2022年6月7日 編集後記

投稿日: カテゴリー: アライグマ編集長の日々雑感

ヨーロッパの大半の国では、夏の観光シーズンを控えて、新型コロナウイルス規制がほぼ全面的に解除されている。観光や宿泊などのサービス業は国外に移転しない雇用を創出するだけに、特に失業率が高い南欧諸国にとっては、健康面のリスクをおかしても、活動を解禁せざるを得ないという事情があるが、当然のことながら、規制の撤廃は感染の再拡大を招きつつある。ロックダウンが市民の精神衛生にもたらした悪影響については、誰しもが報道だけでなく身近な体験を通じて十分に認識しているだろうから、規制緩和に全面的に反対するつもりはないが、基礎疾患や免疫不全のある人や高齢者は、いっそうリスクの高まった社会環境において、自己防衛の手段を強化するほかに選択肢がなく、いわば個別のロックダウンに閉じこもるほかない。知り合いの中国人は、中国政府がゼロコロナ政策を堅持しているために一時帰国もままならないと嘆き、今やコロナとともに生きる以外の選択肢はないと断言して、感染して死ぬなら、それも運命でしかたがないさ、と妙に達観しているようなことを言うのだが、そもそも中国政府が感染初期に今のような徹底的なロックダウンを適用していてくれれば、世界的な感染も起きなかったはずだと、悔しい気もする。現代社会における「分断」ということがよく話題になるが、コロナに関しては、市民の孤立による分断を回避するための規制緩和が、一部の市民のいっそうの孤立化を招き、ウイルスをうつしたりうつされたりすることが平気で無頓着な人々と、怯え、恐怖し、自衛に日々のエネルギーを費やさざるを得ない人々の間で、新たな分断を招くことになりそうだ。マスクを着用せず、手を洗わず、他人に向かって平気で咳やくしゃみをする人が多いフランスのような国にいると、ときに他人が歩く武器のようにすら見えて、当人の意図とは関係なく、不当に攻撃されていると感じることがある。国や社会が市民を十分に守ってくれないために発生した感染症が収束しないのに、社会がシールドを除去すれば、途端に裸で追い出されてしまう弱い個人はどうすればいいのか。ウィズ・コロナなどと軽々しく言えない人々のことももっと考える必要がありそうだ。