抗議運動と物語の欠如した単なる暴動

投稿日: カテゴリー: アライグマ編集長の日々雑感

都市郊外の17才の若者(フランス人だが、アルジェリア系移民家庭出身)が無免許で運転中に警官から停車を命じられ、射殺されてしまった。警官は勤務態度も真面目なベテランというが、威嚇射撃ならともかく、なぜ少年を射殺してしまったのか? 謎は残るが、この事件がきっかけとなり、フランスで5日間以上にわたる暴動が発生し、役所や学校などの公共施設、商店などが破壊や略奪をこうむった。2005年の暴動以上の大規模な被害が生じたとみられている。その原因や意味合いについて日本の知り合いに問われたが、正直なところ、よく分からない面もある。
被害者と同じように都市郊外の問題地区に住む移民系の多くの若者が普段から警察と対立しており、自分もまた不当な理由で警官に撃ち殺されてもおかしくないと憤りを感じたことが直接の契機であることはもちろん推察できる。おまけに警官側が当初、身の危険を感じて発砲したと正当防衛を主張したのに、現場を撮影した動画が出回り、これが真っ赤な嘘であることが判明してしまったことで若者たちの強い義憤を招いたことも分かる。郊外に多いアフリカ系(黒人やアラブ系)の若者がフランス社会から排除され、二級市民扱いされていると感じて、国籍はフランスでも自らのアイデンティティを「フランス人」であることに見いだせない状況があることもしばしば指摘されており、警官がこうした人種差別的態度の代表のようにみなされていることが、暴動の背景にあることも分かる。しかし、不当な殺害に抗議するために立ち上がったかと思われた若者の多くが、実際には商店を襲って、高級品やスマホやスニーカーを略奪することに精力を注いだという事実は、この暴動のチープな一面をも如実に物語っている。
米国で警官による黒人の不当な殺害事件が起きた後に発生した抗議行動は「Black Lives Matter」というスローガンを得て、奴隷制度や公民権運動の記憶と結びつき、人種概念を巡って分断と和解を繰り返してきた米国の歴史に深く根ざした大きな運動となった。そこには明確な大義があり、人種の違いを超えて米国市民が共有できる物語があったからこそ、多数の白人も含む大きなうねりとなったのだろう。翻って、フランスの暴動は2005年も今回も、こうした共有可能な物語の醸成へと発展する契機が乏しい。右派や極右はもちろん 「フランス社会に同化できないアフリカ系移民を入れすぎたことで社会的分断の危機に陥った」という出来合いの物語を裏付ける証拠として今回の騒動を解釈しており、これには一定の説得力もあることは否定できない。抗議運動に便乗して商店を略奪する若者を見て、多くのまともなフランス人は「こんな節操のない奴らを自分と同じフランス人とみなすわけにはいかない。やはり西欧のモラルや価値観を共有できないアフリカ系移民の受け入れは失敗だ。移民により人口は若返るかも知れないが、労働力ではなく、麻薬の売人や暴徒を生み出すだけだ」と感じるだろう。これに対して左派陣営は警察の暴力を糾弾するだけで、警察がなぜそのような行動をとりがちなのか根源に遡って分析していないし、「権力の横暴」を非難する旧態依然たる左派的言説に終始するのみで、若者がなぜこれほど憤激するのかを正当化する物語を提示できていない。筆者は、フランス社会で「人種」や「人種差別」という用語をめぐる一種のタブー視があることがその一因ではないかという気がしているが、それはともかく、とりわけ当事者であるはずの「都市郊外の若者」の側から、自分たちの鬱憤を正当化し、フランス社会を変化に向けて突き動かすような物語がいっこうに提示されないままであることにはいささか失望せざるを得ない。そのようなしっかりした物語があるなら、公共施設だって焼いてもいいぞ、と言いたいぐらいの鷹揚さはあるが、多数が共有できる物語を伴わない陳腐な「権力への反抗」は、外からは、単なる暴動にしか見えない。そして、明確な目標と組織化のない抗議行動は今後も機会あるたびに繰り返されるだろうが、それによって社会の何かが改善されることはないだろう。筆者としては、都市郊外から新たな大きな物語が登場することで、フランスが変わることを期待したいが、それを可能にしてくれるのは、たぶん、すでに中年や老年に入って成熟したかつての「都市郊外の若者」だろう。