2022年4月19日 編集後記

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ウクライナ危機を通じて(再)認識されたことの一つは、経済のグローバル化にもかかわらず、知識や情報やビジョンといったものは必ずしも共有されないということだろう。ロシアによる侵攻は米欧や日本の多くの人にとっては全く大義のない極悪非道な行為にしか見えないが、中国、北朝鮮、南ア、インドといった国々はそれぞれに理由や思惑はあろうが、ロシアの行動を正当化し、支持して恥じない。価値観や世界観が完全に異なるこういった国々の人とは永遠にわかりあえないだろうし、話し合いをする気にもなれないというのが筆者の正直な気持ちだが、米欧や日本には価値観や世界観の多様性を重視する人も多く、そうした人々にとっては、これは(少なくとも論理上は)喜ぶべき事態であるに違いない。筆者はそうした考えにも賛同できないので、ふと気づけば、なんのことはない、今の世界で自分だけが孤立していたのか、と心細くもなるが、価値観・世界観を(絶対的に)相対化し、優劣を全面的に否定して、あらゆる文明や価値体系が完全に等価であるかのように振る舞おうとする妙なポリティカルコレクトネスは、そろそろ限界に来ているのではないか。ある種の文明や地域や国や国民や民族はくだらない世界観や価値観に惑わされているのだとはっきりいうべきときが来ているようにも思う。筆者にとっては、これもウクライナ危機の教訓だ。