パリでまたイスラム過激派によるテロ襲撃があり、ドイツ人観光客が犠牲になった。犯人はすでに過去にテロ襲撃を企てた前科があり、4年の服役後も、警察により危険人物としてマークされていただけに、仏治安当局には手痛い失点となった。パリ五輪を控えて治安の強化が課題となっている中で、予め危険だとわかっている人物の犯行すら防げないのでは、先が思いやられる。ダルマナン内相は、警察による監視体制には落ち度はなかったとかばったうえで、精神障害のある犯人の治療と観察を担当していた医療チームのほうには落ち度があったと主張した。この発言には身内贔屓や責任転嫁もあるに違いないが、たしかに犯人のケアを担当していた精神科医や臨床心理士にもおおいに問題がある。報道によると、犯人は2022年3月に、医師との合意により、抗精神病薬による治療を中止した。その後、2022年8月の検査で、やはり治療が必要と判断され、治療再開を命じられたが、2023年4月には、寛解してもはや危険性は一切ないとの判断が下され、治療は停止されていた。危険性が一切ないはずの患者がほぼ半年後には残虐な襲撃事件を起こした。こういう事件が発生するたびに呆れるが、ずさんな誤診が悲劇を招き、一命が失われた。的確な診断を下す能力を欠いた医師に危険な患者を扱わせている当局の対応も問題だが、過激化するタイプの精神病者はどこまで行っても過激であり、薬により一時的に危険な行動を抑えることはできても、治療が中断した途端にまた危険な状態に戻るという単純な事実が医療の現場で忘れられているか見落とされていることに根本の問題がありそうだ。確かに精神病の診断や治療は近年に大きく進歩しているが、そのために精神医療関係者の側に、ある種の奢りや油断があるのかも知れない。あるいは間違った善意が働いて、患者の「脱過激化」(成功事例があるのか疑わしく、単なる神話では?)を期待したのか。過激化した精神病者が多くのほかの患者と異なるのは、治って正常な暮らしをしたいという意欲自体を欠いている点だ。病識が薄く、治りたいと望んでいない危険な患者の策略にごまかされて、「合意の下で」治療を中断したり、早計な判断で治療を停止するような浅慮な医療専門家がいる限り、医師の判断に逆らってでも現実的な対策を講じる必要がある。