植民地時代に欧州に持ち去られたアフリカの文化財を、その祖国であるアフリカ諸国へ返還しようとする動きが、欧州諸国の間で広まっている。他方、国家から離れた民間の場で20世紀初めに始まったアフリカ彫刻芸術を対象とする美術品市場も新たな発展を見せている。稀少な品についてはオークション価格が1,000万ドルを超えるケースも出てきた。
欧州では、植民地時代に欧州へと持ち去ったアフリカの文化財を返還する動きが、3年ほど前から本格化している。この動きに最初に弾みをつけたのは、大統領第1期就任後まもないフランスのマクロン大統領だった。2017年11月、ブルキナファソを訪れたマクロン大統領は、首都ワガドゥグの大学で演説し、自身の任期である5年以内に、アフリカの文化資産返還のための条件を整えたいと言明した。
その一環として、フランス政府は現在、2024年年初の議会提出へ向けた法的枠組みの準備を進めている。フランスでは、1566年に国王シャルル9世が出した勅令以来の大原則として、国立美術館等に国が所蔵する物品には「不可譲」の原則が適用され、その返還を可能にするには個別の特例法案を成立させるしかない。こうした状況を修正するため、すべての返還案件に適用できる一般的な法的枠組みを定め、返還をスムーズに進めようというのが目的である。
ただし、植民地時代に持ち去られた文化財の返還に関しては、その政治的な意義付けと、実務的手続きの両面で課題がある。法的枠組みの準備のため2023年4月に提出された報告書(報告者はルーヴル美術館のマルティネーズ前館長)では、意義付けに関し、「植民地主義への悔悟という論理から脱却」して、「若者たちの将来」を展望に据えることを提唱。その上で、9項目の実務上の「基準」に従って返還するよう提案した。具体的には、「相手国政府からの返還請求のみを対象とし、3年以内に審査を完了する」(政府以外からの請求は受け付けない)、「複数国からの請求がないか確認する」(19世紀の国境は現在と異なり、2カ国以上にまたがる場合がある)、「国家資産としての価値(国宝級の価値)があるものに限定する」(フランスに所在する文化財すべてを区別なく返還せよという請求には応じない)、「フランスによる所有が非合法、非正当であった」といった基準である。
その他に、「返還した文化財を国家の資産とし、一般に公開する」ことを相手国に求める基準もあるが、これについては、「アフリカでは美術館で文化財を公開する伝統はなく、これを求めるのは(旧宗主国による)介入」だという反発がある。他方、マルティネーズ報告書が発表されたのと同じ4月27日には、欧州とアフリカ38カ国の美術館館長60人がセネガルの首都ダカールに集まり、文化財の返還という段階を超え、また植民地化という歴史の一時期を超えて、欧州とアフリカの美術館が相互理解を深めようという「ダカール宣言」が調印された。欧州とアフリカの美術館がネットワークを作り、巡回展覧会を組織することも提案されている。
フランスはすでに2022年2月、ベナンにある世界遺産アボメイの王宮群から持ち出された文化財26点をベナンに、刀剣1点をセネガルに返還した。返還のための法的枠組みが制定されていないため、特例法(2020年12月24日法)を制定しての返還であった。
隣国ベルギーは同じく2022年、コンゴ民主共和国(旧ザイール)から持ち出されたベルギー連邦所有の文化財8万5000点を返還するための手続きを開始した。ベルギーの植民地支配は、国王レオポルド2世がザイールを国王の私有地化したという特異性があり、苛烈な搾取や虐待があったことが明らかになっている。こうした経緯を背景に、現フィリップ国王は2020年以降、6月30日のコンゴ民独立記念日には繰り返し「痛惜の念」を表明している。2022年6月には、国王夫妻と首相が1週間にわたってコンゴ民主共和国を訪問。その直後、文化財返還のための「ベルギー国家の植民地時代と結びついた財が譲渡可能であることを認め、その返還と帰還の枠組みを定める連邦法」が採択された。
また2022年7月、ドイツはナイジェリア南部のギニア湾沿岸に12世紀から存在したベニン王国の美術品であるブロンズレリーフや像など、1,100点以上の所有権をナイジェリアに移譲する合意に調印。第1陣の20点は同年12月に返還された。ベニン王国のブロンズレリーフは、アフリカのブロンズ彫刻の最高峰に位置づけられる貴重な美術品だが、1897年、英国人外交官殺害事件への報復として英国軍が首都ベニンシティを猛爆して王国は滅亡、その時に英国軍によって持ち去られた。英国はその一部をドイツの複数の美術館に売却していた。
