スウェーデンのコーラン冒涜事件

投稿日: カテゴリー: アライグマ編集長の日々雑感

コーランの冒涜事件により、スウェーデンとイラクの関係が険悪になっている。スウェーデンはすでにトルコとの関係悪化で苦しんだのだから、これ以上イスラム世界と事を構えないほうが賢明だろうと思うが、無神論者を名乗るイラク人亡命者の示威行動を「集会の自由」の原則により許可せざるを得ない立場に置かれた。イラクのイスラム教徒の側では、自分たちの信仰に対するリスペクトを要求しているが、これはいささかご都合主義的だ。イスラム教の教義では、世界のあらゆる人間は原理的に生まれながらにして当然イスラム教徒であるべきで、信者でない人間は全て自動的に背教者とみなされる。一神教だから当然とはいえ、多神教や無神論をはじめとする他の宗教や信仰や思想を認めず、全くリスペクトしないのだから、自分たちだけリスペクトを得られると期待すべきではない。しかし、西欧の戦闘的な無神論や「XXXの自由」というイデオロギーも、一種の原理主義であり、不寛容の度合いにおいては一神教と競う(元来がキリスト教という一神教に由来する世界観に基づく思想だから当然か)。「自由」は、元来は寛容の保証であるはずだが、不寛容な思想や信念の表現の自由をどこまでも認めることで、すっかり不寛容になってしまっている。不寛容同士の戦いは見ているだけで疲れる。もっといい加減に、緩く生きることはできないものだろうか。