2022年5月24日 編集後記

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筆者は1970年代のオイルショックによるいわゆる「狂乱物価」を経験した世代なので、現在のインフレに驚くというほどのことはないが、それでも買い物に行くたびに価格がみるみる上昇するのを見ると、先行きどうなるのかと心細い思いが募り、同じような不安に駆られているに違いない世界中の数十億人の同じように貧しい人々への同情を感じざるを得ない。筆者などはまだ明日のパンに事欠く訳ではないが、ウクライナ危機で穀物が手に入らない状況に陥りつつある途上国の庶民の不安を考えると、かなり辛いものがある。もちろん、恒常的に飢饉に見舞われている地域というのは、農業をはじめとする産業のあり方に根本的な構造的欠陥があり、多くの場合、植民地時代の経済構造を変革せずにずるずると引きずっている惰性的体質が食糧危機の一因なので、自業自得の面は確かにあるのだが、それにしても、新型コロナウイルスによる深刻な危機からようやく立ち直りかけていた世界経済の回復の腰を、無意味な戦争でポキリと折ったロシアの責任は重い。この戦争の帰結がどのようなものであれ、ロシアに対しては、長期にわたって、この重いつけを徹底的に支払わせていくことが、人類史の今後の課題と一つとなるだろう。
フランスの作家アンドレ・ジッドは1936年に招かれてソ連を訪問した後、ベストセラーになった旅行記において、ソ連の欺瞞的な体制に対する手厳しい批判的見解を表明し、フランス共産党や多くの左派知識人から攻撃されたが、節を曲げなかった。筆者は幸運にも学生時代にそれを読んで、パッケージだけはきれいだが、単なる全体主義独裁体制に過ぎない共産主義・社会主義に関して一切幻想を抱くまいと決めたのだが、『収容所群島』の出版から半世紀近くを経ても、ロシアという国がまだソ連時代と同じままなのには驚くしかない。ロシア国民は一体何を考えているのだろう? ドストエフスキーなどを読むと、どこまでも徹底的に愚かしくあり続けることこそが、ロシア人魂の本質なのだろうか、と嘆かわしく思うが、人類史はどこでどう間違って、こんな愚劣な民族を生んでしまったのだろうと不思議でならない[別に神の責任を問うつもりもないけど]。もちろんロシアは今後も変わるまい。ならどうすればいいのか?