ベニン王国のブロンズレリーフは、当然ながら英国にも所蔵されている。ロンドンの独立系ミュージアム、ホーニマン博物館は2022年8月、所蔵するベニンシティからの略奪品72点(うち12点がブロンズレリーフ)を、ナイジェリアからの「倫理的で適切な請求」に応じて返還すると発表し、うち6点がすでに返還された。ただ、対応は博物館によって大きな差があり、ホーニマンのような独立系博物館や、ケンブリッジ、オックスフォードなど大学の博物館が返還に積極的であるのに対し、大英博物館は、「所蔵品の譲渡禁止を定めた1963年の法律」を盾に、いっさいの返還請求に応じない構えだ。大英博物館に対しては、ヒエログリフ(象形文字)解読の手がかりになった有名なロゼッタストーンの返還を求める署名運動が行われているが、エジプトからの正式な返還請求は出ていないようだ。
以上は、国と国、旧宗主国と旧植民地といった政治と歴史の爪あとが拭いきれない、国家所有下のアフリカの文化財とその返還を巡る動きである。これらとは別に、国が直接関わる次元から離れた民間の場で、20世紀の初頭からアフリカの部族美術品、特に彫刻芸術に魅了され、これを革新的芸術創造のインスピレーション源としていったアーティストの一群や、これまで西洋になかった美的価値を有する作品として積極的に収集しようとするコレクターが出現し始めた。アフリカの彫刻が造形美術の世界に新たな現代性をもたらし、これまでになかったジャンルの美術品市場を生み出したのである。
ピカソ、モディリアーニ、マティスなど、新しい絵画表現を模索する20世紀初めの画家たちが、アフリカからの美術品に強い衝撃を受けたことはよく知られている。ピカソがアフリカの彫刻を眺めたとき、それは民族史的な関心からではなく、芸術表現の新たな可能性を探ろうという画家としての視点からであり、そこからキュービスム(立体主義)と呼ばれる前衛絵画運動が生まれた。
化粧品業界で巨万の富を築いたポーランド出身の米国人実業家ヘレナ・ルビンスタインがアフリカ彫刻の収集を始めたのも同時期、1908年ごろだ。ルビンスタインが収集した400点余りのアフリカの美術品は、その死の翌年、1966年に米国ニューヨークでオークションにかけられ、このときの売却総額は45万ドルだった。ルビンスタインのコレクションの質の高さは折り紙付きで、パリのケ・ブランリ美術館(アフリカ、オセアニア、アメリカなど非欧州圏を専門とする美術館)では、1966年のオークションで散逸したルビンスタイン収集品のうち新しい所有者の貸与許可が出た60点を集め、2019年11月から1年近くにわたってルビンスタイン・コレクション展を行った。ルビンスタインが所有していた美術品の一つ「バウレ族の仮面」が2019年にパリのクリスティーズでオークションにかかったが、評価額30万ユーロに対して落札額は単品で100万ユーロ近くまで上昇し、中国人の愛好家が競り落とした。
ルビンスタイン・コレクションと同じように、20世紀後半以降、アフリカ美術の先駆的コレクターたちのコレクションは相続や売却の時代に入り、所有者が代替わりするごとに、クリスティーズやサザビーズ等のオークションで数万、数十万、さらには数百万ドルの値を付けるようになった。
米国のアフリカ彫刻収集家で、富裕な実業家(美容室チェーンを展開)だったマイロン・カニンのコレクションも、カニンの死の翌2014年にニューヨークのサザビーズでオークションにかけられた。その中の稀少な品「セヌフ族の女性の彫像」は1,200万ドルで落札され、ついにアフリカ美術が1,000万ドルを超える時代が到来した。1989年にサザビーズで売却されたときの価格は100万ドルだった。
ただし、ルビンスタインやカニンのように、アフリカ彫刻に魅せられ、その収集に特化した富豪の時代はすでに終わり、若い世代は趣味も投資行動も変化し、アフリカ彫刻というニッチ市場に集中する富裕なコレクターは見当たらなくなってきた。結果、アフリカ部族美術の市場は価格上昇を続ける高額品と、買い手を見つけるのも難しい中級品以下の市場に二極化している。Artkhade(アフリカ等の非欧州圏美術品情報のリソースセンター)の最新レポートによると、アフリカの部族美術品の平均価格は1万5000ユーロ、つまり、現代アートで新人画家が市場に参入する際の下限価格レベルにとどまっている。
2023年6月21日にはパリのサザビーズで、フランス初の女性美術商でマリのドゴン族の美術の世界的権威であった美術史家、エレーヌ・ルルー氏のコレクション60点がオークションにかけられた。この中にはルビンスタイン・コレクションに含まれていた「ファン族の彫像」があるが、1966年の競売時に2,750ドルを付けたこの作品に、今回は400~600万ユーロの評価額が付いている。オークションでは、いくらで誰の手に渡ったのだろうか。
(初出:MUFG BizBuddy 2023年6月)