フランス人には日本好きな人が多いといわれ、日本食や伝統工芸品はもとより、日本の近代的な文具や小物、ファッション、アニメや漫画などの「モノ」を常に輸入してきた。しかし、日本的なきめ細やかなサービスを輸入しようという野心的な起業家はあまりいないようだ。日本にあってフランスにないサービスは枚挙に暇がないが、本稿では教育サービス、特に学習塾にスポットをあてたい。
筆者の愚息は今、コレージュ(中学校)の2年目の学級に在籍している。フランスでは中学2年生となるが、フランスは小学校が5年制、中学校が4年制であるところに、新学年が9月に開始し、日本の子供よりも半年以上早く新学年を迎えることになるので、日本では実はまだ小学校6年生である。
一昨年あたりから、日本に帰ると、以前は頻繁に遊んでくれていた彼の同級生たちがどうも忙しい。中学受験を控えて学習塾に通い出したからだ。日本では、難関校の受験を目指すのであれば、遅くとも小学校4年生から週日の学校帰りの塾通いが必須、と言われている。夜の9~10時まで家に戻らずに弁当持参で勉強するような学習塾も多く、夏休みや冬休みには塾が泊まりがけの勉強合宿を用意する。教師をしている友人からは「今の難関校の入試問題には、高校2年生レベルの問題が出ることもある」と聞いた。そんなに先取り勉強をせねばならないとは、今の子供たちは大変だ。
ところがママ友に話を聞くと、子供より親の方が大変で、子供の送り迎えという身体的な苦労もあれば、高額な塾代を支払い続けるという経済的な困難もあり、さらに子供の成績に一喜一憂し、思うように勉強しない、あるいは成績の上がらない我が子を、常に叱咤激励せねばならないという精神的な気苦労も絶えないそうだ。
『二月の勝者』という漫画が流行り、その中の名言によると受験の成功には「父親の『経済力』そして、母親の『狂気』」が必要なのだそうだが、まさに親の経済力と、狂気的な熱意がなければ、受験戦争には勝てないらしい。日本では受験を目指さずとも、成績を維持あるいはアップさせるために、塾通いをしている子供は多い。日本はやはり「塾大国」であり、「学習塾」が一大ビジネスとなった国だといえよう。
フランス人にとって、こんな日本の学習塾事情は、地球外の惑星の話にしか聞こえないだろう。フランスにも受験がないわけではないが、一発試験だけで合否を決める学校はあまりないように思う。むしろ合否を決める際には、それまでの学習態度や通知表の成績といった内申、子供の意欲、親子面談時の感触(親の属性や親子関係の査定)を重視し、筆記試験の結果は二の次な気がする。
とはいえ、フランス人の子供たちが生涯ガリガリ勉強せずに、のほほんと育つわけでもなく、フランス人の親たちが子供の成績を全く気にしないわけでもない。前述のように、進学時には「内申」が重視されるので、常日頃からできるだけ良好な成績をとっておく方がよい。しかし、フランスの学校には「子供は当然、勉強するべき」という雰囲気が薄いようで、学校の宿題すらやりたがらない子も多い。たかだか宿題をやらせるのに、日々、異常な労力と時間を割かねばならない親も多いようだ(我が家もそうである)。
中学卒業時には、中学で求められる学力を修学できているかどうかを測るブルヴェという一斉試験がある。また高校卒業時にはバカロレアという高校卒業資格試験が待っている。ブルヴェが近づいてくる中学3年次、バカロレアが近づいてくる高校2年次に、フランス人の親たちの一部は、我が子に自習の習慣や競争に対する免疫がないことに突然気づく。そしてこのままでは将来に関わる大事な全国一斉テストに不合格となるか、学年を落とすか(フランスの学校では飛び級も落第も比較的頻繁。落第して基礎的な学力を強化する方がブルヴェやバカロレアの点数アップにつながると、落第を敢えて選択する親子もいる)の選択しか残されない、ということに気づいて愕然とする。
フランスで子供の学習に困った親はまず、オンラインの教育サービスにすがる人が多い。例えば「my Maxicours(https://www.maxicours.com/)」。月14.99ユーロで、各教科・単元のビデオ講座を視聴でき、オンラインのドリルを利用して自習ができるようになっている。チャット機能を利用して、オンラインで待機している講師に質問できるプランは月19.99ユーロ。教材ビデオはアニメやキャラクターなどを使って子供が楽しめるように作ってあり、ドリルもゲーム感覚でできるようになっている。確かに子供も最初は楽しくビデオを見たり、遊び感覚でドリルをしたりしている。
