、そして地中海沿岸地区で影響が大きいようだ。地中海沿岸では、海岸線近くに建物が多く、海岸線の後退は、建物への被害に直結するという。

2100年までの長期予測では、従来の5万戸という予想が、45万戸弱という規模に大幅にかさ上げされた。その被害額は合計で860億ユーロに上る。地域別では、北仏のパ・ド・カレー県で4万6000戸強、大西洋岸のシャラント・マリティーム県で4万6000戸強、ヴァンデ県で4万1000戸、セーヌ・マリティーム県でも3万1500戸強と多い。住宅だけでなく、5万3000カ所の事業所、1,765kmの道路、243kmの鉄道が水没するという。

この新たな予測においては、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が採用した最も厳しい仮定に依拠して、海面上昇の影響を折り込んでおり、これで被害状況の予想が一段と厳しくなった。穏やかな気象条件における満潮時の海面が1m高くなったと仮定し、恒常的に水没する地区を割り出し、被害状況を予測した。気温上昇を抑制する努力が実らなかったという条件付きの被害予想ではあるが、海面の緩慢な上昇に対応する努力が必要なのは間違いない。護岸工事に力を入れるにせよ、ある程度の地区の水没を容認しつつ街区の再整備を図るにせよ、将来を見越して今から対応を進める必要がある。ベシュ・エコロジー移行・地域結束相は、この問題で、各自治体の取り組みを国として支援する形で対応を進めてゆく考えを明らかにしている。

具体的には、2021年の気候変動対策・レジリエンス強化法により、海浜の自治体は、30~100年後の海岸線の展望を折り込んで街区整備計画を策定するよう求められる。この計画に依拠して、建築禁止区域が設定され、取り壊しを進める街区の指定もなされる。これまでに242の自治体が計画の策定に着手したが、将来に生じる費用分担をどうするかなど課題は多い。政府部内では、不動産移転税の上乗せ課税を導入して財源を確保する、という構想も浮上しているという。

崩れる崖の上の家
セーヌ・マリティーム県のキベルヴィル・シュル・メールも、小川の河口に浜辺があり、そして海に面した白亜の崖上に広がるという、この地方の海岸の特徴を備えた街である。海を見渡せる家は昔のままでも、家から広がる芝生の庭の向こうに続く断崖絶壁は、少しずつ家に迫ってくる。一部の建物には立ち退き命令が出され、所有者には国が買い上げる形で補償がなされた。崖に面した街区の全体は建築許可が凍結されており、遅かれ早かれ住民たちはここを去ることを余儀なくされるだろう。

この地方は石浜が多く、崖下も含めて、海辺には帯のように広がる石浜の回廊がある。キベルヴィル・シュル・メールでは、石浜を崖の浸食を守る砦として、波に小石がさらわれないようにする工夫をしており、小さなコンクリート塀を配置して小石を浜にとどめている。石浜の保護は切実な課題で、「怪盗ルパン」の舞台に引き寄せられた人たちによるオーバーツーリズムの問題を抱えるエトルタでも、浜辺の小石を持ち帰らないよう、観光客に呼びかけている。ただ、石浜で海岸浸食を防止するのも限界がある。キベルヴィル・シュル・メールでは、海岸に面したキャンプ場を廃止して、より高い位置に移すとともに、この街で海に注ぐサアーヌ川という小川の護岸インフラも解体し、河口を自然の湿地帯に戻すことにした。一方では、自然に抗うのをやめて海岸浸食を受け入れ、他方では守りを固めるという対応になる。

崖上の家もおよそ守れるものではないから、滅びゆく定めとなる。パトリックさんとジゼールさん夫妻は、崖上の家を2002年に購入した。定年退職後の生活を、県庁所在地のルーアンにある自宅と、キベルヴィル・シュル・メールの別荘の間を行き来して暮らしている。庭に続いて崖があり、孫たちのための用心にフェンスを拵えて一応の保護を整えており、格別の恐怖を感じたことはないという。2012年のクリスマスの時期には、崖が2.5m幅で崩落し、海がそれだけ近くなった。それでも夫妻はあまり心配していないらしい。8万ユーロで購入した物件だが、今では評価額は40万ユーロに上るといい、特にドイツ人から買収の打診が定期的にあるのだという。

いつかは深淵に飲み込まれるとわかっていても、それまでの間、海に落ちる夕日を眺めていられる幸福。それにどれだけ払うかは、その人次第だろう。引き受ける保険会社などなくてもいい。今後は国による補償も得られなくなる見通しだが、それを折り込み済みとして、残余の用益権を確保するという選択もある。かくして、断崖絶壁の「チキンレース」はこれからも続く。詩人シャルル・ボードレールも「海上に輝く太陽ほど値打ちのあるものはない」と言っていた。不動産屋でもないのにさすがは大詩人、なんでもお見通しだ。

(初出:MUFG BizBuddy 2024年4月)