2022年2月8日 編集後記

投稿日: カテゴリー: アライグマ編集長の日々雑感

アイスランドが2024年に商業捕鯨を廃止する方針を発表した。捕鯨をめぐる国際世論の批判を浴びてきた3ヶ国のうちの1つがついに脱落した格好だ。残るノルウェーと日本の立場はますます厳しいものになりそうだ。アイスランドは廃止の理由として、沿岸部の禁漁区拡大に伴い、より遠い沖合でしか捕獲できなくなったことと合わせて、鯨肉の需要が低下したことをあげている。筆者の知り合いには鯨肉好きもいれば、国家主権擁護の観点から捕鯨継続を主張する人もいるので、この問題について議論を始めるといささかややこしい展開になることが多い。捕鯨賛成派は、鯨肉が貴重なタンパク源だった時代を実際に経験した人が多いのだと思うが、筆者自身はそういう世代に属しつつも(鯨肉はなかなか美味かったという記憶はある)、個人的には捕鯨に反対である。動物行動学の近年の目覚ましい進歩と成果は、哺乳類の多くがヒトと本質的に相違のない知性や感情を備えていることを示した。必要性もないのに野生の動物を殺すことをよしとしない人が増えたのは、そうしたことも一因だろう。
もちろん我々は牛や豚や羊などの哺乳類を屠って食うのだから、鯨だって屠って食っていけない理由はない、という議論もあるだろうが、鯨は人間が飼育する家畜ではない、という違いに加えて、いまや鯨肉がなくとも動物性タンパク質は十分に補給できるのだから、不要な殺生は避けるほうがいいのではないか? 日本が捕鯨を続けている背後には、いろいろな経済的利権や政治的思惑も絡んでいるので、問題が複雑なことは理解できるが、鯨のような美しい動物が殺されて、ずたずたに解体されるのを見ると、筆者などは心が痛む。これはイルカ漁についても同じで、イルカを食わないと食い物がないならともかく、家畜の肉がいくらでも手に入る時代に、伝統を口実に殺戮を続けるのはいかがなものか? どんな由緒ある伝統でも、悪しき伝統は即座に廃止すべきだろう(直接にいうと気の荒い漁師さんたちに袋叩きにされそうで怖いけど)。