化石エネルギーの使用に抗議して、美術館で名画にスープなどを振りかけるという抗議行動が連続的に起きている。どの場合も標的の名画は防御ガラスで覆われており、大事には至らないという(犯人にとっては賠償責任などのリスクの小さい)中途半端な抗議行動で、たしかに耳目を集める効果はあるのだが(でなければ、ここで取り上げることもない)、一体誰に訴えかけようとしているのか、ちと疑問だ。美術を愛する人々にとっては、どのような動機や目的があろうと、到底許容できる行為ではなく、活動家の主張に賛同する気には全くなれないだろう。すぐに逮捕して、シベリアあたりの収容所に送り、一生強制労働させろ、とか反発するのがせいぜいだろう(ここらは少し個人的感想が混じってしまって申し訳ない)。美術に関心のない人から見れば、あまり意味のない騒ぎで、やはり活動家の主張に同調する理由はない。せいぜい、標的の名画は今の市場でどのぐらいの値段がついているのかネットで検索して驚くぐらいだろう。そもそも人工的な美を愛し評価することと、自然環境の保護や気候変動対策に留意することとは矛盾する心性でも、相反する行為でもない。逆に深い考えもなしに、代替のきかない美術品を破壊しようとする荒んだ精神(いやむしろ、間抜けな運動、というべきか)に地球環境に対する深慮を期待できるかどうかは怪しいものだ。