しかし、この学習法には何より自主性が必要で、そもそも勉強嫌いの子が、オンライン教育サービスにハマって成績を上げたとか、自習習慣がついたとかいうケースは稀のようである。子供がパソコンの前に座っていても、ふと気づくとYouTubeなどを見てしまっているので、親も監視の目を光らせていなければならない。日本の通信教育会社が提供する「学習専用タブレット」のように、必要ないサイトは閲覧できないようになっていたり、ドリルをこなすことでポイントを貯めて景品がもらえるというモチベーションアップの工夫がないと、オンライン教育サービスに長期的な効果を期待するのは難しい。
悩める親たちを次に救ってくれる学習サービスが、家庭教師である。家庭教師派遣会社はいくつか大手もあり、子供の学年と苦手教科を伝えると、登録された家庭教師から適任者を紹介してくれる。派遣サービスを通すと、家庭教師代は大抵、1時間~1時間半で約50ユーロ。少し高額に感じられるが、実はこの半額が所得税控除の対象となる。以前は家庭教師代を払い、所得申告の際に家庭教師代を申告しておくと、次に支払う税額から半額を控除してもらえるというシステムだったが、現在は支払い時に控除されるようになった。つまり最初から約25ユーロの支払いとなったのである。この制度変更を受けて、筆者の周りでも、家庭教師派遣サービスの利用を考える人が増えたように思う。家庭教師派遣会社に、月々のサブスク料金約20ユーロを納めねばならないが、教師の査定もしてくれるし、子供と教師の相性が悪ければ、すぐに代理を派遣してくれる。とはいえ、税控除があるのでお得感はあるものの、週に1~2回の家庭教師を頼むとなるとそれなりの経済力が必要である。
そうなると次の選択は「学習塾」となりそうだが、学習塾というものはフランスにはほぼ存在しない。家庭教師派遣会社が、学校休暇週間に(フランスは2カ月に1度、2週間の学校休暇があり、しかも7~8月はほぼすべて夏休み)、「フランス語強化コース」「数学強化コース」などの1週間程度の集中講座を開くことはある。しかしこれは休暇期間に限ったことで、常時、子供の学習講座を提案しているところは見かけない。英国の公的な国際文化交流機関であるブリティッシュ・カウンシルなども、中学校の「英語学科」に行きたい子供向けに特別の受験コースを設けているが、これも週に1~2回程度で、受験塾というよりどちらかというと習い事に近い。上記のように、宿題もしない我が子、成績が芳しくない我が子、大事な試験を控えた我が子に頭を抱えている親は大勢いるわけだが、なぜ学習塾がないのだろう。
学習塾であればオンライン学習のように、気づいたら子供が学習とは無関係のサイトを見ていた、という事態も起こらない。家庭教師よりも比較的安価である。しかも学習塾には、それ以上にオンライン学習や家庭教師にないメリットがある。それは「みんなで一緒に学習する」という環境を提供してくれる点だ。周りの同級生が勉強しているから自分もしなければという焦燥感や、隣のライバルに負けたくないという競争心が芽生えやすい環境に子供が置かれることは、学習サービスの中でも塾ならではの利点であるように思う。
というわけで、この国には潜在的な需要があるのに「学習塾」がないので、サービス大国でありかつ塾大国の日本から「学習塾」を輸入してはどうか。ひょっとしたら、かなり前にフランス進出を図った「公文」はそう考えたのかもしれない。公文は日本でフランチャイズ展開しているが、フランスでも、学習塾を開こうと考える起業家(?)が公文と契約を結び、公文式の学習方法を採用した「公文式学習教室」が現在、パリ市内に4校、郊外に2校展開しているらしい。同社のサイトによると、欧州全体では「公文式学習教室」が1000校を超える。子供たちが一つの場所に集まって、一定時間、集団で学習をするものの、生徒の学年はバラバラ、先生が見回って各人のレベルに合わせて自習をサポートするという形式は、これまでの「学習塾・受験塾」とは異なるかもしれないが、オンライン学習や通信教育、家庭教師にはない「同志と切磋琢磨する学習環境」は得られそうである。
フランスはかなりの学歴社会で、ホワイトカラーとして働いていくのであれば、よい成績を収め、レベルの高い学校へ入学するにこしたことはない、と親たちも思っているはずである。そんな親たちの悲願に応えるためにも、「公文」にはさらなる展開を期待したい(というか、我が家の近所にも開校していただきたい)。また他の大手学習塾も、少子化で「子供争奪戦の塾業界」などと報じられる日本から一歩出て、この学習サービス供給不足のフランスで、迷える親たちを救ってほしいと切に願う。いや、それより、AIなどの台頭で先行き不安な、情報提供を生業とする弊社も、「寺子屋」という新事業を打ち出すべきかもしれない。
※本記事は、特定の国民性や文化などをステレオタイプに当てはめることを意図したものではありません。
(初出:MUFG BizBuddy 2023年11月)