フランス企業の英語使用が招くストレスとジレンマ

投稿日: カテゴリー: フランス産業

フランス企業で英語使用の必要性や重要性が増す中、日常業務で英語使用を強いられる社員はストレスを強めている。社内コミュニケーションの円滑化などを目的とした英語使用が生むジレンマを前に、英語学習の強化を推奨する意見がある一方、英語偏重を批判する声もある。また一部の企業では、英語を含む多言語使用による国際事業の効率化を目指す試みも進められている。

フランスのオピニオンリーダー紙であるル・モンドは2012年5月22日付の経済・企業特集ページで、フランス企業における英語使用が職業性ストレスの大きな一因となっていることに注意を喚起した。この記事は、CFE-CGCという管理職労働組合が2011年12月に実施した調査に依拠しつつ、同労組加入者の具体的な証言などを紹介している。また、記事は直接には言及していないが、CFE-CGCは2012年3月に企業内での英語使用が招く諸問題に関するシンポジウムを主催した。CFE-CGCのサラングロ全国書記は自身が労働医*でもあり、同年3月19日にはニュース専門ラジオのFrance Infoによるインタビューでも、職場での英語使用が社員の疲労感とストレスの増大をもたらしていることに警鐘を鳴らした。

CFE-CGCの調査によれば、フランス人管理職者の37%が日常的または定期的に英語を使用することに疲労感やストレスを感じている。この調査は半年ごとに実施されており、前回より6ポイント上昇した。ル・モンド紙は、社内での英語使用は慣れた後でも常時緊張を強いられ、数時間の会議で疲労困憊(こんぱい)してしまう上に、電話会議にネーティブスピーカーが参加して早口に話すと余計困難が増すなど、現場からの率直な証言を伝えている。

母語以外の言語での作業は認知的負荷の増大を伴うため、英語使用がこうしたトラブルを招くことは驚くに値しないが、問題は、本来、業務効率の向上や社内コミュニケーションの円滑化を目的に導入されたはずの英語使用がかえって英語使用者の能力劣化や地位低下を招くという、逆説的な結果につながっていることだろう。

CFE-CGCの調査では、61%の回答者が職場での英語使用は自らの仕事の価値評価を高めると判断している一方で、説得力や意思疎通という面で不利な立場に置かれると認める回答者が45%に達している。サラングロ全国書記は一例として、米ルーセントを買収したフランスの通信機器大手アルカテル・ルーセントの状況を挙げている。合併後の同社の会議では、ルーセントの社員に配慮して英語が使用されているが、ネーティブスピーカーとしての優位を背景に米国人が経営幹部の多数を占めるという事態を招いており、フランス側の配慮があだになっているという。
さらに同全国書記は、英語使用の常態化は、フランス人社員のパフォーマンスやイノベーション能力を押し下げると危惧している。母語で作業するのと同水準の能力が期待できない以上、英語使用の普及はフランス企業のイノベーション力低下につながりかねないということだ。

こうしたジレンマに対する解決策の一つとして、端的に英語力を増強し、可能な限り完全なバイリンガルに近づけばよい、とする考え方がある。例えば、ビジネス語学学校のCommunicaid Groupなどは、職場での英語使用がストレスの原因であるとの報道を逆手に取って「英語講座で職場でのストレスを軽減しましょう」とフランス語で宣伝している。英語使用の不可避性が高まる中では、最終的な選択はこれしかないのかもしれない。

CFE-CGCは2012年6月に新たな調査結果を公表したが、これによると、フランス人管理職者の7割以上が仕事で英語を使用しているにもかかわらず、その過半数が自分の英語力のレベルは低いと自己評価しており、45%が英語使用をストレスの原因と判断している。エコノミスト・インテリジェンス・ユニットが語学学校EF Education Firstと共同で実施した2012年の調査でも、フランス人管理職者の63%が自身の英語力の不足が自社の国際事業の発展にとって足かせになっていると自己評価している。

ちなみに、フランス人は外国語全般について強い苦手意識を持っている国民である。「2カ国語を話せる人はバイリンガル。3カ国語を話せる人はトリリンガル。1カ国語しか話せない人はフランス人」という笑い話があるほどで、フランス人は自らの外国語運用能力をしばしば自嘲的に捉えており、なぜわれわれフランス人はこれほど英語が下手なのか、というテーマが繰り返し議論されている。

