2022年3月8日 編集後記

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3月8日は国際女性デーだが、ウクライナ情勢を見ると、「女・子ども」を優先的に避難させ、「男」は戦いに臨むという明確な役割分担が起きている。そして、それは極めてまっとうな反応であり、賢明な判断だと感じられる。
性別(セックス)という生物的な機能の差異があり、それに由来する身体的構造の相違がある限り、性差は社会的に構築されているとばかり言っていられない。少なくとも戦争のような極限の状況においては、各々の性が、その生物的・身体的条件に最も適合した役割を引き受けることで、最も効率的に生き延びることができるのであり、ウクライナの人々はそれを即座に理解して、男女が異なる行動を素早く選び取った。それ は社会的にも正しい行動だろう。
平和で安定的で豊かな社会においては、男女の役割の違いが薄れ、性別に関係なく、各自がその能力や志向に基づいて、どのような役割でも担うことが可能なのかも知れない。しかし、これは人類史でも極めて特殊な安全保障や社会経済的条件が揃ったほとんど仮想的な状況に違いない。実際には人類史のほとんどの期間は戦争で埋まっており、生死がかかっている戦時には生物的な条件が優先する。
だからといって、男女平等の原則が否定されるわけではないし、権利の上で男女が同等であるべきなのは当然だが、それは必ずしも同じ役割を引き受けるべきだということではなく、また引き受けられるはずだとアプリオリに想定する必要もない。一部のフェミニストやジェンダー論者が、性差を否定できると考えたり、性が人為的に簡単に転換可能であるかに振る舞えるのは、実は特殊な一部の社会において成立した幻想に依 拠しているに過ぎない。男女は異なっており、完全な等価交換はできないが、平等だ、ということの意味合いを再考する必要があるだろう。