メディアの中立性や客観性に関する考え方は国によって異なる。筆者が若い頃には、日本のメディアは総じて中立で客観的であることを旨としているが、欧米では、各メディアが保守や革新など政治色を明確に打ち出すのが特徴で、読者・視聴者・聴取者は、そうした政治的傾向をあらかじめ理解したうえで、自分の好みの情報源を選択するのだと教えられた覚えがある。それこそが大人の態度であり、成熟した報道のありかただ、とも言われた。日本でも今や中立や客観を主張するメディアは少ないだろうし、独裁国家のメディアがしばしば中立性や客観性を標榜したがることを思うと、各メディアが自分の寄って立つ立場を明示するのは健全でもある。その点、フランスのメディアは色分けがはっきりしていて、わかりやすい。ただし、自分と見方や考え方が近い新聞や放送局の報道だけに接していると、気持ちは良いが、一定方向にどんどんドライブがかかり過剰に偏向してしまうリスクも大きい。反面、左右のメディアにできるだけ幅広く目を配ろうとすると、「これは左派系だから、こんな風に言っている」とか「これは右派系だから、ほかと異なる角度からとりあげている」といちいち差し引いて受け止めなければならず、それはそれで疲れる面もある。フランスに限らず民主国家においてはジャーナリストやメディアの主流は左派系だが、それだけに、右派系メディアの報道に接すると、おやっという新鮮味もある。ただし、それも毎日朝から晩までとなると食傷気味になる。近年右傾化がひどいと悪名高いニュース専門局を筆者は数ヵ月にわたり、毎日視聴してみたが、出てくるコメンテーターの論評がどれも 同工異曲で、視野が全面右派色で塗り込められる印象があり、流石に息が詰まる思いをした。コメンテーターの中には、鋭い意見や面白い見方を提示する人もいただけに、少し残念な気もする。味の濃い料理を毎食これでもかと食わせるようなもので、報道にあまり極端な色をつけるのは、かえって逆効果だろう。その意味では、報道の極端な右傾化や左傾化はさほど警戒するにあたらないのではないだろうか。受け手のほうが最初から極端な傾向を備えていない限り、扇動されるよりはうんざりする可能性が大きいと思う。ある程度のバラエティーを保つことが長生きの秘けつだ。