2022年1月25日 編集後記

投稿日: カテゴリー: アライグマ編集長の日々雑感

1月20日はヴァンゼー会議の80周年だった。50周年や100周年ほど注目されないことは確かだが(もっとも、50周年や100周年などというものが何か特別な区切りのように感じられるのは全く非合理的な妄想でしかないが)、最近各地で高まっている反ユダヤ主義の勢いを見るにつけ、ナチスの幹部を集めて「ユダヤ人問題の最終的解決」が話し合われたこの会議の恐るべき意味合いについては繰り返し考えてみる必要がある。ユダヤ人に新たな悲劇が起きることを何としてでも防ぐことは現代文明の大いなる課題に違いない。
ところで去年はマルセル・プルーストの生誕150周年、今年は死去の100周年ということで、もちろんこうした「XX周年」自体に何か特別な意味合いがあるわけではないが、様々な関連書籍が出版される好機をもたらしたことは否定できない。プルーストの母親はユダヤ人で、「失われた時を求めて」には話者の友人としてブロックというユダヤ人も登場するが、あまり好意的には描かれておらず、ところどころでかなり厳しいアイロニーの対象になっている。2021年12月にはコレージュ・ド・フランスのアントワーヌ・コンパニオン名誉教授が「マルセル・プルーストのユダヤルーツ」という講演を行い、その前の2021年5月には、フランスでもプルースト草稿研究の第一人者と尊敬されている吉川一義・京都大学名誉教授が同じくコレージュ・ド・フランスで行った連続講演の記録がコンパニオンの序文付きで刊行されて、その第3回目でユダヤ関連のテーマを取り上げている。さらに来る3月にはコンパニオン著の「ユダヤのほうのプルースト」(「スワン家のほうへ」や「ゲルマントのほう」をもじった題名)が刊行される。こういった研究を読みつつ、ナチスが言うのとは全く別の意味での「ユダヤ人問題」について色々と考えてみるのも楽しそうだ。