筆者が夏を過ごしているフランスの北部は今年も冷夏で、8月だというのに半袖では寒すぎて屋内でも上着が必要。日本の親族・友人・知人からは酷暑で死にそうだとの悲鳴が届くが、こちらは涼しい顔で適当に同情的な返事をしつつ、ちょっと後ろめたさも感じている。こういう極端な分極化も気候変動の現れではあるのだろう。気候変動といえば、日本でベストセラーになったという斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』を読み始めて、暗い気分になっている。資本主義をこのまま維持していたら温暖化で壊滅的な結果になるという議論には説得力があるが、歴史はかつて一度も人間の意図や計画の通りに動いたことはない。マルクスに依拠するにせよ、しないにせよ、どのような画期的なソリューションが提案されたとしても、それが速やかに実行されて危機を回避できる可能性はゼロに近いに違いない。無責任ながら、人類の未来を思い悩むよりは、自分に残された数年を頑張って楽しく生きることに専念しようか、とも感じる。マルクスが批判したとおり、まさにAprès nous les déluges!の自棄っぱちな態度で申し訳ないが、先の短い老人ゆえご寛恕願いたい。ただし、あとの世代のことを思うとles délugesが来ないことを切に祈っている。