トルコとシリアの震災で数万人の犠牲者が出ている。建設・不動産業者による手抜き工事や、当局の危機対応能力の欠如に加えて、紛争地帯であるため国際組織による援助の現地へのアクセスが妨害されているなど、悲惨な条件が重なった。被災地の住民は大多数がイスラム教徒だろうが、こうした事態を前にして、敬虔なイスラム教徒はどのように考えるのだろう? この世で起きる全ての事象は全知全能の神の思し召しによるものだと想定されるから、アッラーアクバルと唱えて現状に満足できるのだろうか。非イスラム教徒からの不浄な援助などは欲しくないのだろうか。そもそも、神が作った瓦礫の山を掘り起こして生存者を探すこと自体が、神の意志に対する反抗ではないのか。不謹慎かも知れないが、こんな疑問もわかないわけではない。イスラム教に限らず、宗教の熱心な信者はカタストロフに直面した場合でも、信仰は揺るがず、むしろ強化されるとも聞く。それが幸せかどうかは別問題だが、信仰というものの、不思議さを感じざるをえない。