2022年5月31日 編集後記

投稿日: カテゴリー: アライグマ編集長の日々雑感

今年の全仏テニスは、新型コロナウイルス危機による変則的な時期を経て、久々にまともに開催された上に、19才になったばかりの2人の新鋭の参加で、活気に溢れた大会になっている。強力なサービスと両ハンドのショット、敏捷で疲れを知らないフットワーク、巧みなドロップショットやネットプレイ、類まれなボールタッチなどをすでに備えておりながら、まだ伸び代が大きい若手の登場は、ファンには楽しいが、20代のプレイヤーにとってはたいへんな脅威で、尻に火がつく思いだろう。フェデラー、ナダル、マリー、バブリンカ、ジョコビッチと30代半ば以上の輝かしい世代がビッグタイトルを総なめし続けてきた中で、現在の20代はいわば失われた世代になってしまうリスクが大きい。もちろん10年後のことは分からないが、この世代からはグランドスラムに5回以上優勝するプレイヤーすら出て来そうにない。身体能力や技術などが優れたプレイヤーが何人もいるのに大大会になかなか勝てないのは、メンタルな側面が影響していることを多くの識者が指摘している。確かに上の世代に比べて、気迫や気力に欠けるというか、「根性がない」と感じられるケースが少なくない。出身地も育ちかたもそれぞれ異なるプレイヤーが競う国際的な個人競技に世代のメンタリティーというようなものがあるのかどうかは疑問だが、外部から見て、そのようなものを想定すると納得が行くような集団的傾向があることは興味深い。上下の世代に挟まれて、このまま押しつぶされてしまわないといいのだが…他人事ながら心配になってしまう。