英語力でアジア最下位を競う日本人には心強い話かもしれないが、自己評価とは別に、フランス人の実際の英語力がどれほどかは気になるところだ。一つの目安となるのは、広く普及しているTOEFLテストの成績である。2009年のデータを見ると、フランスは120点満点中88点で、イタリアおよびスペインと同点だが、ドイツの96点、ベルギーの97点、オランダの101点などに比べて低い(日本は67点)。

フランス政府のエリートエンジニアであるソリエール氏が社会政策シンクタンクPRESAJEの機関紙で書いているように「フランス語は英語と最も近しい言語の一つであり」、フランス人の英語力の低さに「言い訳は通用しない」。同氏は中国人や日本人から見たら、フランス人が英語を苦手にしていることは理解不可能だと論じている。

また同氏も触れているが、フランス人の英語嫌いの原因として、フランス語が17~19世紀にかけて欧州のリンガ・フランカだった歴史があるために、フランス語に取って代わる世界の公用語となった英語に対する反発があるという説がある。加えて、フランスが大革命以来、国内の言語統制を進めて、さまざまな地域語の使用抑制とフランス語使用の強制的普及に苦労してきたという歴史的経緯も、外国語排除の傾向を醸成した可能性がある。
フランスは憲法第2条で「フランス共和国の言語はフランス語である」と明確に規定しており、1994年のトゥーボン法では職場での使用言語としてフランス語を義務付けている。順法精神にのっとれば本来、社内文書もフランス語で作成しなければならないはずで、これも英語普及のブレーキになっているともいわれる。

こうした事情から、フランスでは「英語公用語化」という議論は少なくとも表立っては行われていないが、企業だけでなく、有力ビジネススクールなどでも英語での教育が浸透し、英語を母語とする教員の雇用も急増している。他方でこうした動きへの反発も強まっており、英語の覇権に異を唱える声も上がっている。その代表格が言語学者のアジェージュ氏(コレージュ・ド・フランス名誉教授)で、英語の一極支配がもたらす思想的・イデオロギー的な危険性に警鐘を鳴らしつつ、早くから複数の外国語を学習して多様な文化に触れることの重要性を強調している。また同氏は「英語は非常に難しい言語」だとして、フランス人が英語学習に苦労しているのは当然だと主張している点でも注目されている。

これはもちろん英語排斥論ではなく、フランス語を守るために英語を排除せよ、というような動きは少数派にすぎない。むしろ、言語と文化の多様性の重視を呼び掛け、英語のみを偏重する風潮をいさめて英語の地位を相対化することで、フランス人の英語に対する劣等感や焦燥感を軽減しようという試みと受け止めるべきだろう。

企業では、国際的に事業を展開するタイヤ大手のミシュランが独自のポリシーを打ち出している。外国人幹部に対してフランス語研修を義務付けてフランス本社とのコミュニケーション効率化を図る一方で、国外で勤務するフランス人幹部には現地の言語習得を義務付けている。ミシュランによれば、貿易相手国の言語を話すことがビジネスに有利に働くことを英語圏の企業も認識し始めており、英語さえ話せば世界中で通用するとの考え方を変えつつあるという。

フランス社会での英語使用の推進に懐疑的な識者は「Tout-Anglais(英語一辺倒)」の風潮を批判的に捉えているが、英語力重視の流れは当分変わるまい。前右派政権の教育相は英語の早期教育を提案し、2012年春の政権交代で発足した左派新政権も、小学校初年度からの英語教育実施を検討している。上記のミシュランなどの対応も、決して英語の重要性を否定しているわけではなく、フランス語を社内コミュニケーションの中枢に据え、英語は他の外国語と併用しようというのが趣旨になっている。しかし、英語の支配下で働いているわけではないと感じることは、社員の心持ちに大きな違いをもたらすだろう。

* 「労働医」は日本の産業医に類似しているが、フランスの労働医は労働法および社会保障法などで規定された職務であり、全ての労働者がその利益を受けられることや、使用者から職務上独立している点などが異なる。

(初出:MUFG BizBuddy 2012年11月)