近年、パリをはじめとする都市部では、屋上の緑地化が目立っている。菜園として利用される例も多い。環境配慮や健康志向が背景にあり、お得感を求める時流にも合致している。一般家庭からシェフまで、野菜作りが広く浸透した。同じ理由から、鶏の飼育も静かなブームとなっている。
「それはパリでは珍しく、秋の日の雨上がりに、森の匂い、腐植土と腐敗した木の葉の鮮烈とさえいえるような匂いが土から立ち上がってくるような場所だった」(ジョルジュ・ペレック「物の時代」1965年より)。パリは土の匂いがあまりしない街だが、それでも確かにそうした場所は今でもある。表通りからは見えない、建物に囲まれた中庭。人知れずに咲いている花がある。雨上がりには爽やかさを感じる。「本当に大切なものは目に見えない。砂漠が美しいのは井戸を隠しているからだ」と言った人がいたが、パリが美しいのも、そうした庭を隠しているからかもしれない。
増殖する屋上庭園
最近では、庭園は新たな存在場所を見つけ出した。建物の屋上である。パリ市は環境政策の一環で、屋上の緑地整備を積極的に後押ししており、新たなプロジェクトには必ずと言っていいほど屋上緑地の整備が伴っている。2013年にリニューアルオープンしたショッピングセンター「ボーグルネル」(15区)でも、屋上に700平方メートルの緑地が整備された。運営は市民団体エスパスに委託され、地域住民の家庭菜園や憩いの場として機能している。
パリ市が2016年2月に事業者を選定したパリ再開発プログラムでは、22件のプロジェクトのほとんどが屋上庭園のコンセプトを採用している。例えば、パリ13区のエジソン通りの集合住宅プロジェクト(マニュエル・ゴートラン事務所設計)では、壁面が緑で覆われ、屋上には共用の菜園が整備される。また、藤本壮介氏が設計した大型プロジェクトは、ポルトマイヨ付近の環状自動車専用道をまたいで建物を建設し、多数の樹木を植えて本格的な緑地を整備するという、大胆で斬新な内容となっている。
育てるなら「食べられるもの」
こうした緑地整備の動きは、家庭菜園への関心の高まりとも連動している。ベランダや屋上などで、観葉植物だけでなく、野菜や香草などを育てる人が増えている。「どうせ育てるなら食べられるものを」という不景気ゆえの堅実な考え方が浸透したこともあるが、食品の安全性への懸念も相まって、自分が育てた素性の知れたものを食べたいという心理も働いているのだろう。
野菜を育てるシェフたち
ガストロノミー(美食学)もそうしたニーズに無関心ではない。質の高い新鮮な食材の使用をアピールするのが高級レストランのトレンドになっており、自前の菜園で自ら野菜を育てるシェフも増えている。
アラン・パッサールは、2002年から野菜の栽培に取り組んできた先駆者で、現在では4ヘクタールもの菜園を運営、10人の庭師を採用している。こうして丹精込めて育てた野菜の味は、パリの「アルページュ(Arpège)」で楽しむことができる。
ヤニック・アレノは屋上菜園を採用し「テロワール・パリジャン(Terroir Parisien)」のパリ5区店(メゾン・ド・ラ・ミュチュアリテ)に自家用の菜園を設えた。厨房のすぐ脇に野菜や果物、香草が育つスペースがあり、新鮮なところを手折って料理に使う。野原が戸口までやって来たかのようだ。この屋上菜園のソリューションを提供したのは、新興企業トパジェで、同社の創業者社長ニコラス・ベル氏は「トマトの味がしないトマトができたのは、味を犠牲にして輸送に耐性がある品種が開発されたから。その場で果物や野菜を育てて食べればおいしさは保証付き。それに、ハーブの類は輸送すると風味が極端に落ちるので」と説明している。
