2021年11月9日 編集後記

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最近、ダイバーシティ(多様性)の重視を唱える声がいたるところで高まっている。もちろん、支配的な価値観やイデオロギーや慣習から自由になって、物事を見直すことは大切だし、必要だと思うのが、かといって全ての世界観や価値観が等価だと言えるかどうかは微妙だ。ダイバーシティという言葉を用いる人が主張したがるのは、通常は西欧的な世界観を相対化して、第三世界の風習や考え方にも同等の価値を認める、というようなことだが、例えばイスラム主義や一夫多妻制や女性蔑視や陰核切除のような非西欧的なものにも市民権を与えるのか、という疑問がすぐにわく。いや、そういう極端な考え方や野蛮な風習は除いて、あくまで民主的で平和的で平等的で人道的な枠組みに適合する範囲に限定して多様性を認めろということだ、と反論する人もいるだろうが、それでは言葉の本当の意味で「多様性」とは言えない。それは単に、毎日フランス料理やイタリア料理では飽きるので、時々はアジアやアフリカや中東の料理も食ってみようか、という程度の「バラエティ」の導入に過ぎない。本気で「多様性」を認めるなら、自分の価値観を徹底的に相対化し、民主的で平和的で平等的で人道的な見地からは決して受け入れることができないと思われるような異様な考え方や風習や価値観や世界観を受け入れる必要がある。ダイバーシティを称揚する人々に本当にそんな覚悟があるのかどうか…いささか疑問に思うことも多い。