サッカーW杯

投稿日: カテゴリー: アライグマ編集長の日々雑感

様々な論議を呼びつつ、サッカーのワールドカップが開幕した。筆者も人並みに関心はあるし、時間が許せばリアルタイムでTV観戦もしたいところだが、その一方で、ボールを足で器用に操作して枠の中に蹴り込む特殊な能力に長けた人々の活動に世界中の数億人もの人間が熱狂し、巨額の報酬が支払われるという事態は単に狂っているとしか感じられない。サッカーの試合で何発のゴールを決めたところで、人類にとって本当に有益な何かをもたらすわけでもなく、やっているほうも観ているほうも単にエネルギーと時間を浪費しているに過ぎないことが明白なのに、それが膨大な資源と金と人を動かしてしまうのだから、これはヒトという種にだけ可能な奇妙な倒錯というべきだろう。スポーツの国別対抗戦は戦争の代理行為だという説を唱 える人も多いが、それにしては人類の歴史から戦争がいっこうになくならないのはどういうことか? 五輪や各種競技の世界選手権・ワールドカップが毎年のように展開されているが、世の中がそのおかげでより平和になったという印象はない(もちろん、スポーツのない世界と比較しないと、スポーツの平和効果の有無は証明できないので、エビデンスの得られない議論に終始することになるが……)。そんなことを考えつつ試合を観ていると、精神衛生にも良くないので、試合開始のホイッスルが鳴った後は頭を空っぽにして観戦したいと思うが、自分が好きなプレイヤーが活躍できないとフラストレーションも貯まる(筆者はフランスのFWジルーのファンなので、前回のW杯でフランスが優勝した際に、彼が一回も得点できなかったことに胃 が痛い思いをした)。実に厄介なイベントである。