週休3日制

投稿日: カテゴリー: アライグマ編集長の日々雑感未分類

働き方改革の一環で、週休3日制の導入が真剣に検討されている。休みを1日増やすのに合わせて週当たりの労働時間も削減するならともかく、労働時間を同じに維持したままで休みを増やそうとすると、(週40時間と想定した場合で)1日の労働時間を2時間ほど延長するほかない。毎日10時間働く気になるか、という話になる。幼い子どもがいる世帯などで両親が共働きであれば、子どもの送り迎えなどにかなりしわ寄せがでてくる。単なるデスクワークでも10時間座って作業するのはかなり苦痛だが、立ち仕事や不自然な姿勢を強いられる労働の場合は体への負担も懸念される。実際、試験導入した企業では、本格的導入を望む従業員は少数派という。しかし、時折、祝日を含めて週に3日間の休みがあるとほっとして、心身ともに疲労の回復が早いと感じる。こじつけの理由でもよいから、政府が年間の祝日を増やしてくれるとありがたいなとは思う。フランスの場合はそもそも週35時間制が基本で、他の国より労働時間は相対的に短く、また夏や冬にまとまった数週間のバカンスをとる習慣もあるのだから、さらに週休3日にする必要があるのだろうか、という疑問も湧くが、労働は悪、という考え方が時短制度の根底にはあるのだろう。その一方で、失業ももちろん悪とされ、また誰しもが就労するのが当然とされて、いわゆる専業主婦などは自尊心も社会的尊重も得にくい社会なだけに、事態はややこしい。仕事をアイデンティティの核とする考え方は近代以後の幻想で、それ以前は社会の上層にいる人間は働かないのが普通だったことを時々思い起こすことは大切だが、どんな仕事であれ自分の仕事に純粋な喜びを感じている人間は見ていて羨ましく、労働は善でもありえる。仕事が好きで働きたい人はいくらでも働け、働きたくない人は働かずに暮らしていける社会が実現する日は来るのだろうか。