北仏リール市のシェフ、フロラン・ラダンは、2店目となった「ブルームポット(Bloempot)」で、屋上菜園ならぬ空中菜園のコンセプトを採用した。オープンキッチンの上部に、各種の香草が常時生い茂っているという趣向である。見た目にも涼しげで、新鮮な食材を使用していることを知らしめる効果もある。ラダンは、リール市内に初めて出店した「ヴェル・モン(Vert Mont)」でも、厨房の脇に菜園を設えたが、ブルームポットではさらに一歩進めて、店の中に野原を呼び入れた格好である。確かに、菜園アピールをするなら、調理の様子が見えるオープンキッチンは最適の姿だろう。旬が勝負の植物なら説得力は抜群ではないだろうか。
エキゾチックといにしえの野菜
ベランダ菜園や、この数年で普及し始めた屋上菜園を含め、菜園ブームが定着するにつれて、消費者の野菜の品種に対する関心の幅も広がってきた。
トレンドは「愛でてよし、食べてよし」で、見た目に美しく、食べてもいけるエキゾチックな植物の人気が上昇している。ペルー原産の「オカ」は、植物としてはクローバーのような外見で、葉と奇妙な形の根が共に食用となる。葉は酸っぱく、サラダに合う。「ヒマラヤ・ハニーサックル」は鈴を重ねたような白い花が咲く。コーヒーキャラメルのような味がするという。「クロタネソウ」の実は、フランスでおなじみの駄菓子「タガダ(TAGADA)」のイチゴマシュマロの味がする。ヒマワリのような花が咲く「ヤーコン」も、観賞と食用を兼ね備えた植物として、人気が上昇している。
もう一つ、脚光を浴びているのが、いにしえの野菜である。集約農業においては採算性に難があり、徐々に見捨てられていった野菜たちが、菜園ブームで復活している。こうした野菜は、生産性は低いものの、耐性が強くて手間がかからないという利点があり、本物志向の観点からも受けている。
アンジェ市の種苗家のベルナール・ビューロー氏はそうしたブームの仕掛け人の一人で、精力的にさまざまな品種を紹介している。根が食用になる「ムカゴニンジン」は栗の風味がある。フランス国王アンリ4世が食用として普及させたという伝説がある「良いアンリのアカザ(Chénopode Bon-Henri)」は、ホウレンソウのような味わいだ。他にも、季節を問わず葉を保つことから、中世の巡礼者が壊血病予防に食したといわれる「聖ヤコブのアサツキ(Cive de Saint Jacques)」など、名前からして心を掴む作物もある。
菜園にはニワトリも
菜園とセットで脚光を浴びているのがニワトリである。生ごみを餌として処分でき、しかも卵を生むという重宝さが、エコロジーとローコストの両面から受けている。
採卵鶏は、食事の残り物や野菜・果物の皮、卵の殻などの生ごみを、年間に150~200キログラム消費するといい、自治体が家庭ごみ減量の任務をニワトリに託する事例も増えている。ベルサイユ市を中心とする自治体連合「ベルサイユ・グラン・パルク」は採卵鶏の里親制度を開始。200家族に1羽か2羽の鶏を託する措置を試験導入した。庭がある家に住む家族に限定し、里親家族とは協定を結び、家族側は家畜福祉の基準を守るなど一連の約束をする。自治体側はこれにより、里親家庭でのごみ減量につながると期待を寄せている。
一昔前までは「郊外でニワトリを飼っていること」は、格好が悪いことの代名詞だったが、今やベルサイユのような高級住宅地までニワトリが席巻する時代となった。ペットコーナーのあるホームセンターなどでは、鶏はイチオシのスターで、どの店でも特設コーナーが設置されている。採卵鶏は種類により1羽が15~40ユーロで販売されており、赤鶏種なら年間で250~300個の卵を産む。寿命は6年から10年という。卵代を浮かせるためだけにニワトリを飼う人はいないだろうが「どうせ飼うならお得なニワトリ」にしようという心理は、菜園で野菜を育てる気持ちに通じるところがある。
(初出:MUFG BizBuddy 2016年5月)